表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

73/113

51-1

 気づいたら、人だかりができていた。


 石畳の上に滲む街灯の光の中、ホーソーン地区の住人たちがこぞって集まって、ざわざわと声を上げている。憲兵たちが捜査網を張って見物人を遠ざけながら、救急隊が慌ただしく動き回っていた。マダムを含めた娼婦たちは、すでに連行されていった。


 救急隊から渡されたブランケットを肩に羽織ったまま、私はその光景をぼんやりと見つめていた。


 足が、動かなかった。


 促されても、錘がついたみたいにその場から離れられない。人の声が遠くに聞こえる。街灯の光が石畳の隙間をなぞるように滲んで、秋の夜気が頬に貼りついていた。


「……アメリア、大丈夫かい」


 ヘンリーさんが、アメリア姐さんの顔を覗き込みながら声をかけた。


 肩に私の短剣が刺さったままの姐さんは、救急隊の治療を受けながら——それでも、苦笑を浮かべていた。手錠をはめ直された両手が、静かに膝の上に置かれている。


「ヘンリーさん……私は連続殺人犯よ。心配される筋合いはないわ」


「……確かに、君はリッパーだった」


 ヘンリーさんは目を伏せた。それから顔を上げて、まっすぐ姐さんを見据えた。今にも泣きそうな顔で、それでも迷いのない声で言った。


「——けど、君を愛していることに変わりないよ」


 息を、呑んだ。


 ヘンリーさんの手が、そっと姐さんの手を引き寄せる。その甲に、唇をかすかに寄せた。副隊長として言うべきでないことくらい、彼もわかっているはずだ。それでも彼は今、憲兵ではなく——ただ一人の男として、そこにいた。


「何年経っても構わない。その病が治るまで——俺は、君のそばにいるよ」


 迷いのない言葉だった。


 姐さんの金茶色の瞳が揺れた。貫かれたように、ゆっくりと揺れた。やがてその顔がくしゃりと歪んで、今にも崩れそうな表情のまま、それでも懸命に笑おうとしていた。


「……ありがとうっ」


 絞り出すような、掠れた声だった。


 その笑顔が——どうしようもなく美しかった。


(……ああ、敵わないなぁ)


 喉の奥が、焼けるように熱くなる。目の奥が、じわりと滲んだ。こぼさないようにと思っても、涙は勝手に頬を伝っていく。石畳に落ちて、夜の光に一瞬だけ光って、消えた。


 アメリア姐さんの隣は、ヘンリーさんが相応しい。


 そう認めてしまった瞬間——私の失恋が、静かに確定した。


「うぅっ……」


 袖で目元を押さえていると、ふと視界にくすんだ金色が映り込んだ。顔を上げると、深緑色の瞳とまともに目が合った。


「何を泣いている。どこか痛いのか」


「な、なんでもないっ」


 慌てて涙を拭う。オズが私の視線の先を一瞥して、「ああ」と短く呟いた。


「失恋が確定したのか」


「す、ストレートすぎない……?」


「遠回しな言い方は嫌いだ」


 オズらしい物言いに、つい苦笑が漏れた。それから、彼の頬に貼られたガーゼが目に入って、眉を下げる。銃弾が掠めた傷だ。救急隊に治療してもらったのだろう。


「……治療、大丈夫だった? 痛くなかった?」


「僕を子供扱いするな。……お前は?」


「わ、私は大丈夫。どこも怪我してないから」


 おずおずとそう答えて、安心させようと笑って見せた。ちゃんと笑えているだろうか——そう思った瞬間。


「……気持ち悪い」


「ふぎゃっ!」


 怪訝そうに眉を顰めたオズが、吐き捨てるようにそう言って——私の頭に、両手を乗せた。ぐりぐりと、乱暴に撫でる。


「か、髪がっ……ぐちゃぐちゃになるっ」


「そんな不細工な顔をするからだ」


「理不尽っ!」


 涙目になりながら、あたふたと手を宙に彷徨わせた。止めさせようとして——その時、彼の声が耳を掠めた。


「……よくやった」


 平坦な声だった。それでも、どこかだけが柔らかかった。


「——っ」


 手が、止まった。


 その一言が胸の奥に落ちた瞬間、ずっと張り詰めていた何かが、音もなくほどけていく気がした。また涙が込み上げてきて、こぼさないように咄嗟に俯いた。


「……ずるいよ、それ」


 しゃがれた声が、勝手に出た。


 オズはそんな私を見下ろして——柔らかく、口角を上げた。


「僕は事実を言ったまでだ」


「……へへっ」


 思わず、笑みが溢れた。


 事件は、終わった。たくさんのものを傷つけて、失くして——それでも、終わった。これからどんな困難が待ち受けているかわからないけれど、今この瞬間の静けさだけが、その不安をやわらかく覆ってくれていた。


「——マティア」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ