25-1
東の区画に到着した時、現場はすでに沈黙に包まれていた。
ホーソーン地区にしては珍しく、路地裏には街灯の光が届いていなかった。三方を古い石造りの建物に囲まれ、隙間から覗く夜空だけが辛うじて上を示している。吐く息が白い。秋の夜気が、肺の奥まで冷たかった。
憲兵たちの持つ懐中電灯が、石畳の上にできた赤黒い水溜まりを照らし出した。
報告通りだった。いや——報告よりもずっとひどかった。
(……また、あの甘い香りがする)
血と泥と、腐敗の始まりかけた臭気——その中に、場違いなほど甘い香りが混じっている。前の現場でもそうだった。覚えのある香りに、顔を顰める。
……この香り、どこかで——。
「ヘンリー副隊長。ただいま鑑識を呼んでおります。少々お待ちを」
部下の声にハッと我に帰り、思考を断ち切った。振り返ると、部下が直立して報告を続けている。
「わかった。リッパーがまだ近くにいるかもしれない。すぐに巡回に戻ってくれ」
「はっ」
報告に来た部下が敬礼してその場を離れていく。他の憲兵たちが無言で周囲の警戒に散っていく中、俺は静かに遺体の前に片膝をついた。
懐中電灯を持つ手に、自然と力がこもる。
——これを女性の遺体と呼んでいいのか、と一瞬だけ躊躇った。傍に落ちていた装飾品と、血を吸って色を失ったドレスの切れ端がなければ、判別すら難しかったかもしれない。腑が深く切り裂かれて内臓が飛び散り、全身を無数の切り傷が覆っている。それほどまでに、原形が残っていなかった。
布をそっと被せ直して、立ち上がる。
(……監視カメラの死角を、正確に把握していた)
東の区画に残るすべての死角を洗い出したはずだった。地図に載っていない箇所まで確認した。それでも犯行を許した——その事実が、じわりと胸の奥に焼けつくような痛みをもたらした。
自分を罰するのは後だ。今は冷静でなければ。
そう言い聞かせて歯を噛み締めていると、傍に控えていた女性の憲兵が一歩近づいてきた。
「状況はどうだい」
「はっ……残念ながら、今のところリッパーの姿は確認できておりません」
「……そうか」
落胆の色が声に滲むのが、自分でもわかった。また逃げられた。
深くため息をついて、眉間に指を当てる。これで何件目だ。このままではアメリアさんにも、この地区の住民にも、顔向けができない。
——そして、身請けの話がまた遠のく。
その考えが過ぎった途端、焦りと妙な喪失感が同時に胸を締めつけた。我ながら情けない。
石畳を見つめたまま、俺は頭の中で改めて状況を整理する。
犯行のたびにリッパーは闇に溶けて消える。まるでこの地区のあらゆる路地を熟知しているように。第一容疑者はチャールズ・クロウ——アメリアさんに暴行した男だ。だが。
最悪の可能性が、また頭の端に浮かびかける。
俺はもう一度首を振って、正面の部下に向き直った。
「報告ご苦労。……オズワルドくんは、ちゃんと現場から遠ざけてくれただろうね」
「はっ、もちろんでございます。今度は念入りに申し伝えましたので、現場には——」
そこで彼女の言葉が止まった。俺の後ろ、遺体のある方向に目を向けたまま、石になったように固まっている。
——嫌な予感がした。




