22
「叫んでないでさっさと開けろ。しがみつくのも疲れてきた」
「あば……あばばばっ」
窓の外に人がいた。
二階の窓に。クイーンズ・ヘイブンの女子寮の、私の部屋の。
手足を器用に広げて外壁にへばりつき、こちらをまっすぐ見据えているその顔に——見覚えがあった。いや、見覚えどころではない。今日だけで何度も見た、その端正な顔が。
「お、オズ……?」
「僕以外誰がいる」
涼しい声で返ってくる。くすんだ金色の髪が秋の夜風にわずかに揺れ、深緑色の瞳がこちらをじっと見据えていた。
気絶しそうになるのをなんとか気力で押しとどめながら、私はガタガタと震える手で窓の錠前を弄り続ける。早く開けなければ落ちてしまう——そんな心配が、驚愕よりわずかに先を行ってしまった。自分でもどうかと思う。錆びついた鍵がようやく回って、小さく軋む音とともに窓が開いた。
オズは迷う様子もなく、窓枠を踏み台にして室内に踏み込んできた。土の染みたブーツがベッドのシーツを踏み、体重をかけるたびに蝶番がギィと悲鳴を上げる。
一方の私は、口に泡を噛ませながら部屋の隅まで後退して壁に背をつけた。気絶だけはするまいと、爪を手のひらに食い込ませて意識を繋ぎとめる。
「にゃ、にゃんれ……ど、どうやって……」
「慌てるな。僕も会いたかった」
「言ってにゃいっ」
なぜか得意げに胸を張る彼に、呂律の回らない声で反射的に返す。
ここは、女子寮だ。男子立ち入り禁止の、二階建ての。そんな場所の窓から、何食わぬ顔で入ってくるこの人の頭のネジは、いくつか欠損していると思う。思うのだが——なぜか怒りよりも先に、変な冷静さが追いついてきた。
「ど、どうやってここが……二階だし、なんで私の部屋だってっ」
「僕の得意分野は情報収集だと言っただろ」
「ひぃえぇっ」
全身の鳥肌が総立ちになって、喉から変な声が飛び出した。
私よりストーカー体質なんじゃないの、この人っ!?
まるで未知の生き物を観察するような目でこちらを見やる彼の前で、私はぷるぷると震えながら後ずさった。
「何をそんなに怯えている……まぁいい。報告したいことがあって来た」
「そ、それって……明日でよかったんじゃ……というか、ここ男子禁制で」
「お前がエリスを追って消えた後、あの男に事情聴取を済ませた」
「無視⁉︎」
思わず声が出そうになって、咄嗟に両手で口を塞ぐ。床下と天井と壁に気配がないことをすばやく確認してから、声を潜めて続けた。
「じ、事情聴取って……何を聞いたの?」
「チャールズ・クロウの件だ、馬鹿め。忘れたか」
その名前が耳に届いた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
チャールズ・クロウ。夕方、娼館の入り口で娼婦たちが囁き合っていたあの名前。ビクッと肩が跳ね上がるのが、自分でもわかった。
オズは構わず続ける。
「ヘンリー曰く、チャールズは仮釈放の身でありながら自分でジェムを細工して色街に侵入したらしい。とある娼婦を探すために、な」
「——とある、娼婦?」
口の中が乾いた。視線が、自分の意志とは関係なく、床へと落ちていく。
「婦女暴行で幽閉されていた男だ。おそらく被害を受けた女の居場所を突き止めてこの地区に入ったと、憲兵は踏んでいる」
「……そう、なんだ」
フードの縁を指先でぎゅっと引き寄せて、表情を隠す。落ち着け。落ち着け。腕を抱いたはずの手が、自分でも気づかないうちにかすかに震えていた。
「現状では彼が『リッパー』の第一容疑者だ。暴行した女への逆恨みで、関係者を無差別に……というのが憲兵たちの推測だが」
一度、言葉が切れた。
「あくまで仮説だ。だが、信憑性は高い」
逆恨み。その言葉が頭の中でぐるりと回る。そんな理由で、見も知らぬ人が——娼館で挨拶を交わしただけの人が、命を奪われたというのか。
腕に回した爪が、薄い布地に食い込んだ。
「……早く、捕まってほしいね」
絞り出した声は、自分でも聞いていられないほど震えていた。それ以上は言えなかった。視線を地面に貼りつけたまま、口を閉じる。
沈黙が部屋に満ちた。
秋の夜風が窓の隙間からそっと忍び込んで、カーテンの端を揺らす。ベッドに残ったブーツの泥のあとが、斜めに差し込む廊下の光に浮かんで見えた。
先に口を開いたのは、オズだった。
「……そうだな。だが、ヘンリーに僕がどれだけ謙ってもその女の名前を明かさなかった。個人情報の保護だとかなんとか言って」
「……謙る?」
「何か言ったか」
「いえっ」
心の声が漏れた。彼に不審そうな視線を向けられて、急いで口を閉じる。これ以上余計なことを言うのは危険だという本能的な察知が働いた。
だが、オズは腕を組んだまま視線をこちらに据え直した。
深緑色の瞳が、きらりと光る。
「……その反応。何か知っているな」
「はぅっ⁉︎」
うなじの産毛が逆立つような感覚がして、喉から変な声が漏れた。思わず半歩、後ろへ引く。
「な、な、なんのこと……」
「僕に嘘をつけると思うな」
低い声だった。その一歩を埋めるように、彼がゆっくりと近づいてくる。視線が、まるで標本を観察するみたいに動かない。
「情報を出した後からずっと動揺している。隠しているものがあるはずだ」
「い、いえ、あにょ、そにょっ……」
「言わないなら、また告白するぞ」
「うぷっ……!」
喉の奥が酸っぱくなった。反射的に口を押さえる。胃の底がぐるりと裏返るような気持ち悪さに目をぐるぐるさせていると、彼は涼しい顔で続けた。
「それだけじゃない。どこぞのくだらないロマンス小説みたいに手の甲に口付けを落として愛を乞うぞ」
「やっ……や、やめてっ……は、話しますから……っ!」
目尻に涙を滲ませながら、震える手で彼を制する。胃酸が喉を焼いている感覚がして、唇をぎゅっと噛んだ。
「なら早く話せ」
「ひーん……」
こんな前代未聞の脅しに屈している自分が情けない。えぐっ、えぐっと嗚咽を漏らしながら涙を拭い、鼻を一つ啜ると、私はゆっくりと視線を下に落とした。
話す、と言った。でも——本当に言っていいのだろうか。
頭の中に、あの笑顔が浮かぶ。金色の髪を揺らして、金茶色の瞳を柔らかく細めて、いつも変わらない穏やかさで微笑むその人の顔が。
アメリア、姐さん。
私の逡巡を映したかのように、部屋の中が静かだった。廊下の灯りがカーテンの隙間から細く差し込んで、床に薄い光の帯を作っている。その先に、衣裳ダンスの隙間に押し込んだ黒い服が、わずかに覗いていた。
……深く考えたが。
結局、私は話すことにした。
「……実は」
唇が、ゆっくりと動く。
「さっき噂を聞いた時は、すぐには思い当たらなかったんだけど……私、チャールズさんの名前を知っていて」
一息ついて、フードを深く被り直す。もう後戻りはできない。震える唇をきゅっと結んで——それから、覚悟を決めて顔を上げた。
オズの深緑色の瞳が、静かにこちらを待っていた。
「——チャールズ・クロウは、アメリア姐さんの、元恋人なの」




