森のエルフ、ミユン
僕は、木の幹に座りこんだまま、話した。
うまくまとまらなかった。
天空城の帰りに、打ち上げで「お前クビな」と言われたこと。
本はどうすると聞いたら、気が向いたら取りにくる、と言われたこと。
工房で、待ったこと。一か月。
来なかったこと。
「だから」と、僕は言った。「届けに、来たんです。彼女の、頼まれた本を。残りの本と、一緒に」
革袋から、無地の革の本を、半分だけ覗かせる。
ミユンは、それをじっと見た。
題のない、表紙を。
「……らしくない」
ミユンは、ぽつりと言った。「ウェルバ、そんな、放り出すような、別れかた、する子じゃ、ない」
子、と彼女は言った。
――この人にとっては、ウェルバは本当に親しい友人なのだろう。
「精霊に、聞くことはできないんですか」と、僕は言った。「ウェルバが、どこに行ったか。風の精霊なら、知っているはず」
「言わない、でしょうね」
ミユンは、首を振った。
「あの子たち、ウェルバのことだけ、ぜんぶ、口を、つぐむの。きっと、ウェルバは、固く、止めている。私にも、自分の居場所が、分からない、ように」
自分の行き先を、唯一の友達のエルフにまで隠している。
――隠したい理由が、あるということだ。
その理由を、僕は考えないことにした。考えると、足が動かなくなる。
ミユンは、しばらく黙っていた。
それから、弓を、ぎゅっと握り直した。
「……わたしの、せいかも、しれない」
声が、小さかった。「あのとき。アルスに、弓を、教えた、とき。わたし、自分のこと、言ったでしょう。ひとけた世紀年代の、ババア、だって」
「……言って、ました」
「あれ、謙遜の、つもり、だったの」
ミユンは、地面の、落ち葉を見ていた。「貴方が、とても、若かったから……。でも、あとで、気づいたの。ひとけた世紀年代ババア、なんて、言ったら――ウェルバまで、一緒に、ババアって、言ったことに、なる、って」
僕は、口をつぐんだ。
「ウェルバの、前で。面と、向かって。私は、アラ1000だけど、ウェルバは、アラ2000なのに……」
ミユンは、ますます、丸くなった。「ひょっとしたら、傷つけて、しまったんじゃ、ないか、って。それで、急に、いなくなった、んじゃないか、って」
――半拍。
あのとき、ウェルバが黙った。
いつも、すぐ言い返す人が、その一拍だけ、何も言わなかった。
森を半分焼いた直後で、僕は、すぐ忘れてしまったけれど。
それから、空の城で。すごいと思う、と言った僕に、彼女は鼻で笑って言った。近ごろの若い竜には、紀元ひとけた世紀ババア、などと呼ばれておる、と。
点と、点が。
いま、線になった。
「……気にしてましたよ」
僕は、言った。「直接は、言わなかったけど。すごい、気にしてた。それ」
ミユンが、顔を上げた。
泣きそうな、笑いそうな、困った顔で。
「やっぱり」
彼女は、両手で、顔を覆った。「やだ。最悪。死ぬほど、気まずい」
「それは……なんというか、やっちゃいましたね」
「うん、やっちゃった」
なんだろう。
とんでもなく古い人たちが、とんでもなくしょうもないことで、傷ついたり、気に病んだりしている。
可笑しくて。
そして、すこし、泣きたかった。
ミユンは、顔を覆ったまま、もごもごと言った。
「……謝りたい、ウェルバに」
「探しに、行くんですか」
「行く」
即答だった。「連れてって」
「いいんですか? 森を見回らなくても」
「正直、言うと、怒られる」
少し、眉がさがったけれど、ミユンの、意志は、曲がらなかった。
「けど、怒られるのが、めんどうな、だけ」
ミユンは、立ち上がって、葉っぱをはらった。「友達の、ためなら。それくらい、なんでもないわ」
彼女は、肩の弓を掛け直した。
ふん、と息をついて。
それでも、もう、森の奥ではなく、外を向いていた。
「アルス、ひとりじゃ。無理、でしょう。さっきの、見たし」
「……返す言葉も、ないです」
「ちゃんと、毎日、お話してる? お供え、してる?」
「あ、挨拶ぐらいは……してます」
頬の風が、ぴゅっ、と不服そうに鳴った。
どうやらそれだけでは不満らしい。
精霊って難しい。
「ごめんね」と、ミユンが風に言った。「もう少し、だけ。付き合って」
風は、しばらくすねていた。
それから、しぶしぶ、僕の襟元に戻ってきた。
――この子は、いつも、しぶしぶだ。しぶしぶ、ついてきて、肝心なときに逃げる。
それでも、戻ってくる。
「ところで」と、ミユンが言った。「ウェルバ、どこに、いそう?」
「精霊が、言わないなら」と、僕は立ち上がった。「自分の足で、心当たりを回るしかないですね」
心当たり。
彼女が行きそうな場所。彼女が好きなこと。
――戦い、だ。
あの人は、強い相手とやり合うのが、好きだった。
「闘技場です」と、僕は言った。「イーサファルトの、武道大会。また、開かれるって、麓の村で、聞きました。もし、彼女が、近くにいたら」
「出てる」
ミユンが、頷いた。「あの子、絶対、出る。賞金とか、関係なく。強そうなの、いたら、混ざりたがる」
「ですよね」
決まりだった。
ミユンが、横に並んだ。
仲間を集めるつもりなんて、なかった。
ただ、心配な人がいて。同じくらい、心配な人が、もうひとり、いて。
気づいたら、二人になっていた。
森の出口で、ミユンが、一度だけふり返った。
奥の、暗がりのほうを。入ってはいけない、と言った、あの方角を。
何も言わなかった。
そして、外へ足を踏み出した。生まれて初めて家出する子のわりには、ずいぶん軽い足どりで。
東の空が、開けていた。
イーサファルトは、その先だ。
弓はいまも、よく外す。
一年も握っているのに。
技芸は長し、人生は短し。
ひとつの技術の勉強は、一生かけても、終わらない。
それでも学ぶことをやめたら、そこまでだから。
半分しか当たらない弓と、しぶしぶの風と、千年もののエルフと。
題のない本を、ひとつ、抱えて。
僕らは、歩きだした。




