8-2
顔から血の気が引いていくのを感じる。おそらく顔面蒼白になっているだろう。気づいたら、必死に何度も首を横に振っていた。
「ち、ちがっ……違うっ! 違うからっ!」
「えっ……マティア!?」
いきなり大声を上げて、姐さんたちを驚かせる。それを振り切って、エリスとアメリア姐さんとの間の距離をぐいっと詰めた。
若干驚いたように引いたその様子から、自分でもすごい形相をしているんだろうと察する。それでも噂を否定したくて、必死に弁明した。
「た、た、確かに告白はされたけど! 付き合ってないから! 相手が勝手に追いかけてくるだけで……」
「……あら、そうなの?」
私の必死な言い分に、アメリア姐さんがきょとんとしたように長いまつ毛を瞬かせる。後ろからは「なーんだ」という姐さんたちのつまらなさそうな声が聞こえたけれど、もうなりふり構っていられなかった。
しばらく、アメリア姐さんが私を見つめる。
すると、ふっとまた柔らかな笑みを浮かべて、私の頬に手を伸ばした。
「——へ?」
「最近何かと物騒だから心配だわ……早とちりしてごめんなさい。怖かったわよね?」
心配するように眉を下げて、控えめな笑みを浮かべる。彼女の柔らかな手が私の頬を包み込んだことに気づくまで、数秒の時間を要した。
体が石になったように固まる。
そんな私をよそに、アメリア姐さんは可愛らしく笑ってみせて、私の頬を親指で優しく拭った。
「暖炉掃除をしてくれたのね? ふふ、煤が頬についてるわ」
そう言って可憐に微笑む彼女を見て、呆然と目を見開いたまま固まる。他の姐さんたちとは違う、彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐって、何も考えられなくなった。放心する私を見て不思議そうにするも、彼女はエリスと同じように優しく微笑みかけてくれた。
「こうしてると、初めてマティアと会った日を思い出すわ〜」
「……それって、マティアお姉ちゃんがこの地区を徘徊してた時のこと?」
エリスが間に入ってきて、不思議そうに首を傾げる。アメリア姐さんはエリスに目を向けると、その小さな頭を優しく撫でてあげた。
「そうよ。あの時、確かエリスは一歳だったわね……」
昔を懐かしむように、アメリア姐さんが宙を見る。それに釣られて、私も記憶を辿って今から八年前の出来事を思い返した。
夜の街を徘徊していた幼い私を見つけて……保護して、育ててくれた彼女。
その時のことを思い出して、曖昧な笑みが自然と浮かんだ。
「う、うん……私もよく覚えてるよ……あんなに小さかったのに、こんなに大きくなって」
「それは、マティアお姉ちゃんもでしょ!」
「ひぇっ」
少し拗ねたようにエリスが頬を膨らませて、ビクッと体を震わせる。それを見て、アメリア姐さんは困ったように微笑んだ。
「こら、エリス。マティアお姉ちゃんを怖がらせないの」
「お姉ちゃんが勝手に怖がってるだけじゃないっ!」
「うぅっ……ごめん……」
エリスのもっともな返しに、しゅんと項垂れる。すると、アメリア姐さんはそんな私を見て苦笑して、今度はハンカチを取り出して優しく頬の汚れを拭ってくれた。
その行動に、体がさらに強張る。
けれどアメリア姐さんは、そんな私にお構いなしに頬を拭い続けてくれた。
「ね、姐さん……っ」
「じっとしてて……ふふ、マティアもずいぶん大きくなって、お母さん嬉しいわ」
そう言ってアメリア姐さんは、温かな笑顔で微笑む。その様子は娼婦というより、まるで母親のようだった。
高級娼館の煌びやかな光の中で、彼女だけが柔らかな光に包まれているように見える。その優しさが、胸の奥を締め付けた。
「あの時、一人で街を裸足で歩いていて、とても驚いたわ……ねぇ、マティア。まだ記憶は戻らないの?」
その言葉を聞いて、ビクッとまた体が震える。罰が悪そうに視線を彷徨わせると、静かに目を伏せて肩を落とした。
「あ、うん……ご、ごめんね。思い出せなくて」
「ああ、違うの! 謝ることじゃないわ」
姐さんが私の様子を見て慌ててそう言うと、弱ったように微笑んだ。
「困らせてごめんなさい……記憶が戻らないなら、それでもいいの。だって……」
「……へ?」
そう言って彼女は、私を優しく抱き寄せた。
彼女の豊満な胸に顔が埋まる形になって、固まる。芳しい甘い香りが鼻腔をくすぐった。状況が飲み込めずに放心していると、そんな私を見下ろして姐さんは微笑んだ。
「ずっとそばにいられるでしょ?……マティアが離れると、私悲しいもの」
ドクンっ。
——その瞬間。心臓が大きな音を立てて高鳴った。
呼吸が浅くなる。緊張したように、汗がじんわりと全身に吹き出した。
ああ、やめて……そんなこと言わないで。
「はぁ……はぁ……」
開かれた瞳孔が揺れる感覚を覚える。瞬きができない。
やめて、本当にやめて……アメリア姐さん。
そんな優しい声で、そんな綺麗な顔で、そんな言葉を私にかけないで……
そんなことされたら……
そんなことされたら——
(しゅき♡ しゅき♡ しゅき〜!!♡)
——また、あなたに惚れてしまう。
抱きしめられたまま、私の心臓は激しく脈を打ち続けた。アメリア姐さんの温もりが、幼い頃に感じたあの温かさと重なって——逃れられない甘い感覚に、意識が溶けていきそうになる。
娼館の煌びやかな光の中で、私はただ彼女の腕の中で震えていた。




