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「……何をやっているんだ。お前は」
「——はっ!」
聞き覚えのある声が、頭上から降ってきた。
踊り場の床に寝転がっていた体が反射的に跳ね起きる。顔を上げた先に、見覚えのある深緑色の瞳があった。
窓から差し込む光が、くすんだ金色の髪を淡く照らしている。訝しげに眉を寄せて、こちらを見下ろしているその表情。呆れているのか心配しているのか、判別がつかない。けれど間違いなくあの顔だった。
「オズっ!」
声が裏返った。
あの事件以来、一度も会えなかった。入院していると聞いていたし、無事だとは知っていたけれど…‥こうして会うのは、あの夜以来初めてだった。
目が、少し潤んだ。咄嗟にパーカーの袖で拭って、アメリア姐さんを胸に抱えたまま慌てて起き上がった。スカートについた埃を叩きながら、ぎこちなく笑う。
「ひ、久しぶり。元気だった? なんでこんなところに……」
「同じ学園に通っているんだ。鉢合わせるのは当然だろう」
涼しい顔で、片手を腰に当てながら息をつく。
相変わらずだ。あの夜、血を吐いて倒れていた人と同じ人間とは思えないくらい、いつも通りの温度。
——けど、それが嬉しかった。元気そうで、よかった。
ふと、胸の奥にちくりとした痛みが走った。入院中、お見舞いにも行けなかった。監獄にいたから。自分のことで精一杯だったから。
眉を下げて、恐る恐る口を開く。
「あ、あのね。お見舞いに行けなくてごめんね……その、色々あって」
「……あの時と同じセリフを言っているな」
「え?」
「なんでもない」
小さく呟かれた言葉に目を瞬かせたけれど、彼はもう涼しい顔で頭を振っていた。
同じセリフ?
何のことだろう。首を傾げたけれど、答えてくれる気配はなかった。
彼の視線が私の胸元に向いた。腕に抱えたアメリア姐さんの人形を、深緑色の瞳がじっと見つめている。
「それ、わざわざ作ったのか?」
「! あ、うんっ。復学初日だから、姐さんについてきてもらおうと思って」
そう言って、両手で人形を少し前に出して見せた。記憶の中の姐さんを一針一針思い出しながら縫った、金色の髪とお気に入りだったドレスの人形。
オズは何も言わずにしばらくそれを見つめていた。それから——ぽつりと呟いた。
「……いいのか、お前は」
「……え?」
深緑色の瞳がまっすぐこちらを見据えた。
「辛くなるだろう。彼女のことを思い出して」
胸の奥が、きゅっと締まった。
姐さんを抱える手が僅かに強張る。彼の言葉は正しかった。この人形を見るたびに、姐さんの笑顔が浮かぶ。声が聞こえる気がする。それは——確かに、痛い。
けれど。
「辛いよ……けど、姐さんと一緒にいた幸せな思い出を忘れたくないから」
笑顔を返した。
ホーソーン地区で過ごした日々。エリスと三人で食卓を囲んだ夜。パウンドケーキの匂い。絵本を読んでくれた声。全部——痛みと一緒に、胸の中にある。
痛いけど、温かい。それを無碍にしたくなかった。だから、この人形を作った。
オズが目を見開いた。ほんの一瞬——本当に一瞬だけ、その表情が揺らいだ気がした。
しばらくの沈黙。それから、彼はふっと笑った。
「……お前は本当に面白い女だな」
「……え?」
どこか呆れたような、けれど物憂げな眼差し。笑っているのに、瞳の奥に何か別のものが滲んでいた。何だろう。聞きたいと思ったけれど——彼はもう背を向けていた。
「ほら、何をしている。さっさと行くぞ」
「! え、あ、どこに……」
「決まっているだろう。生徒会室だ」
慌てて彼の後を追いかけた。その言葉を聞いて、足が止まった。
「え……え? なんで……」
「なんでも何も、僕もお前と同じように呼ばれた」
「えっ⁉︎」
まさか彼も呼び出されていたなんて。一瞬歩みが止まったけれど、オズは構わずに廊下を進んでいく。
「早くしないと置いていくぞ」
「ま、待ってよぉっ」
情けない声を上げながら、彼の背中を追う。窓から差し込む午後の光が廊下を横切って、二人分の影が石畳に伸びていた。
相変わらずの強引さに、苦笑が漏れた。
けど——ふと、あの事件のことが頭を過ぎった。
口を開いた。少し躊躇いながら、彼の背中に声をかけた。
「あ、あの。オズっ」
「なんだ?」
振り返らないまま返事が来る。私は言葉を選びながら、続けた。
「えっと……あの事件の時のオズの能力についてなんだけど」
彼の足が、ぴたりと止まった。
廊下に、足音が消えた。私も立ち止まる。オズがゆっくりと振り返った。深緑色の瞳が、まっすぐこちらを見据えている。その目は——静かだった。
喉を詰まらせながら、恐る恐る続けた。
「えっと、あれってどういう——」
言いかけて。
頭が——真っ白になった。
……能力?
何を聞こうとしていたのか、わからなくなった。さっきまで確かに頭の中にあったはずの映像が——霧のように、掴めない。何かがあったはずなのに、何もない。
だって、オズは無能力者だ。能力なんて持っていない。
なのに——なんで、私は能力について聞こうとしたんだろう。
手を伸ばせば届きそうなのに、触れた瞬間にするりと溶けてしまう。あの感覚。何かが確かにあったはずなのに、もう思い出せない。
片手で頭を押さえた。
オズは、困惑する私をしばらく見つめていた。その表情は読めない。やがて、ゆっくり口を開いた。
「……何を言っている。僕は確かにロード代理だが、お前と同じように能力は持っていないぞ」
「え、あ、うん……そう、だよね……そうだよ……うん」
うわごとのように呟いた。
そうだ。そのはずだ。彼は無能力者。私も無能力者。それが事実で、それ以外の何もない。
——なのに。
腑に落ちなかった。喉の奥に小骨が引っかかったまま取れないような、あの感覚。何かがおかしいと体が言っている。でも、何がおかしいのかがわからない。
目を伏せたまま、頭を抱えて立ち尽くす。
オズが息をつく音が聞こえた。
「はぁ……事件があったから混乱しているんだろう。質問がないなら先に行っているぞ」
「! あ、ご、ごめんっ。待って!」
はっと顔を上げた。もう歩き出している彼の背中が、廊下の奥に向かって遠ざかっていく。
慌てて駆け出した。アメリア姐さんを胸に抱えて、廊下の石畳を蹴る。
疑問は消えなかった。
喉に引っかかった小骨のような違和感を抱えたまま——私は、彼の背中を追いかけた。




