61-2
「ひんぎゃあああああ!」
「ギャオオオオオオッ‼︎」
アメリアの体にしがみついたマティアの情けない絶叫と、それを振り落とそうとするアメリアの咆哮が重なって、ホーソーン地区の夜空に響き渡る。
地面が揺れる。建物の破片が足元に降ってくる。その中を走りながら、小さな無線機を前もって外しておいたことに小さく安堵した。
正解だった。つけたままだったら確実に鼓膜がやられていた。
崩れかけた路地を抜けると、視界が一気に開けた。焼け落ちた建物の残骸が散乱する広場の中央に——ヘンリーが立っていた。
立っている、という表現が正しいかは怪しい。右目を潰され、左腕はあらぬ方向に曲がったまま垂れ下がっている。膝が震えていた。それでも崩れずに立っているのは、もう意地だけだろう。
「ヘンリー!」
名前を叫んで駆け寄る。残った左目がこちらを捉えて、踵を返した彼の表情が歪んだ。安堵ではなかった。怒りだった。
「な、んで……彼女をっ……頼むと……」
声が掠れている。ほとんど音になっていない。喉の内側が焼けているのだろう。それでも絞り出すように言葉を吐く姿に、僕は一瞬だけ足を止めた。
マティアを安全な場所に置いてくるよう頼んだはずなのに僕が彼女を戦場に連れてきた——彼が怒る理由は理解できる。
だが、今はそれに構っている時間がない。
「喋るな。その重体のままでいると死ぬぞ」
正論を返すと、ヘンリーの顎がぐっと引き締まった。言い返したいのだろう。だが声が出ない。その一瞬を見計らって、畳みかけるように続けた。
「憲兵を数人借りたい。砲弾を打ち込み続けてアメリアの鱗を剥がす——マティアが突き刺さった短剣を抉った瞬間に、僕が弱点の喉に砲弾を叩き込む」
砲弾。その単語に、ヘンリーの眉がぴくりと動いた。
残った左目が、訝しげにこちらを見つめている。砲弾を撃つ大砲がどこにある——そう言いたいのだろう。当然の疑問だ。
説明するより、見せた方が早い。
僕は何もない空間に向かって右手を翳した。
一瞬——視界の端を、蝶が横切る。
淡い青色の翅が炎の赤を反射して、夜の中で一瞬だけ煌めいた。それを合図にするように、僕の掌の先で空気が歪み始める。
青白い光が明滅する。その光の中で、金属の部品がひとりでに組み上がっていった。砲身が伸び、車輪が嵌まり、照準器が据えつけられる。部品が部品を呼ぶように、虚空から次々と物質が構築されていく。
数秒。
何もなかった石畳の上に、大砲が一門——完全な形で出現していた。
ヘンリーが、口を半開きにしたまま固まっている。
その表情を見て、鼻で笑った。そういう反応をされることは、わかっていた。
「……君は……一体っ……」
掠れた声を喉の奥から絞り出すように、ヘンリーが問う。半壊した体で、それでもなお問わずにはいられないという顔をしていた。
それでも、僕は涼しい顔のまま彼を見据えて口を開いた。
「自己紹介はもう済ませたはずだぞ。僕は春の都『カプシリアン』のロード代理——オズワルド・ウィズダムだ」
呆れたように言い切って、視線をアメリアの方へ向ける。
巨大な竜が咆哮を上げながら体を揺すっていた。しがみついたマティアを振り落とそうとしているのだろう。鉤爪が自らの体表を薙ぐ。その度にマティアが悲鳴を上げながら身を翻して——避けた。
避けている。あの巨体の上で、鉤爪の軌道を見切って、避けている。
だが、それだけではない。アメリアが自分を引き剥がそうとして振るった爪が、自らの鱗を抉っていた。青黒い鱗の欠片が砕けて宙に舞い、炎の光を受けて煌めきながら地面に降り注ぐ。
マティアが攻撃を避けるたびに——アメリアが自分自身を傷つけていく。
作戦通りだ。
マティアがパーカーの内側から短剣を引き抜くのが見えた。剥がれた鱗の下、露出した赤黒い肉に向かって、その刃を突き立てようとしている。
僕は無線機を耳に付け直した。ノイズ混じりの音が鼓膜に飛び込んでくる。
「——さぁ、反撃の開始だ」




