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廊下の角から覗いていると、玄関口に人だかりができているのが見えた。
娼婦たちが輪を作って、その中心に白い軍服の人影がいる。朝の斜光が廊下に差し込んで、青い髪を淡く照らしていた。——ヘンリーさんだった。
(……なんでこんな時間に)
喉がごくりと鳴る。無意識に箒を握る手に力がこもった。
廊下の端でプルプルと震えながら聞き耳を立てていると、人だかりの中のヘンリーさんが静かに口を開いた。
「——お集まりいただきありがとうございます」
穏やかだが、どこか重みのある声だった。
「先日、皆さんのご存じの通り、東の区画で殺人事件が起こりました。巡回を行っていたにもかかわらず……このような結果になってしまい、申し訳ございません」
ヘンリーさんが深々と頭を下げた。隣に控えた憲兵たちも一斉に倣う。
輪の中で、娼婦たちの表情がそれぞれに揺れた。眉を下げる者もいれば、不安をあらわに声を漏らす者もいる。
「ヘンリーさん……」
輪の奥にいるアメリア姐さんが、腕を抱いて弱々しく呟くのが、かすかに聞こえた。
その声に、胸の奥がじわりと痛む。思わず自分の服の胸元を、きゅっと掴んでいた。
ヘンリーさんが顔を上げる。真摯な青い瞳が、娼婦たちを一人ずつ見渡した。
「……ただ、昨夜の現場で不審な人物を目撃しております。長身の大男で、全身黒ずくめ。使用する武器は短剣です。外出の際にこの男を見かけた場合は、即座に逃げて通報してください」
その言葉に、また場がざわめき立った。
——長身の大男。全身黒ずくめ。
その言葉が、頭の中でゆっくりと輪郭を結んでいく。
違和感が、指先からじわりと這い上がってきた。
——なんで……危険人物、だけ?
そのタイミングで、輪の中からセリーナ姐さんが恐る恐る手を挙げた。
「……あの。その人が、犯人じゃないんですか?」
周りの娼婦たちが「そうよそうよ」と口々に頷く。私も思わず息を止めた。
だが、ヘンリーさんは小さく首を振った。
「我々も当初はそう考えておりました。しかし昨夜その男を目撃した際、返り血がなかった。使用したはずの短剣にも、血の痕跡がなかったんです」
ヘンリーは一度、言葉を止めると続けた。
「着替えて拭き取った可能性もゼロではありませんが……現時点では断定できないため、引き続き注意人物として捜索しております」
廊下の角から覗きながら、額に冷や汗が滲んでいくのを感じた。
視線を足元に落として、深く息を吸う。心臓が少しだけ速く打っている。その理由を、自分でもうまく言語化できないままでいた。
ふと、視線を感じた。
顔を上げると——ヘンリーさんと目が合った。
咄嗟に俯く。心臓が、一拍分だけ止まった気がした。
どくん、どくんと大きく脈打つ音を聞きながら、恐る恐る横目で様子を窺う。ヘンリーさんはもう視線を他の娼婦たちに向けていた。その表情は読めなかった。
——……気のせい?
ざわめく場の中で、ひとりそんなことを考えていると、娼婦たちの噂話が耳を掠めた。
「……第一容疑者が長身の大男なら、やっぱりチャールズじゃ——」
誰かがそう口にして、はっと我に帰るようにアメリア姐さんを振り返る。
輪の奥のアメリア姐さんが、わずかに体を震わせた。下唇を薄く噛んで、表情に影が差している。その横顔があまりにも静かで——胸の奥が、ぎゅっと痛んだ。
「……皆さんの耳にも既に届いているかもしれませんが、チャールズ・クロウを第一容疑者として捜査していたのは事実です」
ヘンリーさんもアメリア姐さんの姿を目にして、一瞬だけ言葉が止まる。それから小さく首を振って、また口を開いた。
「ですが——とある事情から、彼を容疑者リストから外すこととなりました」
場が、一瞬で静まり返った。
次の瞬間、あちこちから驚きの声が上がった。娼婦たちが互いを見合わせ、ヘンリーさんを見つめ直す。
輪の奥でアメリア姐さんが顔を上げた。信じられないものを見るように目を見開いて、呆然とヘンリーさんを見つめている。
姐さんの変化を感じながら、廊下の角でじっと息を潜めていた。場がなだめられるのを待ちながら——心のどこかが、まだ正しくない何かを探し続けていた。
やがて娼婦たちのざわめきが静まり、ヘンリーさんがゆっくりと言葉を続けた。
「昨夜、巡回途中に——ホーソーン地区内の倉庫で、白骨遺体が発見されました。鑑識の結果……チャールズ・クロウで間違いないと思われます」
廊下の空気が、凍りついた。
誰も声を上げなかった。ざわめいていた場が、音もなく静止した。誰かが息を呑む音だけが、鼓膜にやけに鮮明に届く。
「——……ぇ」
掠れた声が、喉の奥から漏れ出た。誰にも届かないまま、朝の光の中に消えていく。
チャールズ・クロウが、死んでいた。
壁に添えていた手が、力なくぶらりと落ちる。
なんで——
(なんで見つかったの?)
そこまで考えたところで、思考が止まった。
その問いの意味に気づいた瞬間、全身の血が冷えていくような感覚がした。
答えの輪郭が、恐ろしくて——直視できなかった。




