表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/14

エルフに弓術を習ってみる

 エルフの弓には、矢がなかった。


 ミユンが見せてくれたのは、細い、白っぽい木。

 胸ぐらいの長さがある、ただの木の枝だった。

 弦は一本張ってある。

 けれど、どちらかというと楽器に見えた。

 矢筒がない。


「矢は、使わない」とミユンは丁寧に教えてくれた。「飛ばすのは、音」


「……音?」


「精霊に、頼んで。音を、飛ばしてもらう」


 彼女は、弓を構えて、黒い弦をすっと引いて、唇を小さく結んだ。


 ぽんっ、と。


 弦を弾く音が、息の塊と共に、唇から飛んだ――ような気がした。


 離れた木の幹で、ばし、と、何かがはじけた。


 樹皮がひと欠片、落ちる。

 まるで弦ではじかれたみたいに、びりびり振動していた。


 ミユンは、弓を下げた。

 ミユンと木の間には、何も見えなかった。


 本当に音だけが、当たった。


「だから、まず」とミユンは僕に弓を持たせながら言った。「精霊と、友だちに、ならないと」


「精霊と……友達……」


 気の遠くなりそうな話だった。

 果たして僕は、生きているうちにエルフから弓術を習う事ができるのだろうか?


 ウェルバはその朝、いなくなっていた。

「少し、野暮用だ」とだけ言って。

 まあ、いつものことだ、と思うことにした。

 彼女は彼女で、死ぬまでにやりたい事をやりたいようにやっているのだ。


 ミユンが近くの空に向かって、何かささやいた。

 言葉ではなかった。風の音みたいな、なにか。


 すると――僕の頬に、ふわっと風が触れた。

 夏でもないのに涼しい風。

 どこか懐かしい風だった。


「この子が」とミユンは言った。「あなたに、興味があるって」

「……この、風が?」

「うん」

「風が、僕に、興味があるって?」

「風は、気まぐれだけど。たぶん、貸してくれる。力を」


 こうして僕は、生まれて初めて、風と友だちになった。

 文字にすると、頭がおかしくなりそうだ。でも、そういうことらしかった。


 エルフの弓の構えは、東洋の弓に似ていた。

 半身になって、的に肩を向ける。弓を高く、頭の上まで上げて、ゆっくり下ろしながら、弦を引き絞る。

 そして、離す。

 びんっと弦を唸らせる。

 それと同時に、唇から、ぽんっ、と息を吐く。

 その息に、弦の音が乗る。


 ――これ、本で読んだことあるな、と僕は思った。


「東洋に、音で鬼を祓う、宮中の儀式があるんです。追儺おにやらい、って。声を上げて、見えない悪いものを、追い払う……」つい、早口になる。「この弓も、たぶん、同じ理屈なんだとしたら――」


「アルス」とミユンが、静かにさえぎった。「しゃべってると、風が、すねる」


「……すみません」


 何日か、過ぎた。

 僕の音は、ときどき当たって、たいてい外れた。


 風の機嫌がいい日は、まっすぐ飛ぶ。

 悪い日は、あさっての方へ、ふらりと逸れる。


 ミユンは、豆をひと掴み撒いて、ぱらぱらっと、散弾みたいに音を乱れ撃った。

 ぱぱぱぱん、と音が鳴り、木の幹が、一斉にはじける。


 僕が同じことをすると、豆は、ただ地面にぱらぱら、と落ちた。

 風は、知らんぷりだった。


 ミユンの教えは、弓の引き方より、風の機嫌の取り方が、ほとんどだった。


「精霊はね」と彼女は言った。「威力も、精度も、その日の、気分しだい。酷使すると、へそを曲げて、力を貸してくれなくなる」


「悪用は?」


「もってのほか。でも、どこからが悪用かは……その子しだい」


 むずかしい。


「だから、ご機嫌を、取るの。好きなものを、聞いて。プレゼント、あげて。手を、尽くす」


 恋人みたいだな、と思ったけれど、言わないでおいた。

 僕に恋人がいたためしがない。


「あと」とミユンは、いちばん大事そうに言った。「精霊が、なにか、知らせてきたら。ちゃんと、返事をして。既読のままに、しちゃ、だめ」


「なにかって……どんな?」


「たとえば」

 彼女は、少し考えて。

「精霊が、こう言ったとする。『あなたは、リンゴを、二個、持っています。市場で、あと三個、買うと、いくつに、なるでしょう』」


「……五個」

「ちがう」

 ミユンは、首を横に振った。

「正しい答えは、『今度、いっしょに、リンゴを、買いに行こうか』」


 僕は、しばらく固まった。

 頭の、どこかのねじが、ぱきっと外れる音がした。


「……それ、は」

「うん」

「……五個では、ない」

「ない」


 わからない。

 まったく、わからない。

 でも、ミユンは、まじめだった。世界でいちばん、まじめな顔をしていた。


 ウェルバが戻ってきたのは、その夕方だった。

 なにか満足げな顔をしている。野暮用が片づいたらしい。


「ふむ。弓を、習得したか」


 彼女は、僕の的を見た。

 半分は、外れている。

 まあ、習得、と言えなくもない。


「しかし」とウェルバは、ふと言った。「その精霊は――森の外まで、ついて来てくれるのか?」


「えっ……そこまで聞かないといけないんですか」


 思わず、言った。

 たしかに本で読んだ正式な精霊契約とは順序が違うのだけど。

 風と友だちになるって、そういうふわっとした話じゃなかったのか。

 ミユンを見ると、こくり、と頷いた。聞け、ということらしい。


 僕は、覚悟を決めた。

 頬の、涼しい風に向かって。


「……はじめて、会ったときから」

 声が震えた。「素敵な、風だな、って、感じていました。僕と、いっしょに――旅を、してくれませんか」


 僕はその場にひざまずいて、風に向かって掌を差し出した。

 風が、ふっと止んだ。

 ミユンが目を閉じて、耳を澄ます。

 そして、静かに通訳した。


「『ごめんなさい。わたしは、森で、生きるので』」


 ……ふられた。

 生まれて初めて、僕は、風にふられた。

 なんだろう。胸の、どこかが、すうっと寒い。

 しかし、これでリストに書かれたやりたい事が一つ達成された。


「『エルフの森で迷い、深部に棲む数百歳の達人に弓を習う。見た目は年下。大恋愛の末、〈私は森に住む者〉と諭されて森を追われ、以後、矢を射るたびに彼女を思って涙する弓の名手となる』」


『森を追われ』

 まで来ている。

 後は僕が弓の名手になるだけだ。


 そのときだった。

 ウェルバが、ひとこと言った。

 にこやかに。それでいて、底の見えない声で。


「――お主も行くよな?」


 風が、びくりと震えた。

 さっきまでの頬の涼しさが、さあっと引いて――それから、おずおずと、戻ってくる。

 ミユンが、また通訳した。

 今度は、少し間があった。


「……『はい、行きます』」


 僕は、ウェルバと風を見比べた。

 さっき森で生きる、と言ったばかりなのに。

 精霊が怯えている。

 ウェルバが笑うと、なぜか、世界のほうが先に折れるらしかった。


「よし」とウェルバは、手を打った。

「では、行くぞ、アルス。仕度をせい」


「……どこに、ですか」


 彼女は、にっと笑った。

 あの、目次を読み上げるときの顔で。


「武道大会だ。三日後、街で開かれる。お主も出場するのだ。――もう、申し込んでおいた」


 頭が、真っ白になった。


 武道大会。

 それも僕の本の知識にある。

 知識にあるどころじゃない。


 寝る前に書いた。僕のリストのいつかの一行だった。


『覆面剣士として闘技大会に出て、無双し、頂上決戦で〈弱くてあくびが出るわ、お前らまとめてかかってこい〉と言い放ち、全員と乱闘。ルールを破って反則負け。優勝は逃す。夜、酒場で、自分の噂を遠くに聞きながら、ひとりハイボールを飲みたい』


 あれを。あのいちばん無茶な一行を。

 この人はまた勝手に本物にしようとしていた。


 半分しか当たらない弓と、しぶしぶ来てくれる風を連れて。

 僕は、武道大会に出るらしかった。

 ――いや、絶対にむりだ。


 風が僕の頬で、ためいきみたいにひとつ鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ