月見の終わり
夜中の山道。 この道は山登りのコースとして整備されているが夜中にこの山道を登る者は誰もいなかった……一人を除いて。
山道は木々のせいで月明かりは遮られ、地面から飛び出た木の根や迫り出した薮のせいで歩きづらい。
こんな場所を夜中にLEDランタンを片手に深山仁はやって来ていた。
「なんでっ! 怪異って言うのは…! 夜中の山に出て来るのが多いかなぁ!?」
深山仁が登っている登山コースは初級者向けの道とは言いづらい。 息も絶え絶えになりながら怪異に文句を言いながら山道を登って行く。
深山仁の心の支えは木々の隙間から見える星空のみであった。
「はぁ、はぁ、流石に山の中からだと街よりも星がよく見えるねぇ」
「そうでしょう? 私は滅多に街へと降りませんけど、それでも山から見る星空が一番綺麗だと思うの」
不意に横から話しかけられ、深山仁は声の方向へと振り向く。
振り向いた先には年の若い着物を着た女性が此方に微笑んで立っていた。
黒髪の長髪がLEDランタンの灯りに反射して艶やかさを一層引き立たせ、白い肌をより強調し、美しさをより際立たせる。 身に付けているのは薄手の白い着物で、その姿はどこか扇情的だった。
「君ねぇ、肉吸いなら「最初は火を貸してはくれませんか?」って言うもんじゃないかなぁ?」
「あら、そんなこと言ってまた殴られたら痛いからイヤよぉ」
深山仁が肉吸いと呼んだ彼女は妖怪であった。
肉吸いと言う妖怪は夜中の山道で男を誑かした後、灯りを消し、暗闇から男を吸い殺す妖怪である。 しかし、目の前の妖怪は深山仁に危害を加える様子は無かった。
「今日は月がとても綺麗なのよ。 深山くんいつもの場所で一緒に月見でもしましょうよ」
「勿論、そのつもりで来たからいいんだけど……。 どうせなら街中に居てくれれば僕も楽なんだけどねぇ」
「私は山から見る星空が好きなの。 だから頑張れ男の子」
「男の子って歳じゃないよ。 オジサンは……」
深山仁はこの年齢で子供扱いされ困ったように笑って山へと登る。
肉吸いは幼子が転ばぬように見守るように深山仁を見つめつつ、共に山へと登る。
「ねぇ、深山くん。 初めて会った時のこと覚えてるかしら?」
「君が脅かして来て、僕が反射的に火縄銃で殴りつけたときの事かい?」
「そうそう、あの日なんで火縄銃で叩いて来たのよ? 驚かしたこっちも悪かったけど。 殴るならもっといい武器もあったでしょ?」
肉吸いは初めて出会った日に深山仁が殴りつけた側頭部を摩りながら「痛かったなぁ」とアピールして来る。
「あの時は悪霊がいるから対処してほしいと言われてね。 調べたら肉吸いが悪霊の正体だと分かったから、肉吸いを殴って追い払ったという逸話がある火縄銃を持って来たんだよ」
「……火縄銃でも他のものでも殴りつけられたら痛いと思うんだけど」
肉吸いは呆れたように深山仁を見つめる。
「ハハハ、そうだねぇ。 その後、誤解だと言うことがわかって事件解決ってことにしたんだっけなぁ」
「もう! ちょっと驚かしただけで殴って来るだなんて、深山くんは野蛮だよ!」
「ハハハ……悪かったよ」
会話が切れ二人は無言で山を登って行く。 会話が途切れると急に森の音が近くなったように感じる。
聞こえるのは森の音と二人の足音だけだった。
「……僕のことを、いや、昔のことはどれくらい覚えているんだ?」
「……なんのこと?」
「さっき話した火縄銃の話は過去にしたことがあるんだ」
「そうなの? ごめんなさい忘れていたわ……でもよくあることだし、そんなに気にしなくてもいいの」
「肉吸いとしての本能も薄れていっている。 それは君の自我が強くなったわけでもなければ成長したわけでもない。 その逆、君は死に向かっている」
肉吸いは表情を崩さず優しく微笑むだけだったが足は決して止めず、山を登り続けている。
「原因はわからないが君の存在があやふやになっている。 肉吸いとしての本能がなくなっているのもそのせいだ。 ……街に降りて生まれ変わろう。 人々から信仰を受ければまだ生きられる」
肉吸いは微笑むだけで首を縦には振らない。
「大丈夫。 前例ならある。 何人かの妖怪は、付喪神や別の妖怪に生まれ変わっても自我はそのままだ。 生きられるんだよ! 山さえ降りれば! まだ!」
「ダメよ」
深山仁の想いはただ一言で無情にも断ち切られる。
いつの間にか二人は目的地にたどり着いており、足を止めていた。
その場所は小さな広場のように開けており、地面の雑草や周りの木々は丁寧に刈り取られていた。 広場の中央には大きな岩が鎮座しており、肉吸いはその岩の上に飛び移り腰を下ろした。
「深山くんの言う通りにしたら私、死んじゃうもの。 だから山から降りれないわ」
肉吸いは岩の上から月を背負い、深山仁を見つめる。 お互いの距離は短いのに、何故だか実際の距離よりも遠くに感じる。
「長く、ほんとに長く生きたわ。 肉吸いとしても、そうじゃなくなった存在としても、長い時間を。 此処を離れるという事は私の生きた今までを否定する事」
「生き方を変えるなんてよくある事じゃないか? それに変わっても君は君だろ?」
「……肉体が滅べばそれでお終いだけど心は違うわ。 心が死ねば別の心に取り替わる。 そうなれば貴方の好きな私ではなくなるわ。 この山を降りて、別の何かになると言う事を私は許容できない。 もしそれをすれば私の心が死ぬわ」
「……そんなこと」
肉吸いの真っ直ぐな眼差しは深山仁の想いを押さえつける。
「時代に取り残された人喰いの妖怪が死ぬ。 この時代では珍しいことじゃないわ。 寧ろ人にとっては良いことよ。 だから悲しまないで」
短い沈黙の間、深山仁は俯いていた。 大きくため息を吐いて頭上にいる肉吸いの方へと目をやる。
「……まぁ、無理してまで妖怪を転生させるのは面倒だからね。 怪異管理局も僕も暇じゃない。 変わり者の妖怪にこれ以上付き合ってられないや」
肉吸いは「えぇ、えぇ」と頷き、深山仁の言葉を肯定する。
「……それじゃあ帰るよ」
「……えぇ、さよなら」
短く、重たい別れの言葉をお互いに告げ、深山仁は月に背を向ける。
山道を下ると深山仁は過去を自然と思い返す。 古臭い山歌を無理やり一緒に歌わされたこと。 無理やり川に引きづり込まれ、水遊びをしたこと。
この山にある数々の想い出が山の暗闇に溶け出し、そして二度と繰り返される事はない。
山道には森の音と一人分の足音だけが無情に響いていた。




