武闘大会で反則負けをする
イーサファルト王国は、初代勇者を生んだ国だ、と本で読んだ。
石畳の大通りを、剣や槍を提げた者が、当たり前みたいに歩いている。
英雄の国。武芸者の国。
そのくせ、魔法使いは、ほとんど見かけない。露店の魔法道具も、東のほうから流れてきた、ひと昔前の古物ばかりだった。
魔族も多い。モンスターとの混血種族だ。もこもこした動物の着ぐるみを着た魔族が、街中を普通に歩いていた。東部でもたまに見かけるけど、こんなに大勢はいない。
広場の真ん中に、大きな石像が立っていた。
ゲールハーツ王。紀元ゼロ年の名君。剣を掲げ、足元に大きな竜を組み伏せている。
この国は、種族の壁が薄い。魔族とも、仲がいい。
王はその融和を、ひとつの方法で成し遂げた――あらゆる種族に、共通の敵をひとつ、決めることで。
竜だ。
王は大竜伐を率い、竜を狩り、その勝利の上に、この平和を築いた。本に、そう書いてあった。
ウェルバは、その石像を、しばらく見上げていた。
何を考えているのかは、横顔からは読めなかった。
「立派な王だな」とだけ、彼女は言った。
それから、すたすたと、会場のほうへ歩いていった。
武道大会は、トーナメントだった。
世界じゅうから、各国の代表が集まっている。
そんなところに、僕の名前が、しれっと書いてあった。
ウェルバが勝手に申し込んだやつだ。
最初の相手の顔を見て、僕は、帰りたくなった。
ガチムチの大男だった。
全身、傷だらけ。腕が、僕の胴くらいある。にやりと笑うと、歯が何本か、欠けていた。
たぶん、シード選手だ。最弱候補の僕に当てられたんだろう。胃がきゅっとなった。
僕はこっそり、頬の風に聞いてみた。
「……ねえ。あの人、撃てる?」
道中、モンスター相手のときは。
ウェルバの通訳によれば、風はいつも、こんなふうに言っていた。
『うん、やってみる……』
『アルスくんの、ためなら……』
たぶんウェルバの事だから、だいぶん脚色しているのだろうけど。
それでもなついてくれているのは分かった。
でも、今度は。
足元の枯れ葉が、すうっと動いた。
風が、文字を書いている。
地面に、はっきりと。
ム リ
相手が強すぎて、風が怖がっていた。
戦闘拒否だ。
詰んだ。
その大男が、僕の弓を見て、ふと目を細めた。
「その弓……エルフから、習ったな」
声は、意外と穏やかだった。「懐かしい。ドノンは元気にしておったか? アスガルドの爺さんは、もうくたばったか?」
「……えっと」
ドノン。アスガルド。
知らない。誰一人、知らない。森の奥の集落には行った事がない。
僕が口ごもっていると、男は勝手に、話を続けた。
「ああ、そうだ。サマンサに会ったら、言ってくれ。お前に言われたとおり、ウニャルディーズのペーソスをリットしてみたが――ゲロマズだった、とな」
ウニャルディーズの、ペーソスを、リット。
ゲロマズ。
……半分も、覚えられなかった。
そのときだった。
会場の隅のほうから、何かが、ものすごい勢いで飛んできた。
人だった。
どこかの対戦相手だったらしい男が、ぐるぐる回りながら、僕の足元に、ずざーっ、と転がってくる。白目を、むいている。
飛んできた方を見た。
別のブロックに、謎めいた甲冑の剣士が立っていた。
顔は見えない。
でも、僕には一目でわかった。
あのつまらなそうな立ち方。
ウェルバだ。
「ふん。ぬるいわ」と、甲冑の中から、聞き慣れた声がした。「お前ら、まとめてかかってこい」
審判が止めに入った。
ウェルバは、聞いていなかった。
止めた審判も、ついでみたいに、吹っ飛んだ。
会場が、沸いた。
というより、壊れた。
あちこちのブロックの戦士が、誇りを傷つけられて、甲冑の剣士に殺到していく。リングも、ルールも、関係なかった。場外も、客席も、ぜんぶ戦場になった。
「お、おい!」と、僕の大男が唸った。「お前ら手を出すな、あの不届き者、わしがやる!」
彼も、止められなかった。喜々として、突っこんでいく。
その真ん中で。
ウェルバだけが、楽しそうだった。
次から次へと向かってくる猛者を、まるで葉っぱでも払うみたいに、片づけていく。
強い、なんてものじゃ、なかった。
僕は、ただ隅っこで、それを見ていた。
風が、僕の頬で、ちいさく震えていた。たぶん、僕と同じ気持ちだった。
結果は、ひどいものだった。
出場選手のほとんど全員が、場外乱闘とルール違反で失格。
あんまり悲惨で収拾がつかなくて――とうとう、主催の王女さまが、命令を下した。
ノーコンテスト。
大会そのものが、なかったことになった。
僕は、一度も、弓を引かなかった。
風は、最後まで、ムリと言ったきりだった。
それでも、なぜか、命だけは無事だった。
その夜。
酒場で、ウェルバは上機嫌で、ハイボールを飲んでいた。
まわりの席では、客が、昼間の大会の噂でもちきりだ。
どこの誰とも知れない甲冑の剣士が、大会を丸ごとぶち壊した、と。
大会が始まって以来の大騒ぎだった。
僕は、ぬるくなったハイボールをひとくち飲んで、言った。
「……これ。これって、もともと、僕のやりたかったことじゃ、なかったですか」
そう、完全に僕のやりたい事リストの、一行だった。
ウェルバは、グラスを傾けたまま、こともなげに言った。
「余も、どうしてもやりたくなったのだ。許せ」
許す、も、何も。
僕は、もう一度、ハイボールを飲んだ。
炭酸が、舌の上でぱちぱちとはじけた。
なんだか、笑えてきた。
僕は、死ぬまでにやりたい事リストを取り出した。
『覆面剣士として闘技大会に出て、無双し、頂上決戦で〈弱くてあくびが出るわ、お前らまとめてかかってこい〉と言い放ち、全員と乱闘。ルールを破って反則負け。優勝は逃す。夜、酒場で、自分の噂を遠くに聞きながら、ひとりハイボールを飲みたい』
また一行、線で消した。




