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(……結局、姐さんに会えなかったな)
クイーンズ・ヘイブンの人気ナンバーワン。数多の男たちが夜ごと彼女の名を求める、この店の花——アメリア姐さんは、今夜も客に引っ張りだこだった。
忙しそうだったから話しかけられなかった……などという殊勝な理由であれば、どれほどよかったか。実際には、嫉妬で頭が沸騰して、廊下の壁に爪を立てながら周囲がドン引くほどの嗚咽を漏らして泣き崩れていたからである。はい。
仕方なく男性従業員にメモを託してアメリア姐さんへ届けてもらうようお願いしたが……ちゃんと渡っているだろうか。
「うぅ……嫉妬のせいで伝言も碌にできないって、どういうことぉ……いたっ!」
クイーンズ・ヘイブンの女子寮。時代遅れの花柄の壁紙が埃くさい匂いとともに鼻腔をくすぐるその一室で、私はベッドの縁に腰を下ろし、黙々と服を縫っていた。
傍らには、アメリア姐さんが誕生日にくれた木製の裁縫箱。古い蝶番がわずかに軋むそれは、私が少し体重を移すたびにベッドの沈みに合わせて静かに揺れる。
指先に走った鋭い痛みに思わず涙がにじむ。目の前の木棚に整然と並んだお兄ちゃんとお姉ちゃんたちの人形が、滲んだ視界の中でゆらりと歪んで見えた。
「うぇーん……痛いよぉ」
服の袖で目元を拭いながら、裁縫箱に常備してある絆創膏を取り出して指に貼る。たいした傷ではないとわかっていても、じんじんと疼く痛みはしばらく引きそうになかった。
「……エリス、ちゃんと帰れたかな」
縫いかけの黒い服に再び針を通しながら、頭の片隅にエリスの顔を思い浮かべる。
……そういえばエリス、なんか最近アメリア姐さんに似てきたというか……抱きしめた時も甘いお香の香りがしたし……うへへ。
緩みかけた口角に気づいた瞬間、私は思い切り自分の頬を張った。
「相手は義妹! まだ未成年‼︎」
誰に聞かせるでもなく、自分に言い聞かせるように叫ぶ。声が狭い部屋に反響した直後、床下から『ガッ』と鈍い音が響き、私は慌てて床に向かって何度も頭を下げた。
「……はぁ」
ため息しか出ない。惚れやすい自分の性分が、心底嫌になる。
肩を落としながらも手だけは動かし続けて、黒い服の綻びを丁寧に縫っていく。しばらくして仕上げの刺繍糸を口でちぎると、修繕を終えた衣服を広げて確かめ——思わず安堵の息を吐いた。
「よかった……やっと終わった」
途中で諦めることになるんじゃないかとひやひやしたが、なんとかなった。
黒い服を丁寧に畳み、ベッドから立ち上がる。古びた衣裳ダンスの一番下の隙間にそっと服を押し込んで、ようやく肩の力が抜けた。
「……そういえば、オズワル——オズ。あのままいなくなったな」
エリスと別れた後、彼の姿を探したのだが、ヘンリーさんと一緒にどこかへ消えていた。
事情聴取を済ませて、さっさと引き上げてしまったのだろうか。
(……せめて一言くらい、あってもよかったのに)
そう思った途端、胸の奥がほんの少しだけ寂しくなった。……いつもそうだ。勝手に現れて、勝手に消えていく。理不尽で、自分勝手で。
それなのに、なぜか彼の顔が頭の中をぐるぐると回る。
疲れたようにベッドへ仰向けに倒れ込んで瞼を閉じると——全身がぞわっと粟立って、跳ね起きた。
「ぎゃああああああ! なんで彼のこと考えてるのぉぉぉぉ⁉︎」
衝動のまま叫んだ瞬間、また床下から『ガッ』と鋭い音が返ってくる。
謎の悪寒と鳥肌が全身を駆け抜けて、私は震える腕を自分でさすり続けた。
鳥肌がやばい。やばすぎる。
涙目になって、えぐっ、えぐっと嗚咽を漏らす。
彼に絆されていく自分が、怖かった。
帰ってくれたならそれでいいじゃないか。これ以上捜査を続けられても困るし。
(そ、そうだよ……これ以上深入りされたら困るし……むしろ、いなくなってくれた方がせいせいする)
そう何度も自分に言い聞かせて、こくこくと頷く。
……なのに。なんで、だろう。
『——問題なのは、その気持ちを抱えてお前が辛く感じるかどうかじゃないのか』
あの真摯な瞳と言葉が、頭から離れてくれない。
腕をさする手が、止まる。
しばらく呆然と天井を眺めていると、ふとした拍子に視線が衣裳ダンスの隙間へ落ちた。
「……姐さん」
名前を呟いた瞬間、あの美しい笑顔が脳裏を掠めた——その時。窓の外から、コン、コン、と控えめなノックの音が聞こえた。
「……?」
聞き間違い?
恐る恐る窓へ近づく。するとまたコン、コンと音が繰り返されて、空耳でないことを悟った。
な、なんで……ここ、二階なのに。
ノックは止まらない。喉がごくりと鳴った。顔から血の気が引いて、体がじわじわと震え出す。気絶しそうになるのを気力で抑えながら、一歩、また一歩と窓へ近づいた。
カーテンに手をかける。ストライプ柄の柔らかな綿布の端を震える指で掴んだ。その馴染んだ感触が、わずかに指先の震えを鎮めてくれる——深呼吸を一つして、私は勢いよくカーテンを引き開けた。
「——マティア」
「ひんぎゃあああああああ‼︎」
見知った顔が、窓の外に張り付いていた。
まっすぐこちらを見据えて、涼しい顔で名前を呼んでくる。その一言が引き金になって、私の絶叫が部屋を——いや、女子寮全体を揺るがした。
今度は床下だけではない。天井からも、横の壁からも、『うるさい!』と言わんばかりの鈍い衝撃音が連続して響き渡る。
かくしてクイーンズ・ヘイブンの女子寮に、久しぶりの騒音が鳴り響いた。




