フルコースモンスターその5
墜落した天空城は、誰でも見に行ける場所ではなかった。
ずっと前から、知っていた。
立ち入り禁止の、高い山の上。
入るには、お上の許しを得た学者の隊について、その護衛として登るしかない。
リストにそう書いたときから、行き方だけは調べてあった。
叶うはずのない夢の、道順だけを。
だから、依頼の貼り紙を見つけたのは、僕だった。
半年交代で泊まりこむ研究隊を、山の基地まで送り届ける護衛。
報酬は安い。山は険しい。
ウェルバに見せると、彼女は中身も訊かずに「行こう」と言った。
彼女のリストには、線の引かれていない項目が、まだ二つ残っている。
一日中魚を眺める。
遺跡を見る。
いずれも、僕がいなくても一人で叶えられそうな項目だった。
借り物のカメラを、背負った。
冒険者ギルドから借りた、魔石仕掛けの、ずっしりと重い箱。
布で何重にもくるんで、背の真ん中に固定する。
山道でぶつけて壊したら、けっこう高くつく。
『墜落した天空城で記念写真を撮る』
僕のリストの、世界遺産巡り集。
その、いちばん最後の一行。
僕は、この山を登りきったら、自分のリストが、ほとんど終わってしまうことを知っていた。
旅の初めなら、こんな道、ひとことも黙っていられなかったと思う。
すれ違う鳥の名前を、岩に生えた苔の種類を、見たそばから図鑑のように並べ立てて、ウェルバにうるさがられて。あのころの僕なら。
いまは、口が重い。背中のカメラの重さだけを、ずっと数えながら登っていた。
黙ってしまった僕の代わりに、しゃべる人がいた。
「あっ、見てください見てください、あの稜線! あれが学説でいう『折れた竜骨』ですよ、城が落ちたとき地面に刺さった外壁の名残だっていう説と、いや単なる断層だっていう説があってまだ決着がついてないんですけど、私は刺さった説を推してて――」
研究隊の、いちばん若い学者だった。
コレット、と名乗った。
ドラゴン学が専門だという。
背中に背負った荷物より自分のほうが小さいんじゃないかというくらいの、ちんまりした娘で、口だけは、登り坂でもいっこうに止まらなかった。
「お二人は冒険者さんですよね、護衛の。すごいなあ、私こんな山、護衛なしじゃ絶対来られないので。あ、そちらの方、すごく強そう! 腰のそれ、ダンジョンコアの破片でしょう、本物初めて見ました、ねえそれどこの――」
ウェルバに向かって、目を輝かせている。
ウェルバは、機嫌よさそうに「うむ」とだけ返した。否定も、肯定も、しなかった。
ドラゴン学者が、ドラゴンを前にして、強そうな冒険者の姉ちゃんだと思っている。
僕は、何も言わなかった。言えるはずもなかった。
ただ、コレットが、止まらない口で岩や鳥の名を並べ立てるのを聞いていると――胸の奥が、くすぐったいような、すこし、痛いような、へんな心地になった。
まるで旅の初めの僕みたいだ。
その鳴き声に気づいたのは、コレットだった。
「……あっ。あっあっ、フロメイジだ!」
岩陰に、ちんまりとした影がいた。
まるい体に、まるい耳。
鼻先をぴくぴくさせた、ねずみみたいな獣人。
手に、ちいさなチーズのかけらを抱えて、こちらを見て、ふるえている。
僕は、思わず、口の中で唱えていた。
――フロメイジ。チーズの精のような小型種。臆病で、弱い。
僕の愛読書だと、こいつは物語の真のラスボスだった。
すべての黒幕で、ヴィンランドラゴンを倒した主人公の前に、ぱちぱちぱち、と拍手をしながら現れる。
『いやぁ、じつにいいものを見させてもらったよ』
と言いながら、最後に正体を現して主人公の前に立ちはだかる……はずなんだけど。
おそらく、物語の中盤でドラゴンを出してしまった作者が、もう一段上の敵を出さないとと考えて、設定を盛ったんだろう。
現実のフロメイジは、自分が抱えたチーズを取られると思ったらしく、ぷるぷる震えて、半泣きで、後ずさりしていた。
黒幕の威厳は、どこにもなかった。
「かわいい〜〜!」
コレットが、両手を口に当てて、しゃがみこんだ。「だいじょうぶだよ、なんにもしないよ、そのチーズはきみのだよ」
フロメイジは、それでも、信じなかった。
追いつめられた小動物が、最後にやることを、やった。
ちいさな両手を、ぱん、と打ち合わせて――何かを、呼んだ。
空気が、つめたく、よどんだ。
岩陰の影が、すうっと伸びて、人の背丈の、二倍ほどになった。
黒い、ぼろきれのような衣。
落ちくぼんだ眼窩の奥に、青白い火。
手には、長い柄の、刃物。
「デ……」と、僕は言った。「デスアサート!」
――死神。僕の本だと、フロメイジが呼び出す、おそろしい使い。
鑑定魔法でこちらの能力をはかり、寿命を言い当ててくる。
『お前の命はあと数時間だ……なぜなら今から我がお前の命を刈るからだ』
そう言って、襲い掛かってくる。
こいつが出てきたら、もう、誰かが死ぬ合図だ。
来た。とうとう。本物の。
「下がれ、アルス殿」
ウェルバが、僕の前に、一歩、出た。
剣を抜いて、いつもの退屈そうな顔で、死神を、見上げた。
デスアサートの、青白い火が、ふっと、揺れた。
刃物が、止まった。
落ちくぼんだ目が、ウェルバを、上から下まで、なぞる。
なぞって――それから、すうっと、後ろへ引いた。
「ふむ、お主の寿命は――あと数年だ。ではな」
青白い火が、ふっ、と消えた。
予言だけして、ぼろきれの衣が、岩のあいだに、するすると引っこんでいく。
フロメイジも、きゅーきゅー鳴き声をあげて、逃げてしまった。
あとには、登り坂と、つめたい風だけが、残った。
「……いまの、何だったんですか!?」とコレットが、しゃがんだまま、声を裏返らせた。「デスアサートが、自分から退散するなんて、文献で読んだこともない! ねえ、あなた、いったい何者――」
ウェルバは、もう歩きだしていた。
「さあな。腹が減った。基地は、まだか」
いつもの、豪快な声だった。何も、変わっていなかった。
僕は、その背中を、見ていた。
あと数年。
死神が天気みたいに置いていったその言葉。
彼女は、聞かなかったみたいに登っていく。
コレットは、まだ何かわめいている。
僕は、背中のカメラの紐を、握りなおした。
布の下の四角い角が、肩に食いこんでいた。
記念写真。あと一行で終わる、僕のリスト。
彼女の腰で、コアの破片が、揺れていた。
日に当たると、禍々しいくせに、きれいな色をしている。
その色のことだけを、僕は考えるようにした。
山頂は、まだ、雲の中だった。




