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「謝って済むと思っているの?」
殺気を帯びた目が、アメリア姐さんを睨みつけている。けれど姐さんは首を振った。
「……いいえ、思っていないわ。それ相応の罰は受ける」
そう言って、姐さんはゆっくりと立ち上がった。手錠で拘束された両手を後ろに垂らしたまま、まっすぐマダムへ歩き始める。
日が沈みかけた路地の空気が、重く冷えていた。
ホーソーン地区の石畳は昼間の温もりをとうに失って、灰色の冷気だけが足元に澱んでいる。建物の狭い隙間から覗く空は深い橙から藍へと溶け変わりかけていて、街灯に火が入るにはまだほんの少し早い時間帯だった。遠くで誰かの足音がして、また消えた。ここには人がいない。いつもなら娼館の入り口に明かりが灯る時間のはずなのに、この路地だけが、静まり返っていた。
マダムは動いていなかった。
呆然とキセルを落として、目を見開いたまま、アメリア姐さんを見つめていた。その栗色の瞳が——小さく、揺れた。
「……まさかそこまで馬鹿だとはね」
ぽつりと、かすれた声が落ちた。
「どきな。邪魔しなければ、この坊ちゃんの能力でリッパーの正体は消える。そうだろう」
「……いいえ、マダム」
アメリア姐さんはゆっくりと首を振った。一歩、また一歩。歩みは止まらない。
「たとえオズくんの能力が本当にそうだとしても——周りはすぐに私たちを見つけるわ」
マダムがビクッと体を震わせた。オズに向けていた銃口を震える手でアメリア姐さんへ向ける。
「動くな」
低い声だった。
それでも、姐さんは止まらなかった。
「っ——!」
乾いた音が、路地に弾けた。
銃弾がアメリア姐さんの脇腹を掠めた。薄い布地が裂けて、赤い線が走る。姐さんが一瞬だけ体を傾けた——その瞬間、ヘンリーさんが駆け寄って体を支えた。
「アメリアっ!」
「——大丈夫」
今にも泣きそうな表情のヘンリーさんに、姐さんは静かに首を振った。痛みに顔を歪めながら、それでも足を前に向けた。
ヘンリーさんに支えてもらいながら、歩き続ける。
マダムの手が、わずかに震えている。さっきより動作がぎこちなかった。銃を構え直そうとして、指先が滑る。
「動くんじゃないよ! じゃないと——っ」
「……撃てばいいわ」
アメリア姐さんの声が、路地に響き渡った。
静かだった。力強かった。あれだけ血を流して、顔を青くしながら——それでも揺るがなかった。
「エリノア・アッシュクロフト」
アメリア姐さんが、静かにマダムの名前を呼んだ。
マダムの体が、ビクッと強張った。一歩だけ後退した足が、石畳に乾いた音を立てる。それでも姐さんは歩みを止めず、やっとの思いでマダムの前に立った。
「もうやめて自首しましょう……私はあなたのそばにいるから」
マダムは息を呑んだ。
銃口が、わずかに下がった。
「……本当は」
アメリア姐さんの声が、やわらかくなった。
「あなたも、こんなことはしたくなかったでしょう?」
静寂が、落ちた。
長い沈黙だった。マダムの明るい栗色の瞳が大きく揺れて、何かを言おうと口が開きかけた。でも言葉は出てこなかった。路地の冷気だけが、二人の間を流れていく。
やがて——マダムの手から、銃がゆっくりと落ちた。
乾いた音が石畳に跳ねて、消えた。
「……ありがとう」
アメリア姐さんの声が、夜の空気に溶けた。
その瞬間、隙を伺っていた憲兵たちが動いた。マダムと、イザベル姐さんを取り押さえる足音が路地に響く。金属が触れ合う音がして、かちりと手錠が鳴った。
「マティアっ」
後ろから声がした。振り返ると、オズがこちらに駆け寄って私を石畳から起き上がらせた。珍しく、心配するように深緑色の瞳がこちらを見ている。
けれど私の意識は——そこにはなかった。
ヘンリーさんの胸の中で崩れ落ちていくアメリア姐さんの姿が、目から離れなかった。
藍色のドレスに広がる赤。乱れた金色の髪。ヘンリーさんが名前を呼びながら彼女を支えていて——アメリア姐さんは、それでもまだ、微笑もうとしていた。
(——姐さん)
涙が、また溢れた。
こうして——リッパー事件は、幕を閉じた。




