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アメリア姐さんの絶叫が夜を引き裂いた。
石畳の上に膝をついたまま、私はただ呆然とその声を聞いていた。ホーソーン地区の夜は深く、街灯の橙色の光が濡れた石畳に滲んでいる。野次馬たちが遠巻きに囲む中、その輪の中心で——アメリア姐さんは初めて見る顔で泣いていた。
いつも凛として、誰よりも強くあろうとしていた彼女が。
胸の中でエリスが動かない。体温が少しずつ失われていくのを感じながら、それでも私は手を離せなかった。こんなに小さかったんだと、今更気づく。エリスの頰に私の涙が一粒落ちて、静かに伝った。
声をかけることができなかった。かけたところで、この悲しみを癒せる言葉など私には一つも持っていないとわかっていたから。
「——マティア‼︎」
背後から聞き覚えのある声が飛んできた瞬間、力強い両手が私の肩を掴んだ。
はっと我に返る。
オズだった。息を切らして駆けてきた彼の顔が目の前にあって、私は初めて自分が何をしていたのかを理解した。
少し遅れてヘンリーさんが嘆くアメリア姐さんのそばに膝をつき、その肩をそっと抱いた。
「救急隊は何をしている! 早くこの子を病院に運べ!」
ヘンリーさんの一喝が夜気を震わせる。その剣幕に押されるように、固まっていた救急隊員たちが我に返って一斉に駆け寄ってきた。エリスを囲む人の輪ができて、誰かが私の腕に触れた。
——それでも、手が離せなかった。
体が震えていた。指先がエリスの服を強く掴んで、引き剥がそうとする手に抗うように力が入る。
「オズ——エリスっ……エリスがっ……」
声が震えた。涙がとめどなく溢れて、視界が歪む。こんなにも言葉が出てこないのは生まれて初めてだった。
オズはしばらく言葉を詰まらせた。けれど、まっすぐに私の目を見据えると、迷いのない声で言った。
「……大丈夫だ。必ず助かる」
その言葉が、震えていた体の芯に静かに刺さった。
息を呑む。震えが少しだけ落ち着いて、救急隊員たちが私の腕からエリスをゆっくりと引き離していく。脈を測る指先、慌ただしく動く手、呼びかける声。その光景を遠くから見ているような感覚で、私はただ石畳の上に座り込んでいた。
「アメリア、大丈夫だ……エリスちゃんは無事だからっ」
ヘンリーさんがアメリア姐さんの顔を覗き込んで、必死に声をかけている。
けれど——アメリア姐さんは、ただ虚ろな瞳で石畳を見つめていた。
その唇が、かすかに動いている。
「……なんでっ」
喉の奥から這い出るような、低い声だった。
「私が……何をしたっていうのよっ」
「……アメリア?」
ヘンリーさんの声に緊張が滲む。私も息を止めた。
あの穏やかなアメリア姐さんからは、想像もつかない声だった。ひどく冷たい何かが、その言葉の奥に潜んでいる。まるで長い時間をかけて積み重なってきたものが、今この瞬間に決壊しようとしているかのような——。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
「……? マティア?」
オズが私の異変に気づいて顔を覗き込む。無意識に胸を押さえていた。心臓がうるさいほど鳴っていて、頰に熱が集まってくるのがわかる。
「はぁ…はぁ…っ」
息が浅くなる。
アメリア姐さんを見ているだけで、なぜこんなにも体が騒ぐのかわからなかった。ただ、この感覚にはどこか——既視感があった。
(そうだ……初めて、アメリア姐さんを好きになったあの時と)
あの日も、同じだった。胸が痛いほど騒いで、頰が熱くなって、息の仕方を忘れた。
なんで。
よりにもよって、こんな時に。
エリスが倒れて、アメリア姐さんが壊れていく、最悪のこの夜に——それでも私の目は彼女から離せなかった。苦しんでいるはずなのに。泣き崩れているはずなのに。そんな姐さんが、街灯の橙色の光の中で、恐ろしいほど美しく見えた。
恍惚としたまま姐さんを見つめていると——彼女の唇が震えた。
「私は……ただっ……ただっ!」
「! アメリアっ!」
ヘンリーさんが声を上げた次の瞬間、アメリア姐さんの全身に鱗が生え始めた。露わになった腕の皮膚が隆起し、指先が鉤爪の形を取り始める。手首に嵌められていた手錠が——能力を抑制するはずのそれが——甲高い音を立てて、あっけなく砕け散った。
遠くに逃げていた野次馬たちの悲鳴が上がる。人の輪が一気に後退した。
「——ただ! 娘たちと一緒に平和に暮らしたかっただけなのに‼︎」
——その言葉がすべての引き金だった。
アメリア姐さんの体が急速に膨れ上がる。身につけていた藍色のドレスが急成長に耐えられずに裂け、広がっていく鱗がその傷ついた肌をみるみるうちに覆っていく。街灯の光が、青黒い鱗の一枚一枚に反射して、夜の中に不気味な煌めきを散らした。
「アメ……リアっ」
ヘンリーさんが呆然と呟く。その声には、もう指示を出す余裕すら残っていなかった。
彼女の瞳が金色に輝く。体がみるみるうちに大きくなって、ホーソン地区の夜空に向かって聳え立っていく。その影が、その場にいた全員を飲み込んだ。
「——総員! 退避っ‼︎」
ヘンリーさんの怒声が響いた瞬間、憲兵も救急隊員も一斉に地面を蹴った。逃げ惑う足音と悲鳴が夜に溢れる。アメリア姐さんの——もういや、あれを姐さんと呼んでいいのかもうわからない——その大きな体が外壁に激突して、石造りの壁が崩れた。砕けた瓦礫が石畳に降り注ぐ。
「マティア! 何をしている、行くぞ‼︎」
オズの叫び声が聞こえた。
けれど私は——動けなかった。
石畳の上に座ったまま、体が言うことを聞かない。恐怖で足がすくんでいるのか、それとも目の前に聳え立つその姿から目が離せないのか、自分でもわからなかった。たぶん、どちらも本当だった。
「……アメリア……ねえ……さん」
自分でも驚くほど掠れた声が出た。
青黒い鱗に覆われた竜を見上げながら、私はその名前を呼んだ。夜風が頰を撫でる。街灯の光が遠く、その巨大な影の中で私はひどく小さかった。
金色の瞳がギョロリと、私たちを見下ろした。
「……ねえ、さん……」
もう一度、呼んだ。震えた声だった。
青いドラゴンは鼻息を一つ鳴らして、その金色の目をすうっと細めた。そして——その大きな尻尾を、こちらへ向けて振り下ろした。
「マティア‼︎」
オズの声で我に返った。
咄嗟に立ち上がって、全力でオズの体を突き飛ばす。彼が遠くの石畳に尻餅をついた、その瞬間——。
全身に、今まで感じたことのない衝撃が走った。
意識が、遠くなる。
石畳の冷たさだけが、最後にかすかに残った。




