常世侵食(1)
怪異管理局のオフィス、いつもの日常とは違い、皆が慌ただしくしていた。
その理由は先ほど入った連絡が原因だった。
「A市の白百合ハイツというマンションで常世侵食が発生しました! 至急警察と共同で事態の解決をせよとの通達です!」
常世侵食。 死後の世界か、地獄か、その正体は不明であり、それに近しい空間が現世に現れる現象である。
この現象が起きる原因は様々であり、過去に起きた常世侵食では多数の死者を出した事件も記録されている。
「深山! 現場に出られるか!?」
「賀茂係長。 こっちはいけます。 装備整えてすぐ現場に行きますので装備の持ち出し申請は他の人に任せてもいいですか?」
上司である賀茂小夜からの問いかけにすぐに答える深山仁。
このときばかりは深山仁は、いつもの脱力感のある態度ではなく、自然と真面目な態度になっていた。
「それはこっちでやっておく! すぐに準備をして車に乗り込め! 他の者も乗り込み次第すぐに現場に急行! 急げよ!」
深山仁が現場に向かおうとすると深山仁のスマートフォンに一通の電話がかかる。
手に取り着信を確認すると個人携帯から来た電話だということがわかった。
深山仁は急いでいた為かこの電話を無視しようかと悩んだが、大切な用事の電話かもしれないので電話に出る。
「もしもし、どちら様でしょうか? 今忙しいので手短にしてくれると助かるんですけどねぇ」
『深山さん! オジサンですか! 今大変なんです! 私、今、白百合ハイツってところにいて、変な人が襲って来て、どうすれば……!』
「……マジかぁ」
この時、深山仁は自分が坂から転げ落ちる様に、悪い方向へ運命が運ばれていく様な感覚に飲み込まれていた。
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駅から歩いて十数分、白百合ハイツの一室に朝倉結衣の家族は暮らしていた。
朝倉結衣は学校を終えて、自分の家へと帰宅していた。
「ただいまぁ♪ ムフフ、放課後に買うドーナツは全人類を幸せにする魔力が宿っているよねぇ」
『主、夕餉の前に間食をしてしまうとまた体重が増えてしまうのではないか?』
ドーナツの入った紙袋を片手に朝倉結衣は自分の頭上に目を向ける。
目線には自分の髪の毛がゆらゆらと揺らめいていた。
少し前、私に取り憑いた髪鬼という妖怪は今も私の髪に取り憑いていた。
「いいんですー。 オジサンも言ってたでしょー? 心を穏やかにして過ごしなさいって。 だからコレは必要なことなのです!」
『あ、主……』
表情は読み取れないが、なんとなく困惑している様に感じる。
少しだけ申し訳ないと感じながらドーナツを食べる。
この後、お詫びとして念入りに髪の毛を手入れしてあげようかと考えていると大きな物音が聞こえる。
何かを叩く音だった。
ドン。 ドン。 ドン。
それは扉を叩く音だった。
ノックと呼ぶには少し荒々しく感じる。
「なに? お客さん? 普通にチャイム鳴らせばいいのに。 イタズラ?」
ドン。 ドン。 ドン。 ドン。
ノックの音は止まない。
ドアを叩く音は徐々に強く、空気は重く、不安感がマンションの一室を満たしていく。
ふと、窓の方に目を向ける。
「ねぇ、髪鬼。 外、こんなに暗かったけ?」
窓の外から見える景色は先ほどまでとは違い不自然に暗くなっていた。
陽が落ちた様な暗さではない。
空というキャンパスに黒い絵の具を溢したかのような黒が窓の外の景色を覆い尽くしていた。
ドン。 ドンドンドンドンドンドン。
ドアを叩く音は強く、速くなっていき、ドアの方がそれに耐えきれず、破壊音と共にドアは崩れ落ちる。
その直後、廊下から複数の足音が朝倉結衣のいる部屋へと向かってくる。
『主、下がっていてくだされ』
髪鬼は朝倉結衣を守る様に前へと髪の毛を陣取る。
荒々しい音を立てて数人の人間が乗り込んでくる。
若い女、中年の男に、老齢な男女、後ろには子供の姿も確認できる。
彼らの背格好で変なところは見当たらない。
一箇所を除いて。
彼らの顔にあるはずのものが一切見当たらなかった。
何かを見るための両目も、匂いを嗅ぐための鼻も、誰かと会話するための口も、音を聞くための耳も、一切合切存在していなかった。
顔にあるはずの凹凸すら無くのっぺりとしている。
『ずんべら坊か……。 一体なんのつもりでここに来た』
髪鬼は彼らの正体を言い当て、目的を問う。
しかしずんべら坊達はそれに意を介さずジリジリと距離を詰めていく。
「っひぃ! 髪鬼、近づいてくるよ!」
『高々ずんべら坊風情が……! ここに足を踏み入れたことを後悔させてやる!』
髪鬼が叫ぶと同時、朝倉結衣の髪の毛の毛量が増殖し、部屋を覆い尽くす。
ずんべら坊は朝倉結衣に近づき、肉薄しようと手を振り上げた。
直後、ずんべら坊達の動きが固まった。
ずんべら坊が振り上げた腕に、こちらに近づこうとする足に、髪の毛で四肢を縛り上げ動きを封じ、拘束したのだ。
髪鬼はそのまま軽々とずんべら坊達を持ち上げて部屋の隅に放り投げた。
ずんべら坊達は壁に叩きつけられそのまま動かなくなった。
「こ、殺しちゃったの?」
『いえ、殺してはおらぬ。 髪の毛で縛り上げて部屋の隅に転がしただけじゃ』
ずんべら坊の四肢は髪の毛で縛り上げられており、多少もがいた所では解けそうではなかった。
「よかった……。 って、髪の毛! 切れてるけどコレ大丈夫!? 私の髪の毛短くなっちゃった!?」
『い、いや、アレは我の霊力で生み出したものじゃから、主の髪の毛に影響はないぞ……』
こんな状況で心配することはそんなことなのかという呆れと困惑の感情が髪鬼から伝わってくる。
「も、もぅ、そんなに呆れなくてもいいじゃん! 急に変な人たちが来て気が動転してるんです!」
『それよりも主よ。 深山仁という男に電話を入れた方がいいんじゃないか?』
「あ、そうだね。 直ぐに連絡入れよ! その後警察にも連絡!」
朝倉結衣は髪鬼に言われて慌ててスマートフォンを手にして深山仁に連絡を入れる。
自分が今白百合ハイツにいることや大変な目に遭っていることを話す。
そして何が起きたか詳しく話そうとしたところで、異変が起きる。
空間が歪み、歪曲し、混ざり合っていく。
床は波打ち、天井は何処かへと吸い込まれていき、壁は狭まったり、広がったりと不規則に動き躍動している。
そんな空間で立っていられず朝倉結衣はその場に倒れ込む。
倒れた朝倉結衣を床は受け止めず、すり抜けて下へ下へと落ちていく。
『あ、主ーーッ!』
「ッキャーー!!」
二人の短い悲鳴を後に、部屋にはスマートフォンのみが残される。
『お嬢ちゃん? お嬢ちゃん!?』
今尚歪み続ける部屋に、通話中のスマートフォンから深山仁の声が虚しく響いた。




