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——何を言ってるんだろう、この人は。
私の言葉を聞いたオズは、訝しげに片眉を上げたまま動かなかった。心底理解できないという顔で——からかいでも同情でもなく、ただ純粋に「意味がわからない」と言っている顔で、こちらをじっと見下ろしている。
夕暮れの光が倉庫の細い窓から差し込み、日陰の木箱の中にうずくまる私を除いて、彼の輪郭だけを赤く縁取っていた。埃と古い木材の匂いが漂う薄暗い空間で、その深緑色の瞳だけが宝石のように静かに光っている。
目が離せなかった。
さっき言われた言葉が、頭の中で何度もぐるぐると繰り返される。
あの言葉が。自分を「普通だ」と言い切った、あの短い言葉が。
「い、いや。だって……普通は、一人の人を好きにならないと……」
声が上擦った。そう、複数の人を同時に好きになるなんて、きっとおかしいことのはずで——そう思っているのに、彼はまだ納得した様子を見せなかった。それどころか、ますます眉間の皺を深くして、変なものを見るようにその瞳を細める。
「その『普通』は、誰が決めた」
「——へ?」
断固とした声だった。
『普通』の定義なんて、考えたこともない。そんな問いを投げかけられた私に、答えなんて出てくるはずもなかった。言葉が喉の奥で引っかかって、出てこない。視線だけがせわしなく宙を彷徨い、フードを深く被り直す。
けれど彼は、私が答えを見つけるのを待つつもりもないらしかった。
「複数の人を好きになる事例はたくさんある。現にドージャー家とロンジェヴェティ家は、複数の伴侶を持つことを国から許可されている」
「そ、そうだけど……」
いきなり名家を例に出されても、返答に困る。サイモンお兄ちゃんとロビンお姉ちゃんをぎゅっと胸に抱き寄せ、木箱の隅にさらに縮こまりながら、なんとか言葉を手繰り寄せた。
「け、けど……それは能力継承のためで。私は一般人だから……」
——ドージャー家とロンジェヴェティ家は、その能力の希少性ゆえに、複数の伴侶を持つことを国から特別に認められている。一夫多妻、あるいは一妻多夫で家族を築けるのは、彼らのような特別な立場があってこそだ。そんな人たちと自分を同じように語れるわけがない。
そこまで考えたところで——オズが静かに首を振った。
有無を言わさぬ目でまっすぐこちらを見据え、無造作に手を伸ばしてくる。気づいた時には、私の腕が掴まれていた。
「それだけ人を想える心を持っているということだろう。何も悪くない」
「——わっ」
言い終えるよりも早く、力を込めて腕が引かれる。
体が吸い寄せられるように木箱の中から引っ張り出されると、今まで日陰に包まれていた私に夕暮れの光が一気に降り注いだ。
眩しくて、思わず瞼を閉じる。
ゆっくりと目を開けると——さっきよりも近い距離に、彼の顔があった。夕日を受けた深緑色の瞳が、輝いて見えた。
「問題なのは、その気持ちを抱えてお前が辛く感じるかどうかじゃないのか」
その言葉に、瞳が大きく揺れる。
この人は、私を身請けしようと追いかけまわす人のはずなのに。言っていることがどこか矛盾している。なのに不思議と、言い返す言葉が出てこなかった。
——自分の気持ちを「悪い」と言わなかった。
たったそれだけのことが、今まで当たり前だと思っていた何かを、
音もなく崩していくような気がした。
「……ほら、行くぞ。時間が勿体ない」
じっと見つめる私に気づいたのか、オズはふいと顔を逸らした。気まずそうに、というよりは、なんだか照れているようにも見えた——気のせいかもしれないけれど。
それでも彼は私の腕を離さないまま、ずんずんと歩みを進めていく。
「う、うん……そうだね」
やっと出た言葉がそれだけだなんて、自分でも呆れる。けれど不思議なことに、もう私の体は彼に触れても震えることはなかった。
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「ね、ねぇ。今度はどこに行くの? もう帰ろうよ……」
「うるさい。あと五件回るまで帰らないぞ」
「ひーん……」
倉庫の外に出ると、秋の冷たい空気が頬を刺した。どれだけ帰ろうと訴えても、彼は一切首を縦に振らないのだから、涙だって滲む。
腕は解放してもらったから、逃げようと思えばいつでも逃げられる。けれど——このままだと、リッパー事件よりも先に、オズが娼婦たちに撲殺されかねない。そう思うと、足が動かなかった。
(それに……)
少し先を歩く彼の背中を、じっと見つめる。姐さんがポケットに滑り込ませた紹介状のこと——聞くべきか、聞かざるべきか。飲み込んだ言葉が、喉の奥で引っかかったままだった。意を決して、口を開く。
「お、オズワ……オズっ。あ、あのね——」
「——しっ、誰かいる」
「……へ?」
曲がり角に差し掛かった瞬間、後ろも振り返らずに片手で制止された。その様子に固まっていると、角の向こうから複数の女性の声が漏れ聞こえてくる。慌てて口を両手で塞いだ。
「ねぇ、聞いた? なんでもリッパーの正体、チャールズ・クロウって男なんですって」
「聞いた聞いた。出所したばかりの犯罪者でしょ? 怖いわよねえ」
娼館の入り口に立った娼婦たちが、声を潜めて話し込んでいる。聞き耳を立てるのは行儀が悪いとわかっていても、気になって足が止まったままだった。
「なんでも元々ジェムの加工員だったとかで……それで地区のセキュリティを誤魔化せたんじゃないかって」
「え〜……」
……チャールズ・クロウ。
その名前が頭の中で何かに引っかかった。思い出せない——けれど、胸の奥がざわざわと騒ぎ出す。
(なんだろう……聞いたことあるけど、どこで……?)
「けど、それって本当の話? 最近デマを面白がって流す子も多いじゃない」
「ふふ、今回は確かよ。だって——」
一拍の間があった。
「——憲兵たちから、直接聞いたもの」
息を呑む。
今まで彼が娼館を回って集めてきた断片とは違う。これは、手触りのある情報だった。事件が進展する、喜ぶべき瞬間のはずなのに。
(な、なんで……なんでこんな嫌な感じがするの?)
おそるおそる隣を見上げると——。
案の定だった。
くすんだ金色の髪が鈍い夕日に揺れ、端正な横顔に不敵な笑みが浮かんでいる。まるで闇の中で獲物を見つけた獣のように、深緑色の瞳がぎらりと輝いていた。
悪役顔のお手本があるなら、間違いなくこの顔が載る。
「………へぇ」
弾んだ声だった。聞いているだけで卒倒しそうになる。
(ああ……また絶対ろくでもないことを考えてる……)
今すぐ倉庫に引き返して木箱に詰め直してほしい——そんな気持ちを抱えながら、私はこっそりと天を仰いで白目を剥く。
秋の冷たい風が、また一つ厄介なものを運んできた気がした。




