32-2
絶叫が部屋に轟いた。
腰が抜けた。扉に背をつけたまま、床にずるずると崩れ落ちる。顔から血の気が引いて、心臓が喉まで飛び上がりそうだった。プルプルと震えながら見上げると、人形棚の前で人形を一体手に取っていた青年が——呆れたように片眉を上げて、こちらを見下ろしていた。
「な、な、なんで……なんでいるにょっ」
「店にお前がいなかったから」
「け、けどっ、ここ女子寮……!」
「それにしても、気味の悪い部屋だな」
「無視⁉︎」
開け放たれた窓に視線を向ける。数日前とまったく同じ侵入経路だった。
息を整えながら立ち上がり、おそるおそる部屋に入って扉を閉めた。振り返ると——まだいる。幻覚ではなかった。天を仰いだ。
「すごいな、細部までこだわっている」
オズは涼しい顔で感心したように、手に持った人形——お姉ちゃんを上下にひっくり返している。やがてその視線が胸元の刺繍に向いた。次の瞬間、下着部分の縫い目まで確認しようとしているのが見えて——私は悲鳴を飲み込みながら飛びつき、その人形をもぎ取った。
「お願いしましゅ……帰って……」
「僕が帰れと言われて帰った試しがあったか?」
「………ない」
「そういうことだ」
顔が燃えるように熱い。羞恥心が全身を焼いている。うずくまりたい衝動を押し殺しながら懇願するも、彼はどこ吹く風で肩をすくめた。
「……はぁ、まぁいい。お前に聞きたいことがある」
短く息を吐いた彼は、しかし流すように腰に手を当て、まっすぐこちらを見据えた。
「ベルナイトの花を知っているか?」
「べ、ベルナイト……?」
聞き覚えのある名前に、涙が引っ込んだ。呆然と彼を見つめ返すと、オズは目を細めたまま続けた。
「毒草だ。精神の鎮静作用として医療に使われるが、過剰に用いると記憶が混濁する」
「な、なんでいきなりその話……⁉︎」
突拍子もない話題に唖然としていると、彼は一歩こちらに踏み込んだ。
「……お前からその花の香りがする。なぜだ」
「え、えっと……」
問い詰めるような声色に、言葉が詰まる。思わず自分の袖口に鼻を近づけたが、よくわからなかった。
「……多分、誰かの香水が移ったんだと思う。この地区でベルナイトを使った香水が流通してたから」
「……してた?」
私の言葉尻に、彼の眉がわずかに動いた。訝しげに片眉を上げるオズに、おずおずと続ける。
「う、うん。媚薬作用があるからみんな使ってたんだけど……数年前に娼婦の健康被害が相次いで回収されたの。みんな記憶があやふやになっちゃって」
「……なるほど」
オズが顎に手を添えて考え込む。その横顔を、私は居心地悪そうに見つめていた。
しばらくの沈黙の後、彼が顔を上げた。
「香水が移ったということは、まだ地区に残っているのか?」
「あ、ううん。ほとんど回収されたよ……けど、香り自体がいいから手放していない人もいるのかも」
通りがかった花屋のものかもしれない——そう考えて、自分を納得させた。
「……あ、けど花自体は綺麗だから、よく花壇で育てられてるよ。加工しなければ無害だって姐さんが言ってた」
幼い頃、アメリア姐さんに教えてもらった記憶が蘇る。エリスも一緒に三人で、あの花壇に植えたんだっけ。そう思うと、少しだけ胸が苦しくなった。
「……そうか」
オズは静かに相槌を打った。しばらく俯いたまま何かを考えていたが、やがて顔を上げて短く頷く。
「わかった、行くぞ。ここは大体見終わった」
「……ん? 大体、見た……?」
何気なく聞き流しかけた耳が、思い切り引っかかった。
顔を上げると、オズはすでに部屋の中央に立って、壁の棚を眺めていた。
「お前が来るまで暇だったからな」
「勝手に見たの⁉︎」
悪びれもせずにそう言ってのける彼に、意識が遠のきかけた。しかし自我をどうにか繋ぎとめて、反射的に部屋の奥——衣装ダンスへ視線を走らせた。
「……も、もしかして、全部……」
「まさか。人形を一つ一つ観察していたら、時間が足りなかった」
「そ……そっか」
胸を撫で下ろしかけた——その瞬間。オズの視線が、衣装ダンスへ向いた。
「だから、今から物色する」
「ぎゃああああああっ‼︎」
彼に飛びついて、両手で制した。涙目で首を横に振りながら必死に遮る。
「な、なんで⁉︎ さっき大体見たって——」
「ここはまだだ。お前があからさまに気にするから、余計に気になった」
「なんでっ!」
自分の軽率さを呪いながらも、引き止める手に全力を込めた。だが、彼はするりと私の横をすり抜けて、ダンスの前にしゃがみ込む。
下の隙間に手を差し入れた、その瞬間——頭の中に黒い布地が浮かんだ。
(あ……だめだ。終わった——)
息が止まった。視界が揺れる。
しかし——オズが手を引き抜くと、その指先には何も掴まれていなかった。
「……なんだ。何もないじゃないか」
つまらなさそうに息をついて立ち上がる。
「——え?」
声にならなかった。
私は彼を押しのけるように前に出て、床に膝をつき、ダンスの下に自分の手を突っ込んだ。
——ない。
指先に触れるのは、冷たい床板と積もった埃だけだった。
全身から血の気が引いていく。呼吸が浅くなって、耳の中で心臓の音だけが大きくなった。
ここに隠した。確かに隠した。あの夜、自分でここに押し込んだはずなのに——。
見開かれた瞳が、冷たい床板の上で揺れていた。




