9-2
「娼婦なのに肌見せないなんて……ナンバーワンのアメリアが聞いて呆れるわ」
「そうよそうよ! マティアより、あなたが一番心配!」
「リッパーからしたら、あなたの衣服の方が切り裂きがいがあるわよ」
イザベラ姐さんに続いて、セリーナ姐さんとエミリー姐さんも加わって、アメリア姐さんを取り囲む。高級娼館の高嶺の花たちが集まる様子を見て、先ほどまで言いかけた言葉を忘れ、心臓を高鳴らせた。
「……衣服……切り裂き……」
その言葉に反応して、脳内で勝手に妄想が膨らんでいく。
アメリア姐さんの美しいドレスが、ナイフでビリビリに破られる——。衣服が裂けて、彼女の美しい柔肌が顕になる。羞恥心で瞳を潤ませ、きめ細やかな白い頬を桃色に染めるその姿——。
あ、なんでだろう……めまいが……。
「きゃあ! マティアお姉ちゃん、鼻血! 鼻血!」
「あば……あばばばばっ」
どうやら、アメリア姐さんの裸体を想像して興奮しすぎたらしい。白目を向いて鼻血を垂れ流しながら、泡を吹いてしまう。エリスが悲鳴を上げながら、必死にハンカチで鼻血を拭ってくれた。
けれど、アメリア姐さんの裸体が頭から離れない。まだ奇声を上げながら、その場で気絶しかけた。
そんな私たちを心配するように、遠巻きで見つめていたアメリア姐さんは、イザベラ姐さんたちの言葉に恥じらうように頬を赤らめて、自分の体を抱いた。
「——もう、ヘンリーさんにだけ見せたいの」
照れたように、可愛らしくはにかんで弱ったように眉を下げる。
——その姿は、まるで恋する乙女そのものだった。
その言葉を聞いて、恋バナが好きな姐さんたちが「きゃ〜!」っと黄色い歓声を上げて色めき立つ。煌びやかなシャンデリアの光の中で、娼館全体が華やいだ空気に包まれた。
——ピシッ。
けれど、その瞬間。
一年中秋なはずなのに、その場が凍てつくような音が迸った気がした。
私とエリスの周りだけ、空気が冷たく凍りついていく。温かな春の気温を感じさせるあちらと違って、こちらは氷河期のように凍りついた。
ヘンリー……ヘンリー・カルヴァート。
脳内で、アメリア姐さんの心を射止めた男の名前を反芻する。
名前を聞いただけで胸が痛む。けど、ハッと我に帰ると恐る恐るエリスを見下ろした。
「……」
「…ぁ…エリス」
眉を下げて、そっと名前を呼ぶ。
エリスは怒りを堪えるように、ハンカチを強く握り締めている。下唇を噛むその姿に、胸がさらに痛くなった。
「……エリス、あのね」
躊躇いながら、彼女の名を呼ぶ。何かを言わないと……その一心で、言葉を続けようとした。
——が、また誰かに言葉を遮られた。
「なに油を売ってるんだい、もうすぐ開店時間だよ!」
「ひゃいっ!?」
アメリア姐さんがやってきた奥の部屋から、甲高い声が鳴り響く。
体が勝手に反応して、びくっと震えた。
咄嗟に顔を上げる。
銀白色の髪を綺麗に結い上げ、明るい栗色の切れ長の瞳が冷たくこちらを見据えている——マダム・アッシュクロフトだった。
その姿を見ただけで、顔が青ざめる。体が勝手にプルプルと震えた。それに合わせて、ついぽつりと出た言葉さえ、波打つように震える。
「ま、ま、マダム・アッシュクロフト……」
この高級娼館『クイーンズ・ヘイブン』を管理する館主で、全盛期にあらゆる男を骨抜きにしたと言われている伝説の娼婦。マダム・アッシュクロフトが、高級なラグをその高いヒールで踏み鳴らす。
コツ……コツ……と、規則正しいヒールの音が近づいてくる。
とてもお年を召した老婆には見えない、しなやかなプロポーションと優雅なウォーキング技術で、まっすぐ私の元へ歩み続けた。
——ひゅっ。
息を呑む音が、喉から鳴る。足がすくむ。いつもならここで逃げ出すのに、足が動かない。まるで、逃げても無駄だとわかっているように。
ヒールの音が鳴り止む。
伏せた視線の先に、彼女の煌びやかで高級なヒールが目に映った。
恐る恐る、顔を上げる。
——すると、私を睨むように見下ろすその明るい栗色の瞳を見て、心臓が止まった。
「またあんたかい。娼婦としても役に立たない上にサボるなんて、全くいいご身分だね」
「マダムっ!」
マダムの言葉に、ビクッと体を震わせて萎縮する。体から血の気が引いていくのがわかった。
そんな私たちのやりとりを見て、アメリア姐さんがすごい剣幕で——その美しい垂れ目を釣り上げた。普段は穏やかな彼女が見せる、珍しい怒りの表情。
マダムは視線だけアメリア姐さんに向け、しばらく見つめる。すると、深いため息をついた。その音だけで、足がすくむ。
「ご……ごめんなさい……」
「謝るくらいなら、行動で示しな。役立たずはここにいらない」
「っ」
マダムらしい物言いに更に縮こまる。
けど、マダムはそんな私を気にせずに続けた。
「はぁ……まあいい。あんたにお客さんだよ」
「はい、頑張り——……へ、お客さん?」
思わず、お叱りの言葉がくると思って身構えていた。けれど、まさかの言葉に咄嗟に顔を上げる。
マダムは懐からキセルを取り出すと、火をつけてふかした。紫煙が、ゆらりと宙に昇っていく。
「ああ、どうやってこの地区に入ってきたのか知らんが……なんでも、あんたを身請けしたいってさ」
「——えっ」
その言葉を聞いて、周りの空気が一瞬で凍りついた気がした。
誰もが息を呑んでいるような——そんな静寂が、娼館を包み込む。
私は放心したように、その場で固まった。
身請け? 私を? 誰が?
様々な疑問が浮かんでは消えていく。けれど、ある心当たりが頭を掠めて、血の気がさーっと引く感覚を覚えた。
「……ち、ちなみ……お名前は……?」
一人の人物の顔を浮かべて、躊躇いながらマダムにそう尋ねる。
マダムは思い出すように宙を見ると、キセルを片手にぽつりと呟いた。
「名前はなんだっかな……確か、あんたぐらいの年頃のガキだったよ」
最悪の可能性が、その言葉のせいでますます信憑性を増す。
空気が薄くなる感覚を覚えて、過呼吸を起こしかけた。呼吸が浅くなって、視界が揺れる。
さらに顔を青くする私をよそに、マダムはまたキセルを口にして煙を吐き出すと、思い出したように「ああ」と声を漏らした。
「確か、オズワルド・ウィズダムって名乗ってたね」
その名前を聞いた瞬間——視界が暗転した。
周りの悲鳴が、遠くで鼓膜に響いたのを最後に、私の意識は暗闇に溶けて消えていった。




