68-1
——どれくらい、眠っていたのだろう。
意識が水の底からゆっくりと浮き上がっていく。重い。体が重い。瞼を持ち上げるだけで、途方もない力が要った。
開いた目の先に広がっていたのは——暗闇だった。
何も見えない。上も下もわからない。空気がこもっていて、生温かくて、かすかに血の匂いがした。
ぼんやりとした意識の中で、記憶を手繰り寄せる。
アメリア姐さんの喉を裂いた。短剣が折れた。でも——浅かった。トドメを刺せなかった。落下していく視界の中で、緑色の閃光が姐さんの喉を貫いて——それから。
記憶が、そこで途切れている。
そうだ。私は落ちたんだ。三十メートルの高さから。
……じゃあ、ここはどこだろう。
(天国?)
ふと、そう思った。けれど、天国というにはあまりにも暗くて、空気が重くて、血の匂いがする。どちらかといえば地獄の入口みたいだった。
ゆっくりと上体を起こそうとした瞬間——右腕に、激痛が走った。
「っ——!」
声にならない悲鳴を噛み殺して、その場でうずくまった。膝を抱えて、焼けた右腕を庇うように丸まる。涙が勝手に目尻に溜まった。
痛い痛い痛い。
——けど、痛いということは死んでいない。
しばらくうずくまったまま呼吸を整える。痛みの波が少しだけ引いた頃、左手で耳元に触れた。無線機がまだついている。
「っ……オズ」
掠れた声で名前を呼んだ。返事はなかった。ノイズだけが耳の奥でざらざらと鳴っている。
「オズ……聞こえる?」
もう一度。やはり、ノイズしか返ってこなかった。
壊れたのか、距離が離れすぎたのか——どちらにしても、繋がらなかった。無線機を外して、ポケットにしまった。
痛みが少し引いてくると、左手で周囲を探った。
暗闇の中で指先に触れたのは——不思議な感触だった。柔らかいけれど、芯に硬さがある。ゴムのような弾力。温かみが、僅かに残っている。
何だろう。首を傾げながら、もう一度触れた。
——動いた。
「ひっ——!」
悲鳴が出た。心臓が跳ね上がって、反射的に手を引っ込める。
息を殺して、暗闇の中で固まった。
恐る恐る——もう一度、指先を伸ばす。触れる。また、僅かに動いた。
生きている。これは——生き物の体だ。
そう思った瞬間、空間の一部がずれた。
隙間が生まれて、そこから——光が漏れた。
「——っ」
暗闇に慣れた目には、その光が眩しすぎた。思わず顔を背けて、左手で目元を庇う。瞼の裏が白く灼けて、じんじんと痛んだ。
少しずつ——光に慣れてくる。目を細めながら、隙間の先を覗き込んだ。
外の景色が見えた。
「……外?」
焦げた匂いが、隙間から流れ込んできた。煙と灰と、冷えた朝の空気が混じった匂い。
左手を伸ばして、その隙間に触れた。押してみる。動いた。重かったけれど、力を込めれば動かせた。
「……んっ」
左手一本で押し広げる。少しずつ、少しずつ隙間が広がっていく。光が増える。風が入り込んでくる。冷たい朝の風が頬に当たって、それだけで生きている実感が胸に落ちた。
隙間が体一つ分まで広がった瞬間、そこから外に這い出た。
「ふぎゃっ!」
暗闇から転げ落ちて、石畳に尻餅をついた。右腕を庇ったまま着地したから、衝撃が腰に来た。涙目になりながらお尻をさする。情けない声が口から漏れそうになるのを、ぐっと飲み込んだ。
体を起こして、周囲を見回した。
ホーソーン地区の街並みが——そこにあった。
けれど、私が知っている街ではなかった。建物は半分以上が崩れ落ちていて、石壁の残骸が道を塞いでいる。焼け焦げた木材の匂いが朝靄に混じって漂っていた。夜通し燃え盛っていた炎はまだ残っていたけれど、もう勢いはない。赤い残り火が瓦礫の隙間でちろちろと揺れているだけだった。
あの賑やかだった通りが——もう、どこにもなかった。
ふと——自分が出てきた場所が気になって、振り返った。
言葉を失った。
「———え?」
竜の手だった。
ところどころ鱗が剥がれて、鉤爪も欠けている——アメリア姐さんの、大きな両手。その両手が、包むように指を重ねて、中に空洞を作っていた。
私が今まで眠っていた暗闇は——姐さんの両手の中だった。




