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夜なのに、空が赤かった。
渋滞で止まった車の窓から、ホーソーン地区の方角を眺める。遠くの空が橙色に滲んで、煙が夜気に混じりながら上へ上へと昇っていく。炎が反射しているのだろう、雲の裏側までぼんやりと赤く染まっていた。地区を出ようとする住民たちの車が連なって、クラクションと怒声が夜の通りに溢れている。普段は静かなこの道が、今夜だけは別の場所みたいだった。
「——会長。渋滞で前に進まないわ」
後部座席の窓から身を乗り出したニーナが、眉根を寄せながら振り返った。メガネのフレームが車内のライトを鈍く反射している。いつも冷静な彼女にしては珍しく、焦りが顔に出ていた。
「だよなー。やっぱ早く出るべきだったか」
彼女の隣でセドリックは頬杖をついたまま、足を組んで窓の外を眺めていた。
「だよなって……今が緊急事態だってわかってる?」
「わかってるって」
ニーナの言葉に、けれど声のトーンは変えずに返す。
遠くの空が、また一段赤くなった気がした。
「部隊は先に行ったけど……ほとんど立ち往生しているんじゃ」
ニーナが不安げに前方を見る。連なる車の列は一向に動く気配がない。運転手が困り果てたように何度もサイドミラーを確認している。
セドリックは窓の外に視線を向けたまま、ぽつりと言った。
「そういえばさ。前に女の子とデートした時、ホーソーン地区の街並みが見える絶景スポットに案内したことがあったんだよ」
「……? 急にどうしたの」
ニーナが訝しげに眉を寄せる。それでも彼は気にせずに続けた。
「まぁ、“色街を絶景スポットにするなんて!“って怒鳴られたけど」
肩をすくめて、軽く笑う。
「懐かしいなー。いい思い出はないけど、また行きたいわ……こっからどうやって行けたっけ」
ニーナが黙った。
窓の向こうで、また誰かのクラクションが鳴った。怒声が重なって、そのまま夜に散っていく。ニーナはしばらく前方を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「……待ってて」
それだけ言って、瞼を閉じる。
車内が静かになった。クラクションの音も、怒声も、遠のいていくように感じた。
しばらくして、ゆっくりと目がわずかに開く。柳緑色の瞳が、淡く光を帯びた。
「あそこの通りを迂回して左をまっすぐ。その後、信号を曲がって二十分で着くわ」
セドリックは運転手に向き直った。
「聞こえました? あそこの通りを迂回して」
「は、はい……」
戸惑いながらも運転手がハンドルを切る。車が狭い通りへ滑り込んで、喧騒が遠ざかっていく。
セドリックは何も言わなかった。
窓の外、暗い路地が流れていく。遠くの空の赤さだけが、いつまでも視界の端に残っていた。
(——マティア)
静かにあの泣き虫な少女の名前を心の中で唱える。
車は静かに、目的地へ向かって走り続けた。




