フルコースモンスターその3
世界中を旅している間に、ウェルバはダンジョンをいくつか攻略していた。
どうやら腰にさげているコアの破片はお気に入りで、手放したくないらしい。
資金が必要になるたびに、ご当地ダンジョンのコアを破壊しては、調達してくるみたいだった。
その噂は冒険者たちの間に広まっているらしく、ウォトラドのギルドから、使いが来た。
ウェルバに褒美を渡したいのだという。
なんでも観光のあいだに、彼女の等級が上がっていたらしい。
僕たちバゲットドラゴン団の等級は、いつのまにかAランクになっていた。
奥の部屋に通されると、偉い人たちがずらりと並んで座っていた。
みんな、なんだか顔色がよくない。
僕はまた何か悪いことでもしたのかと、身を縮めた。
ウェルバは平気な顔で、いちばん上等な椅子にふんぞり返っている。
その褒美が、船だったのだ。
「立派な船を一隻、お貸しいたします」と、いちばん偉そうな人が言った。「腕利きの船乗りも、何人か」
ウェルバが目を輝かせた。
「船! 余に、船をくれるのか」
「ええ。ですから――どうか、遠くの地へ」偉い人は額の汗を拭いた。「ウォトラドから遠ければ遠いほど、ありがたく。その、くれぐれも当ギルドのダンジョンには、お手を触れずにいただけますと……」
なるほど、と僕は思った。
追い払われているのだ。
ウォトラドまでダンジョンコアを壊されては、たまらないから。
なんせ、ダンジョンの素材で経済が回っている迷宮都市だもの。
けれど、ウェルバにはそう聞こえなかったらしい。
「任せておけ」彼女は胸を張った。「余の名は、いずれ海の向こうまで轟くであろう。世界中のダンジョンを攻略してやろう」
偉い人たちが顔を見合わせた。
誰も、何も言わない。
たぶん、早く帰ってほしかったのだと思う。
***
そんな出来事があって、僕たちは船を手に入れていた。
世界旅行をするときに、船はとても活躍してくれた。
馬車だと24時間走れないし、雨が降るとぬかるみにハマって動けないこともしょっちゅう。
けれど船は休みなく、延々と動き続ける乗り物だ。
陸路で2週間かかる道のりも、海路だと5日ですんだ。
船長のヴィンチェは、100年前の大航海時代から続く、船乗りの家系だった。
「冒険者を乗せるのは、わしの親父の代以来だ」
ヴィンチェは髭を撫でた。その目が、ウェルバを見てすこし揺れる。
ダンジョンをひとつ潰したという噂は、すでに聞いているらしかった。
畏れと、憧れの入りまじった目だ。
ウェルバはそれを、まんざらでもなさそうに受けていた。
若いのが、ニコ。舵を取る。とにかく、よくしゃべった。
「ねえ、ダンジョンの最深部って、どんな感じなんですか? 怖いモンスター、出ました?」
「えっと、僕は、まだ入ったことが――」
「ええっ、冒険者なのに!?」
……返す言葉もなかった。
もう一人は、ロサ。女の人で、銛を肩に担いでいた。
あまりしゃべらない。
出港の支度をしながら、海の先を一度だけ見て言った。
「この先は、女どもの縄張りでね」声は低かった。「あいつらは、海ん中から来る。気をつけときな」
それだけ言って、また黙ってロープを巻きはじめた。
僕たちの船は、サンタ・ルチア号といった。
三枚の帆がふくらんで、港町が、後ろへゆっくり遠ざかっていく。
錆びた環の並ぶ桟橋が小さくなって、やがて海に溶けた。
船長にウェルバが示した行き先は、地中海の真ん中あたり。
ティレニカ海を渡った先の、灰の島の近海だ。
ティレニカ海は、おだやかだった。
荒れる海を覚悟していた。本では、海はいつも荒れるものだったから。
けれど来る日も来る日も、海はただ青いだけだった。
風はあたたかく、波はゆるい。退屈なくらい、平和だった。
船旅の間、ウェルバは甲板で本を読み、僕は書いていた。
メモ帳を開いて、ひたすら書いていた。
この帳面は、もとは妄想ばかりだった。
行ったこともない森のこと、会ったこともない達人のこと、倒したこともないモンスターの倒し方。
隅に小さな字で、ぎっしりと。
今は、ちがう。
本当に行った森のことを書いた。弓を教わったエルフのこと。ドワーフの王と飲み比べて、三杯で潰れたこと。砂漠で十回死んだこと。
妄想を、現実が追い越していく。書いても書いても、追いつかなかった。指が痛くなるまで、書いた。
「また書いておるのか」
いつのまにか、ウェルバが覗きこんでいた。僕はあわてて帳面を閉じる。
「な、なんでもないです」
「ふん」
彼女はそれ以上、聞かなかった。すこし笑って、自分の本に戻っただけだった。
海が変わったのは、十日ほど過ぎた頃だった。
灰の島が見えてくる、すこし手前。
海のあちこちに、何かがぷかぷかと浮かんでいる。
丸くて、鍋のようなものを抱えていた。
「ポタージュゴンだ」と、僕はつい立ち上がった。
知っている。これも本で読んだ。また、早口になる。
「弱いモンスターなんです。鍋で貝とか海藻とかを、ぐつぐつ煮てて。海流のあちこちに、機雷みたいに浮かんでる。鍋を割らなければ、おとなしいんです。でも――割ると、ものすごく怒る。いっせいに、寄ってくるんです」
「割ると怒るのか」
「はい。だから、絶対に鍋を割っちゃ、だめで」
ヴィンチェが舵を握りなおした。
「そのとおりだ。だからこの海は面倒でな。大きな船は、こいつらのあいだを縫って進むしかない。ひとつでも鍋を割れば、その日から延々と戦い続ける羽目になる」彼はにやりとした。「だが、あんたら冒険者だ。ポタ獣ぐらい、なんとかなるんだろう?」
その目が、また期待で光っている。
僕は弓を握った。手のひらが、汗で滑る。
武道大会のことを思い出した。
あのとき、僕は一度も弓を引けなかった。
風がずっと、ムリと言ったきりで。
「……ねえ」と、頬の風にそっと聞いてみた。ウェルバが横で耳を傾ける。通訳のためだ。
「あのポタ獣、そっとずらせる?」
風が、頬をくすぐった。ウェルバが、ふ、と笑う。
「『それくらいなら、やってみる』――だ、そうだ」
僕は弓の弦を、めいっぱい引いた。
ねらいは、ポタ獣のすこし横。
激しい音を当ててはいけない。振動で鍋を割ってはいけない。
ただ、押すのだ。
息を、ふーっと吹きながら、弦をゆっくり押すように戻した。
原理は変わらない。
弦の運動が風をまとって飛ぶ。
そしてポタ獣のすぐ脇をかすめた。
ふわ――、とやわらかい風が、その丸い体を押す。
ポタ獣は鍋を抱えたまま、文句も言わずに、すうっと横へ流れていった。
道が、ひらいた。
「やった……!」
声が出た。ニコがわあっとはしゃぐ。
「すげえ! 今の、すげえ!」
ウェルバは何も言わず、ただうなずく。その、うなずきが、なんだかうれしかった。
僕は次々、風を吹かせた。
ポタ獣がひとつ、またひとつと横へよけていく。
サンタ・ルチア号は、ゆっくりとその道を進んだ。
ところが、ある時から行く手のポタ獣が、押しても押しても動かない。
「あれ……? 動かない!」
もう一発。もっと強く。
それでもその一匹だけは、その場でぷるぷる震えるばかりで、頑として、どかなかった。
「ああ」と、ニコが舳先から覗きこんだ。「こいつ、海藻に絡まってら。ポタ獣はときどき、海藻に体をくくりつけるんですよ。潮に流されないように。そうなると、てこでも動かねえ」
道がふさがっている。
このまま直進したかったけれど、迂回しないといけない。
少しの進路変更も、大きな船にとっては結構大変だった。
ウェルバが立ち上がった。
「なに、簡単な話であろう。海藻を切ってくればよい。ちょっと待っておれ」
言うが早いか、彼女は船べりに足をかけ、ためらいもなく海へ降りていった。
軽い水音がした。ウェルバが、浮かぶポタ獣を踏み石のように渡って、行く手の一体へと進んでいく。
他にも海藻に絡まっている奴がいないか、行く先を見て回っていた。
あんなに軽々と。――本当に強い人だ。
ヴィンチェも、ニコも、ロサも、みんなが彼女の後ろ姿を見ていた。
船の上の誰も、彼女から目を離さなかった。
だから、誰も、反対側を見ていなかった。
ふと、海が静かになった。ポタ獣の鳴き声も、波の音も、すうっと引いていく。
いやな静けさだった。
どこからか飛んできた釣り糸が、僕の服に絡まった。
体が、ふわりと宙に浮く。引き上げられたのではない。引きずられたのだ。船べりへ、海のほうへ。
「いかん!」とヴィンチェが叫んだ。けれど、遅かった。「ポワゾネスだ!」
水面が、黒く盛り上がった。
ひとつ、ふたつ、ではない。
船をぐるりと囲んで、海の中から、いくつもの影が浮かび上がってきた。
濡れた髪を後ろになでつけた、女たちだった。
息継ぎの音もない。波も立てない。ただ静かに、僕たちを取り囲んでいる。
いつから、そこにいたのか。
地中海の海賊、ポワゾネスだ。
大きな船では通れないポタ獣の隙間を、小さなカヌーですり抜けて移動するという。
「アルス!」
ウェルバの声が、遠くでした。
けれど、間に合わない。
彼女が戻ってくるあいだに、女たちはとっくに海へ消えるだろう。
僕は、海に引きずり込まれた。
メモ帳が、甲板に落ちた。ぱさ、と。書きかけのページを、開いたまま。
冷たい水が、ぐん、と僕を呑みこんだ。
光が、上へ、遠ざかっていく。




