49-1
短剣が、ズレた。
マティアに振り下ろそうとした娼婦の手が咄嗟に離れて、刃先が向きを変える。
姐さんの肩から鈍い音がした。肉を裂く、小さな音。
「——っ」
アメリア姐さんが顔を歪めた。肩口に短剣が刺さったまま、それでも姐さんは倒れなかった。血が藍色のドレスに滲んで、じわりじわりと広がっていく。痛みを堪えるように唇を噛むその横顔が、石畳の上に落ちる最後の光を受けて、ひどく白く見えた。
路地が、凍りついた。
誰かが息を呑んだ。娼婦の一人が小さく悲鳴を上げて、憲兵たちが一斉に体を硬くした。
「アメリア!」
ヘンリーさんの叫びが路地に弾けた。駆け寄ろうとする白い軍服が目の端に映る。けれど姐さんは顔を上げて、静かに首を振った。
「来ないで!」
「——っ」
懇願するような声だった。それでいて、揺るがなかった。
「お願い。ケジメを付けさせて」
ヘンリーさんが足を止める。青い瞳が見開かれたまま、震えている。やがて彼は俯くと、下唇をきつく噛んで、ただ、そこに立った。
「……ありがとう」
アメリア姐さんが、ほんの少しだけ表情を緩めた。
私はそれを見て——また、涙が出てきた。自分でも止められなかった。
「ぁ……姐さん……肩……血、手当しないとっ」
声が震えた。情けないくらい、震えていた。アメリア姐さんは首を振って、まっすぐ私を見た。
「……マティア。ごめんなさい」
その声が、また揺れた。今にも崩れそうなのに、必死に堪えているような笑顔だった。傷を負って顔を青くしながら、それでもぎこちなく口角を上げているその顔が——胸の奥を、ぎゅっと締め付けた。
「あの時、わかっていたの。マダムの意図も、エリスが何をしようとしているのかも。……なのに保身のために、あなたを切り捨てようとした。母親失格だわ」
息を、呑んだ。
その告白が石畳の上に落ちて、音もなく転がっていく。私は目を見開いたまま、首を何度も横に振った。涙がまたこぼれて、視界が揺れる。
「どうかエリスを許してあげて。あの子はただ私を守ろうとしただけで、本当はあなたのことが大好きなの。……恨むなら、私を恨んで」
「違う……姐さん、私は——」
母親失格なんかじゃない。恨んでもいない。あの時、目を逸らされて悲しかった——それでも、ずっと。
言葉が喉の奥で詰まって、出てこなかった。姐さんが静かに首を振って、私の言葉を遮ったから。
代わりに、その金茶色の瞳が——娼婦たちへと向いた。
「……私っ、悪くないっ……ごめんなさいっ、私……っ」
私に短剣を振り下ろした娼婦が、うわごとのように呟きながら体を震わせていた。まるで壊れた人形みたいに小刻みに揺れ続ける彼女に、アメリア姐さんはゆっくりと近づいた。
一歩、また一歩。血の滲むドレスの裾が、石畳を擦る。
「大丈夫。あなたは何も悪くないわ」
やわらかい声だった。傷を負っているのに、どうしてそんな声が出るのだろう。娼婦がビクッと肩を跳ねさせて、弾かれたように顔を上げる。信じられないものを見るように、目を見開いていた。
アメリア姐さんはその顔を見て微笑んだまま、今度は路地全体を見渡した。
「……みんな、私とマダムのせいで迷惑をかけてごめんなさい。けど——こんなことは、正しくない。そうでしょう?」
「——正しくないことだってことはみんなわかってる」
イザベラ姐さんの声が、鋭く飛んだ。




