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事情聴取が終わったのは、夜が深くなってからだった。
憲兵詰所を出ると、秋の夜気が頬を刺すように冷たかった。石畳の上に街灯の光が滲んで、遠くで誰かの話し声がして、また消えた。エリスの小さな手が、コートの裾をきゅっと握っている。それだけを確かめながら、私は歩いた。
家に帰り着いた時、エリスは何も言わなかった。
靴を脱いで、廊下を歩いて、自分の部屋へ向かう。その一連の動作が、まるで糸で引かれているみたいに、ただ機械的だった。声をかけようとしたけれど——何を言えばいいのか、言葉が見つからなかった。
エリスの部屋は、小さかった。
飾り気のない白い壁に、窓際に置かれた木製の小棚。その上に、二人で選んだ陶器の小鳥が並んでいる。クイーンズ・ヘイブンの華やかさとは無縁の、静かで小さな空間。お香立てに火が入っていて、甘い煙が部屋の隅までゆっくりと満ちていた。
ベッドの上でエリスは横になっていた。
いつもサイドテールにしている茶色の髪を下ろして、膝を胸元まで引き寄せて、小さく丸まっている。虚ろな大きな瞳がシーツの模様を映したまま、動かない。夕食も手をつけなかった。何度か声をかけたけれど、返事はなかった。
——ただ、いる。
それだけだった。
「……エリス」
名前を呼ぶ。
返事は来なかった。
お香の甘い匂いが、鼻の奥をくすぐる。それを確かめてから、私はゆっくりとベッドの縁に腰を下ろした。エリスの背中が、わずかに揺れる。
布団をそっとめくって、中に入った。
冷えた小さな体を、後ろからそっと抱き寄せる。エリスが私の胸の中に収まる。髪に顔を埋めると、石鹸のやわらかい匂いがした。
「大丈夫よ……私が必ず守るから」
自分でも驚くくらい、落ち着いた声が出た。
芯だけを残して、やわらかく。そう言い聞かせるように、抱きしめる腕に力を込めた。
脳裏に、今日の光景が何度も戻ってくる。
ヘンリーさんの真摯な青い瞳。広げられた黒い布地。エリスの震える肩と、しゃっくりで割れた声。そして——マティアの顔が、浮かんだ。
助けを求めるように揺れていた、あの真紅色の瞳。今にも泣き崩れそうなのに、それでも笑みを作ろうとしていた、あの表情。
私が目を逸らした瞬間の——あの顔が、頭から離れなかった。
わかっていた。全部、わかっていた。
あの子が何をしようとしていたか。誰を守ろうとしていたか。どれほどの覚悟で、あそこに立っていたか。
それでも——エリスが泣いていた。
エリスの嗚咽が聞こえた瞬間、体が勝手に動いていた。マティアへ向けていた視線が、気づいた時にはもうエリスだけを映していた。咄嗟のことで、無意識で——でも、言い訳にはならない。
瞼をきつく閉じる。
暗闇の中で、遠ざかっていく二人の背中が浮かぶ。オズに手を引かれて、一度も振り返らずに歩いていったあの後ろ姿。後を追う憲兵たちの足音。石畳の上に伸びた、長い影。
謝れなかった。
呼び止めることも、できなかった。
「……うぅっ……お母さん」
胸の中で、エリスが声を漏らした。
小さな手が、私の背中に回る。衣服をきつく掴んで——爪が、食い込んだ。
「——っ」
鋭い痛みが走った。
息を呑む。でも、腕は緩めなかった。何事もなかったように、そっとエリスの頭を撫でた。柔らかい髪が、指の間をすり抜けていく。
「大丈夫よ。何も考えなくていいの……ね、全部忘れて」
やわらかく囁く。
「だって……私……っ」
エリスが言いかけて、止まった。
続きは来なかった。だんだんと体の力が抜けていく。撫でるたびに呼吸が深くなって、やがて寝息に変わった。
しばらく、そのまま動かなかった。
お香の煙が、静かに揺れている。窓の外では秋の風が木の葉を鳴らして、また静かになった。エリスの温かさだけが、腕の中にある。
もう一度、強く抱きしめた。
「大丈夫よ、エリス……大丈夫。お母さんがいる」
声が、少し震えた。
「——何があっても、あなたを守ってみせるわ」
言葉が部屋の静けさに溶けていく。
エリスは眠ったまま、動かなかった。
私はしばらく天井を見つめていた。お香の甘い匂いが、鼻の奥に残っている。
マティア。
心の中だけで、その名前を呼んだ。
返事は来ない。来るはずがない。
それでも——ごめんなさい、という言葉だけが、暗い天井に向かって、静かに溶けていった。




