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 銃声が、止んだ。


 耳の奥にまだ残響が鳴っている中、路地の入り口から憲兵たちの声が飛んできた。


「——全員確保!」


 どっと肩の力が抜ける感覚がした。これ以上あの音を聞かなくていい——そう思ったのは、ほんの一瞬のことだった。


 連行されてくる人影を見た瞬間、その安堵は音もなく砕けた。


「……エミリー姐さん?」


 声が、震えた。


 銃を取り上げられ、手錠をはめられながら引き出されてくるその顔を、私は知っていた。クイーンズ・ヘイブンで何度も笑い声を聞いた、あの顔だった。歪んだ表情で石畳を踏む足元が、普段の優雅な姿とかけ離れていて——見ていられなかった。


「セリーナ姐さんも……」


 二人だけじゃなかった。


 次々と現れる顔に、見覚えがある。ある人は唇を噛んで俯き、またある人は憲兵の腕を振り払おうと身をよじっている。夕暮れの残光が石畳に溶けかけた路地で、見慣れた顔がどんどん増えていく。


 喉の奥が、詰まった。


 「なんで……っ」


 問いが宙に浮いたまま、誰も拾ってくれなかった。娼婦たちは私と目を合わせようとしない。憲兵たちは粛々と仕事を続けている。路地の湿った空気が、かえってやけに静かだった。


 隣でオズが目を細めた。観察するような、しかし驚きのない目だった。ひとつ小さく息をついて、独り言のように呟く。


「……やはり、な」


「え……それって——」


「アメリア!」


 声が飛んできた。


 路地の入り口から走り込んでくる人影を見て、咄嗟に私は身を引いた。肩が石壁に触れる。アメリア姐さんの隣から、一歩だけ遠ざかった。


 息を切らして駆け寄ったヘンリーさんが、そのまま姐さんの両肩を掴んだ。


「どうしてそんな格好を——誰かに嵌められたんだろう? 何か言ってくれ」


 私は今まで、ヘンリーさんのこんな声を聞いたことがなかった。いつも穏やかで、節度があって、静かな人。それなのに今は、眉を震わせながら縋るようにアメリア姐さんを見つめている。


「アメリアっ」


 名前を呼ぶ声が、痛かった。


 姐さんは俯いたまま、何も答えなかった。


 石畳の上で、黒いケープの裾だけが夕風にわずかに揺れていた。その沈黙が——答えだった。逃れようのない、答えだった。


 目の奥が熱くなる。唇を噛む。それでも涙が出てしまって、私はそっと顔を逸らした。


 ヘンリーさんの青い瞳が、細かく揺れているのが見えた。姐さんの肩を掴んでいた手が、力を失ったようにゆっくりと下りていく。


 その手が石畳のそばで止まった瞬間、路地全体がしん、と静まり返った気がした。夕暮れの最後の光が建物の輪郭を赤く縁取って、その先の空は濃い藍色に変わりかけている。人の声がしない。足音もしない。まるで、この路地だけが世界から切り取られてしまったみたいだった。


 ——そこへ、オズが口を開いた。


「……何を嘆いている。彼女がリッパーだったことが、そんなにショックか」


 淡々とした声だった。責めているわけでも、慰めているわけでもない。ただ事実を確認するような、乾いた声。


 ヘンリーさんが顔を上げた。青い瞳の奥に、感情が渦を巻いている。


「当たり前だ」


 押し殺した声だった。


「こんな状況で平然としていられるわけないだろ」


「はぁ……」


 オズが短くため息をついた。肩をすくめて、髪をかき上げる。そのくすんだ金色が夕暮れに紛れるように揺れて、深緑色の瞳だけがまっすぐヘンリーさんを見据えた。


「仮にも憲兵を率いる副隊長だろ。まだ真犯人を捕まえていないんだから、しっかりしろ」


 沈黙が、落ちた。


 ヘンリーさんが、瞬きをした。信じられないものを見るように、口が小さく開く。


「……なんだって?」


 そのヘンリーさんの声と重なるように——アメリア姐さんの肩が、ビクッと揺れた。


 俯いたまま、顔は見えない。それでも私には、彼女の体がわずかに強張ったのがわかった。


 オズが続ける。


「アメリア・ウィットモア。お前は確かに人を殺した」


 直接的な言葉だった。誤魔化しも、配慮もない。路地の石畳の上に、その言葉だけが転がった。


「——だが、お前の意思で殺したのはチャールズ・クロウだけだ」


 息を、呑んだ。


「他の男たちは、お前の意思で殺していない。殺すように命じたのは——」


 乾いた音が、炸裂した。


 石壁に火花が散る。


「オズっ!」


 体が動いていた。気づいた時には、石畳を蹴って彼に向かって踏み出していた。


 けれどオズは片手でそれを制した。振り返らないまま、銃弾が飛んできた方向へ顔を向ける。


 路地の奥。日が沈みかけた藍色の闇の中に、人影があった。


 オズの頬に、細い赤い線が走っていた。


 ——かすった。


 心臓が嫌な音を立てて脈打った。それでも彼は、ゆっくりと口角を上げた。


「はは。大元の登場だな……そうだろ——」


 笑い声だった。けれどその瞳は、ちっとも笑っていなかった。ただ静かに、深く、路地の闇を見据えている。


「マダム・アッシュクロフト」


 ヒールの音が、石畳に響いた。


 コツ、コツ、コツ。


 規則正しく、冷たく、それだけが夜の路地に刻まれていく。その音を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが這い上がってきた。無意識に、オズの袖を掴んでいた。


 影の中からマダムが現れた。


 キセルを指に挟んだまま、紫煙をゆっくりと吐き出しながら歩いてくる。栗色の切れ長の瞳が、感情を一切乗せずにオズを見据えていた。普段と何ひとつ変わらない、あの顔で。


 路地全体が、凍りついた。


 誰かが息を呑む。ヘンリーさんが動く気配がした。憲兵たちが一斉に体を硬くする。


 それでも、マダムは足を止めない。


 夕暮れが完全に落ちる直前の藍色の空の下、石畳の上で——あの人は、ただ静かに立っていた。

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