48-2
目が覚めた時、お母さんはいなかった。
枕に顔を埋めたまま、ぼんやりと天井を見つめる。窓の外は暗かった。どれくらい眠っていたのだろう……もうすぐ夜になる。ホーソーン地区ではお店が賑わう時間なのに、どこまでも静かに感じられた。
……甘い匂いがする。
お香の、あの匂い。最近お母さんが毎晩炊くようになった、少し重たくて甘ったるいそれが、部屋の隅々まで漂っている。眠っている間もずっとそこにあったはずなのに、気づいたのは今になってからだった。
(……お母さん、いつ出かけたんだろう)
布団をめくって体を起こす。フローリングに足の裏をつけると、夜が近いせいか冷たさが足首から這い上がる。
立ち上がろうとして、ふと気づいた。
頭がぼんやりする。
——前にもこんなことがあった。
霧の中にいるみたいな感覚が、ここ最近ずっと続いていた。夢と現実の境目がわからないような、何か大切なことを忘れているような——もやがかかって、何も掴めない。
(昨日……私、泣いていた気がする)
なんで泣いていたのか、わからない。
指先で目元を触ると、乾いた跡があった。確かに泣いた。でも理由が出てこない。記憶の端を引っ張ろうとするたびに、するりと逃げていく。
お香の甘い匂いが、また鼻腔をくすぐった。
——ふわりと、頭の芯がほどけるような感覚がした。
(……あれ)
思考が、また薄くなる。眠れていたはずなのに眠い。立っているのに、床が遠い気がする。
「……お母さん」
名前を呼んだ声は、自分でも驚くくらい小さかった。
返事は来ない。
部屋の中はしんと静まり返って、お香の煙だけが空中をゆっくりと漂っている。それを目で追いながら——なぜか、胸騒ぎだけがした。
理由はわからない。何も思い出せない。それなのに、体だけが知っているみたいに、心臓がやけにうるさく打っていた。
着替えるのも忘れて、ベッドから立ち上がった。
廊下に出ると、外の空気がお香の匂いを押し流した。冷たい朝の空気が頬を打って、少しだけ頭が覚める。
(お母さんを、見つけないと)
その思いだけが、ぼんやりとした頭の中で、唯一はっきりしていた。
裸足のまま廊下を歩き出す。フローリングの冷たさが足の裏に伝わってくる。
窓の外、夜を迎える前のホーソーン地区は、まだ暗かった。




