62-1
作戦が始まってから、どれくらい経ったかわからない。
時間の感覚なんてとっくに溶けていた。わかるのは、足が軋んでいること。短剣を握り続けた右手の指がもう言うことを聞かないこと。息を吸うたびに喉の奥が焼けて、煙の味しかしないこと。
それだけで——たぶん、かなり長い間戦っている。
ドォン! ドォン!
砲弾が着弾する轟音が腹の底を揺らした。続けざまにもう一発。火薬の匂いと焦げた鱗の異臭が混じって、吐き気がこみ上げる。
「ヴォアァァァッ‼︎」
アメリア姐さんの咆哮が空気ごと肌を叩いた。鼓膜の奥が痺れて、一瞬だけ世界が無音になる。それでも足を止めなかった。止められなかった。止まったら、次の瞬間には振り落とされるか、踏み潰されるか——どちらにしても、終わりだ。
狙いはわかっている。あの肩に突き刺さったままの短剣。姐さんが刺した、あの一本。
目的地は見えているのに、酷く遠い。
巨体が揺れるたびに足場が消える。鱗が剥がれた箇所に手を突き込んで体を固定したかと思えば、次の瞬間には尾が薙いでくる。頭では「避けろ」とわかっていても、体がついてこない。膝が笑っている。肺が潰れそうだった。
『何をしている! 早く上に上がれ!』
小型無線機から、オズの声が鼓膜に刺さった。冷静で、淡々としていて、戦場の真っ只中にいるとは思えないような声。
「し……ぜー……したい、けどっ……はー……」
肩で息をしながら、声を絞り出す。それだけで喉が裂けそうだった。ポケットから引っ張り出したハンカチを口元に押し当てて、少しでも煙を吸わないようにする。布越しでも熱い空気が肺に流れ込んで、咳き込んだ。
限界なんてとっくに超えている。けど、超えたところで体は止まらなかった。止まれなかった。だって——あの肩の短剣まで、あと少しなのに。
不意に、空気が変わった。
アメリア姐さんの巨体を這い上がりながら顔を上げると、視界の端で——喉が、光っていた。
内側から赤く。
溶岩のような光が、透き通った鱗の隙間から脈打つように滲み出している。見覚えがあった。ホーソーン地区の一角を焼け野原に変えた、あの前兆。あの光。
そして、その光が向かっている方角は——
オズたちがいる方だった。
頭が真っ白になった。考えるより先に体が動いていた。
「——だめっ!」
剥がれた鱗の隙間から覗く赤黒い肉に、短剣を振り下ろした。
鈍い手応え。肉を裂く感触が柄を通じて掌に伝わってくる。温かい液体が刃を伝って指先を濡らした。
「グォッ……‼︎」
アメリア姐さんが身を捩った。
喉の光がぶれる——矛先が、こちらに向いた。
呼吸が止まった。
短剣を引き抜く。同時に、足元の鱗を渾身の力で蹴った。体が宙に浮く。その直下を炎の奔流が薙いだ。
熱。
全身の皮膚が悲鳴を上げる熱さだった。髪の毛先が焦げる匂い。頬の表面がひりひりと灼ける。あと半瞬でも遅れていたら、体ごと蒸発していた。
避けれた。
崩れかけた鱗の突起に指を引っ掛けて、なんとか体を支える。腕が千切れそうに痛い。視界がぼやける。でも、しがみついた。
『マティア!』
無線機越しのオズの声。いつもより、ほんの少しだけ声色が鋭かった。
その声に重なるようにして、遠くから別の声が聞こえた。
「——打てっ!」
憲兵の号令。直後に、連続する砲声が夜を割った。
ドォンッ! ドォンッ! ドォンッ!
ブレスを放った直後のアメリア姐さんに、砲弾が立て続けに叩き込まれる。肩に。脇腹に。首の付け根に。着弾のたびに鱗が砕けて宙に弾け飛び、青黒い破片が炎の光を受けて煌めきながら散った。
「グオオォォォ……ッ‼︎」
怯んだ。
巨体が大きくよろめいて、足元の建物が踏み潰される。崩落の轟音と粉塵が噴き上がる中、私はしがみつく力を緩めなかった。揺れが全身を叩く。歯を食いしばって、ただ耐えた。
揺れが——少しずつ収まる。
アメリア姐さんの動きが、明らかに鈍っていた。
砲撃の蓄積。自分の鉤爪で抉った傷。そして、私が切りつけ続けた無数の裂傷。その全部が重なって、あの巨大な体を確実に蝕んでいる。
『アメリアが疲弊している——今だ、行け!』
オズの声が、無線機越しに響いた。
わかっている。行くなら今しかない。
大きく息を吸った。煙混じりの空気が肺の奥まで入り込んで、咳が込み上げる。それを飲み込んで、渾身の力を両脚に込めた。
鱗を蹴った。
体が跳ぶ。
剥がれた鱗の位置を目で追いながら、露出した肉に短剣を突き立て——それを支点にして、さらに上へ駆け上がる。引き抜いて、蹴って、跳んで、刺して。その繰り返し。機械みたいに体が動いていた。
足が速い。
自分でも驚くほどに、体が軽かった。
さっきまで遠く感じていた姐さんの肩が——今は、もう目の前にある。
突き刺さったままの短剣の柄が見えた。竜になる前、姐さんの肩に突き立てられた刃。青黒い鱗の隙間から、柄だけが僅かに覗いている。
手を伸ばす——。




