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第4話 ――道場の記憶


「今日の修行は道場よ」


数日ぶりに道場へ集まった蒼牙と桜は、顔を見合わせた。


「道場?」


蒼牙が首を傾げる。


白玄は頷いた。


「今日は木刀も振らない」


「えっ?」


「見る修行も?」


「今日は心を整える日よ」


白玄は道場の隅に立て掛けられた箒を一本、蒼牙へ渡した。


「道場の掃除をしなさい」


蒼牙は少し困ったように笑う。


「掃除が修行になるんですか?」


「なるわ」


白玄は迷いなく答えた。


「むしろ、強くなる者ほど毎日欠かさないものよ」


桜も嬉しそうに小さな雑巾を持つ。


「私もやる!」


「じゃあ競争だ」


「負けないもん!」


兄妹は笑いながら掃除を始めた。

だが。


「違う」


白玄の声が飛ぶ。


蒼牙の動きが止まる。


「目の前の埃だけを見ていてはだめよ」


「え?」


「掃除とは、埃を取ることではない」


白玄は道場をゆっくり見渡した。


「木を見る」

「柱を見る」

「神棚を見る」

「木刀を見る」

「光を見る」

「乱れを見つけ、整えること」

「それが掃除よ」


蒼牙は改めて道場を見渡した。


一本だけ向きの違う木刀。


少し傾いた座布団。


神棚の榊も少し元気がない。


今まで見えていなかったものが、少しずつ見えてくる。


「見る修行と同じ……」


蒼牙が呟く。


白玄は静かに頷いた。


「そう」


「見る場所が変わっただけ」


「剣も、道場も、人も同じよ」


「乱れに気付ける者だけが整えられる」


蒼牙は黙って木刀を揃え始めた。


昼近くになった頃だった。


道場の隅に積まれた古い木箱を動かすと、小さな包みが転がり落ちた。


「お母さん、これ何?」


桜が不思議そうに尋ねる。


白玄はその包みを見ると、懐かしそうに目を細めた。


「開けてごらんなさい」


蒼牙はそっと布をほどく。


中から一本の古びた木刀が現れた。


派手な装飾はない。


どこにでもある木刀だった。


だが、その柄だけは黒く艶を失い、深く窪んでいる。


何万回。

何十万回。

握られ続けた証だった。


蒼牙はそっと握る。


冷たい木のはずなのに、不思議な温もりを感じた。


「これは……」


白玄は静かに微笑む。


「玄真の木刀よ」


蒼牙は息を呑んだ。


「じいちゃんの……」


「ええ」


「当主になる前から、ずっと使っていたもの」


蒼牙は木刀を見つめる。


「もっと立派な木刀を使えたんじゃないの?」


白玄はゆっくり首を横へ振った。


「玄真は言っていたわ」


「剣が強いのではない」


蒼牙は顔を上げる。


「積み重ねた日々が、剣を強くする」


静かな言葉だった。


けれど、その一言には玄真が歩んできた人生が詰まっていた。


「玄真は毎朝、誰より早く起きて道場を掃除していた」

「誰も見ていなくても」

「雨の日も」

「雪の日も」

「病の日でさえも」

「掃除を終えてから、この木刀を振っていた」


蒼牙は木刀を胸に抱く。


祖父が毎日握っていた一本。


その重みが、胸へ静かに伝わってくる。


(俺も……。)

(積み重ねよう。)


その日からだった。


誰に言われるでもなく、蒼牙は毎朝一番に起きるようになった。


道場を掃き。

床を磨き。

神棚へ手を合わせる。


そして玄真の木刀を握り、木刀を振る。


春が過ぎ。

夏が訪れ。

秋が色づき、冬が山を白く染める。


そして再び、神城山に春が訪れても、その日課が途切れることはなかった。


桜も眠そうな目をこすりながら雑巾を持ってくる。


「兄さん、眠いよぉ……」


「あと少しだから」


「うぅ……」


そう言いながらも、桜は楽しそうに笑っていた。


白玄はその様子を静かに見つめる。


玄真が残した剣。

玄真が残した生き方。

それは言葉ではなく、日々の積み重ねとして蒼牙へ受け継がれていた。


やがて道場は朝日に照らされ、静かに輝く。


白玄は小さく頷いた。


「それでいい」


「強さとは、一日で身につくものではない」


「毎日、自分を整え続けた者だけが、本当に強くなれる」


蒼牙は玄真の木刀を見つめながら深く頷く。


「はい」


その返事には、これまでとは違う重みがあった。


神城山の朝は、今日も静かに始まる。


箒の音。


木剣の音。


そして、兄妹の笑い声。


誰かに見せるためではない。


誰かに褒められるためでもない。


掃き、整え、剣を振る。


玄真がそうしてきたように、蒼牙もまた一日を積み重ねていく。


祖父が遺したものは、一本の木刀だけではなかった。




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