天空城で記念撮影をする
研究者たちの基地は、雲を抜けた岩の尾根の上にあった。
石を積んだ低い建物が、風をよけるように身を寄せ合っている。
いちばん高いところに丸い屋根。あれが天文台だと、コレットが教えてくれた。
星を見るのが、ここの本業なのだという。
そこへ天空城を調べる隊や、彼女みたいなドラゴン学者が、半年ぶんの荷物といっしょに相乗りでついてくる。
半年。コレットは、これから半年、この風の中で寝起きする。
そう言うわりに、彼女はちっとも心細そうではなかった。
むしろ、はしゃいでいた。
「いやあ、助かりました、ほんとに! あのデスアサート、ぜったい死んだと思いましたもん私! お礼に――そうだ、よかったら、城、見ていきます? 護衛さんは中まで入れないことになってるんですけど、私が案内すればいいんですよ、研究員の付き添いってことで。せっかく登ってきたんだし、ね!」
城。
借り物のカメラの紐が、肩にぐっと食いこんだ。
僕のリストの、残された最後の一行。
それが、すぐそこにある。
尾根のむこうに、それは横たわっていた。
空に浮かんでいたという城が落ちて、半分、山にめり込んでいる。
崩れた塔。傾いだ壁。
屋根のあったあたりには、もう空しかない。
長い時間が、角という角を丸くなめてしまっていた。
人の住む場所では、もうなかった。
ただの、大きな石の骨だった。
コレットはその骨の中を勝手知ったる様子で進みながら、しゃべり続けた。
「ここね、竜が住んでた城なんですよ。っていうか、竜のための城。空を飛んでた時代、ここで竜が生まれて、ここで竜が死んでた。揺りかごでもあり、お墓でもあったわけです。――でも、不思議なんですけど」
彼女は崩れた壁を指でなぞった。
「城が落ちて、竜たちが地上に降りてからの行方が、ぜんぜん、わからないんです。記録が、ぷっつり途切れる。死んだ竜の骨も、地上ではほとんど見つからない。
それで――伝説だと、竜は、死ぬときが近づくと、誰にも見せずに、どこか遠くの『竜の墓場』っていう場所へ、ひとりで向かって、そこで、ひっそり息を引き取るんだ、って」
風が崩れた窓を、ひゅう、と鳴らした。
僕はウェルバを見た。
彼女は聞いていないみたいな顔で、傾いだ柱を見上げていた。
いつもの横顔だった。
ドラゴン学者が、ドラゴンを案内しながら、ドラゴンの死にかたを語っている。
僕だけが、それを知っている。
あと数年。
さっき死神が置いていった言葉が、コレットの『竜の墓場』に、すうっと重なった。
僕は何も言わなかった。
背中のカメラの四角い角を、ただ肩で感じていた。
奥へ進むと、壁という壁に文字が彫ってあった。
崩れた柱にも、傾いだ梁にも、足もとの敷石にまで。
ぎっしりと、隙間なく。
ほとんどは風に削られて、もう読めない。
それでも、ところどころ、溝の深いものが影を作って残っていた。
「すごいでしょう、この数」とコレットが、得意げに言った。「ワードラゴンと言って、言葉を食べる竜がいたんです。格言とか、ことわざとか、戒めとか、誰かの遺した一言とか。
城じゅう、どこもかしこも、言葉だらけ。だから私たちの隊は、半分、古い言葉の解読が仕事みたいなものなんですよ。『驕る竜の火は続かぬ』とか、『蔵書を数えよ』とか――訳すと、けっこう人間くさいのも、あって」
言葉だらけの、城。
書いて、彫って、刻んで、残そうとした者たちの住んでいた場所。
本を綴じて暮らしてきた僕には、なんだかひとごとと思えない眺めだった。
その、おびただしい言葉のなかの一行に、目が留まった。
門の横木の、削れ残った溝。
ほかのどれより、なぜか、はっきりと影を落としていた。
「ああ、それ」とコレットが言った。「それは訳すと――『言葉は飛び去り、書かれたものは残る』」
言葉は飛び去り、書かれたものは残る。
僕はその一行を、しばらく見ていた。
ほかにも数えきれないほど彫ってあるのに、なぜ、その一行だけがこんなに気になるのか。
自分でも、うまくは言えなかった。
けれども胸のいちばん奥のあたりが、わけもなく、すこし騒いだ。
ウェルバはその門をくぐらなかった。
くぐる手前で足を止めて――その一行ではなく、壁じゅうのおびただしい言葉の、ぜんぶを見渡していた。
長いこと、ただ見ていた。
それから、ふ、と息を吐いた。
何か言うのかと思ったけれど、言わなかった。
「あ、そうだ!」
コレットの声が、しんとした空気を、ぱっと払った。「写真! 撮りましょうよ、その大きいカメラ。せっかくのいい場所ですよ、私が撮りましょうか?」
僕はわれに返った。
そうだ。ここには記念撮影をしに来たんだ。
布をほどいて、カメラをコレットに渡す。
ウォトラドのギルドからもらった、最新型のカメラだ。
使い方を教えると、彼女は目を輝かせて何度もうなずいた。
「ウェルバも、一枚いる?」と、僕は訊いた。
「余はよい」と、彼女はあっさり言った。「絵姿というのは、皆が長いこと身じろぎもせず立っておらねばならぬのだろう。一枚撮るだけで、もうくたびれてしまう。二度もお主らにそれをさせるのは、気の毒であろう」
古い写真のことを言っているんだな、と僕は思った。
何時間もかけて像を焼きつける、あのダゲレオタイプの。
「最近のはすぐに撮れるから心配いらないよ……まあ、撮ってみせた方が早いか」
訂正は、しなかった。
いま僕の頭にあったのは、ただ、この一枚をちゃんと撮ることだけだった。
「ほら、お二人、並んで並んで。崩れた壁、背景にして。はい、寄って!」
コレットの指揮で、僕はウェルバの隣に立った。
ウェルバはやけに背筋をのばして、息まで止めて、神妙な顔でじっと固まった。
一枚でちゃんと写してやろう。そう気合を入れているらしかった。
「撮りますよー。はい」
ぱしゃ、と軽い音がした。
箱の横から、白い紙がすうっとせり出してくる。
コレットが、それをぱたぱた振った。
じわじわと、像が浮かんできた。
崩れた壁。傾いた光。
そのまんなかで、糸みたいに背筋をのばして、やたら神妙な顔で固まっているウェルバ。
その隣で、戸惑い顔の僕。
ウェルバがその紙を横からのぞきこんだ。
目がまんまるになった。
「……なんと」と彼女は言った。「もう、できておる。半日も立っておらずとも、よかったのか」
「うん。すぐ写るやつだから」
「すぐ。ほんとうにすぐだな」
彼女はしばらく、その一枚を食い入るように見ていた。
それから――顔を、ぱっと上げた。
「余も欲しい!」
……はじまった。
『墜落した天空城で、記念写真を撮る』
僕がリストに書いた、僕のやりたい事。
それが、いつものように――乗っ取られた。
「コレットさん、すみません。もう一枚……」
「ぜんぜんいいですよー! はい、もう一回ね!」
コレットは、ふたたびカメラを構えた。
ウェルバが僕の肩にばしっと腕を回した。
今度は、もう、背筋なんかのばさなかった。
崩れた壁を背に、にっと歯を見せて笑った。
「撮れ! 今度こそ、余の、いちばん良い顔である!」
ぱしゃ、と、もう一度、軽い音がした。
できあがった二枚目を、彼女はしげしげと眺めて、満足そうに、ふんと鼻を鳴らした。
そして、いつも本を挟んでいる革袋の、いちばん奥に、それをそっとしまった。
大事な蔵書みたいに。
集めてきた宝物の、ひとつみたいに。
僕は自分の一枚を手のひらに乗せた。
背筋をのばした、神妙な顔のウェルバと、戸惑った僕。
複製のできない、世界に一枚の、まぬけな写真。
それでも僕は、それを、荷物のいちばん潰れないところにはさんだ。
門の上の、削れ残った一行が、僕らの頭の上で影を作っていた。
言葉は飛び去り、書かれたものは残る。
この写真も、たぶん残るものだろう。
僕らは、一枚ずつ、別々にしまった。
不意に飛び去ってしまわないように。




