表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
18/26

天空城とワードラゴン

 コレットは天文台のところへ、ぱたぱた戻っていった。

 これから始まる泊まりこみの支度がある。

 手を振って、また早口で何か言って、岩のあいだに消えた。


 ウェルバは、彼女についていかなかった。


 崩れた城の、奥へ。コレットが案内した範囲よりも、さらに奥へ。

 彼女は迷わなかった。


 崩れて塞がった通路を、ひとつ手前で曲がる。

 瓦礫の山を、覚えのある足どりで越える。

 どこに何があるか、最初から知っているみたいに。


 ――知っているんだ、と僕は気づいた。

 この人は、この大きな城を、知っている。


 たどり着いたのは、城のいちばん端の、風のよく通る場所だった。

 ふたつの石が、並べて立ててあった。

 角の取れた、低い石。

 墓だ、とすぐにわかった。

 ほかの瓦礫とは、置かれかたが違っていた。


 片方の石の表に、文字が彫ってあった。

 城じゅうにあった、あの無数の言葉とおなじ、ワードラゴンの文字で。


 ウェルバは、その前にしゃがんだ。

 彫られた一行を、指でなぞった。

 それから、ひとりごとみたいに、読みあげた。


「言葉は飛び、文字は残る」ウェルバウォラント、スクリプタマメント(Verba volant, scripta manent)


「余が生まれた時、ウェルバ、と名付けられた」


 僕は、その声を聞いていた。

 ――コレットは、「飛び去り」と訳したけれど。

 ウェルバは、「飛び」と言った。

 きっとドラゴンにとっては、言葉は一緒に飛ぶものなのだ。


「ここは」とウェルバは、石を見たまま言った。「戦のときの、避難所であった。戦えぬ者だけが、上げられた。老人や、子どものドラゴンが」

 風が彼女の髪を、後ろへ流した。

「我ら竜族は、地に降りれば狩られた時代でな。だから降りられなかった。この城に上げられた者は、200年間ここから出られなんだ。――母もそうだ。一度も外へは、出られなんだ」


 母。

 彼女の口から、初めて聞く言葉だった。

 それから、ほんの少しだけ、間があった。


「母は、余が自由に空を飛べるようにと――願った。それだけの名だ」


 僕は、何も言えなかった。

 城から出られなかった竜が、城から出られなかった生涯の中で、生まれたばかりの子どもに、飛べ、と名づけた。


「ウェルバは、ここで生まれたの」と、僕は、やっと、訊いた。


「うむ」とウェルバは、立ちあがりながら言った。「この城が、まだ空にあったころにな」


 恐らく、紀元100年ごろと言った。

 僕は頭の中で、どれくらい長い時間が経っているのかを想像した。

 どれだけの旅をしてきたのか数えて――数えきれなくて、やめた。


「ワードラゴンは最弱の竜でな」と、ウェルバは言った。「天空城が墜落した後も、人間の姿をして、隠れて生き延びてきた……ところがある時、地上で活版印刷が発明されて……飽きるほど本を食いまくっていたら、どんどん巨大化していったのだ」


「活版印刷って……1400年ごろの話?」


「人間ちょろいと思って山に陣取って、国ひとつ支配しておったら、いつの間にか勇者に追い払われておったのだ……それから昔出会ったエルフの伝手を頼りに、また隠れて生活しておった……余の人生など、その程度だ」


「……すごいと思う」


「すごくはない」と彼女は、鼻で笑った。「近ごろの若い竜には、紀元ひとけた世紀ババア、などと呼ばれておるしな」


「あ」と僕は言った。「……じつは、他にも、竜、いるんだ」


「おるとも。地に降りた仲間の、そのまた子や孫がな。みな余よりずっと若い。ずっと達者だ」


 彼女は、ふん、と笑った。


「余ほど古いのは――もう、おらぬ」


 ウェルバはしゃがみ直して、墓の文字を親指でぬぐった。

 長い時間のあいだに、溝に溜まった、苔と、土と。

 それを、ゆっくり、こそげ落としていく。


 本を扱うときの、あの、いちばん丁寧な指で。

 彫られた一行が、また、はっきりと、影を作るまで。


 それから、立ちあがって、いつもの革袋から、一枚の紙を取り出した。

 彼女の、死ぬまでにやりたい事リスト。

 端から消し込まれて、もう、ほとんど、線だらけになったあの紙だ。


 彼女は、そこに新しい線を、一本、引いた。


 ――過去の自分が深く関わった遺跡を見る。


 残りは、ひとつだ。一日じゅう、魚を見て、ぼうっと過ごす。


 僕は、この旅がもう終わりに来ている事を知った。

 エルフの森。闘技場。ジュジューモス。塔。そして今日手に入れた、記念写真。

 もうぜんぶ線が引かれていた。


 冒険者になりたい。

 なった。ウォトラドで、いちばん下の色のタグを、もらった。

 初心者だけで、パーティを組みたい。

 組んだ。Fランクの、バゲットドラゴン団を、ふたりで。

 世界中を、旅したい。

 した。森も、闘技場も、海も、砂漠も――こうして、空の上まで。


 叶ってしまっていた。

 寝る前に書いた、子どもの落書きみたいなあの一行が、知らないうちに、端から端まで、ほんとうに、叶ってしまっていた。


「困ったことになった」と、僕は言った。「あれほど、あったのに。やりたい事リストが――もう、残ってないんだ」


 ウェルバは、しばらく、僕を見ていた。

 琥珀色の目が、風の中で、少し、細くなった。


「やりたい事が尽きたなら」と彼女は言った。「読み返せばよい」

「読み返す?」

「リストというのは、消すためだけのものではないのだ」

 彼女は、線だらけの紙を、ひらりと振った。

「お前のリストは――お前を、もう一度、世界へ連れていくであろう」


 それから、彼女は、こう言った。

 いつもの、偉そうな声で。けれど、いつもより、少しだけ、ゆっくりと。


「余も、お前のリストを、読んでみたい。本にせよ。――余が、大事に、読んでやろう」


 本に。

 僕の子どもの落書きみたいな、あの恥ずかしいメモを。


 けれどきっと、彼女にとっては大事なものなのだろう。

 彼女は言葉を食べる竜、ワードラゴン。

 きっと本がなければ、生きていけない。


「綴じます」と、僕は言った。「ちゃんと、いいやつに」


「うむ。頼んだ」


 ウェルバは、ふたつの石を、もう一度だけ、見おろした。

 何か言うかと思った。

 言わなかった。


「用事も済んだ」と、彼女は言った。「帰ろうか」


 帰ろう、と彼女は言った。

 自分の生まれた家から、去る決意をして。


 僕らは、墓に背を向けて、遺跡から立ち去った。

 風が後ろから、吹いていた。

 ぬぐったばかりの文字が、夕方の光を受けて、影を深くしている。


 僕らは、コレットのいる天文台へと降りていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ