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シグナの思惑

*


 一方その頃――王都の地下深く。


 人知れぬアジトへ戻ったクゥは、シグナの前に膝をついていた。


「シグナ様。どうやら名誉騎士たちが、ボクたちのことを本格的に嗅ぎ回り始めたようです」

「……そうですか」


 報告を受けたシグナは、動揺するどころか眼鏡の位置を指先で直した。


「オークジャイアントは?」

「討伐されました。名誉騎士ルーナと守護獣、それから例のメイドによって」

「やはり、あの程度では止められませんでしたか」


 口ではそう言いながらも、シグナに落胆した様子はない。


 むしろ――その口元には、うっすらと笑みさえ浮かんでいた。


「ですが、悪くありません」

「……悪くない?」

「ええ。知性を引き上げたことで、劣勢と判断した個体が配下を囮にして撤退を選択した。指輪による魔力増幅も、想定以上の効果を発揮したようです」


 シグナは机上の紙へ何事かを書き込んでいく。


「実験結果としては十分ですよ」

「は、はあ……」


 自分たちの魔物が討伐されたというのに、気にしているのは勝敗ではなく、その過程だけ。


 相変わらずのシグナに、クゥは呆れたような声を漏らした。


「それと……今回は第二王子も、名誉騎士に協力しているようです」


 その一言で、シグナの手が止まった。


「第一王子に続いて、第二王子まで……ですか」

「はい。どうやら魔物の出現地点を調べているようで」

「なるほど……」


 シグナはあごに指を添える。


「第一王子アウリスは、自ら盤上へ飛び込んで駒を動かす人間。対して第二王子エリクは、盤上そのものを眺めて次の一手を読む人間……」

「……厄介ですか?」

「ええ」


 シグナはあっさりと認めた。


「少々、こちらの意図へ近づくのが早い」

「それじゃあ――」

「ですが」


 クゥの言葉を遮り、シグナが微笑む。


「だからこそ、面白い」

「…………」

「盤面を読む者がいるのなら――盤面そのものをこちらで用意してあげればいいのですよ」

「シグナ様?」


 シグナが椅子から立ち上がる。


「計画を、もう一段階進めましょう」


 そして一本の指を立てた。


「クゥ。あなたには引き続き、名誉騎士たちの監視を命じます」

「……承知しました」

「ただし――」


 シグナの声色が変わる。


「今度は、ただ見ているだけではありません」

「と、言いますと?」

「彼女たちは今、我々の拠点を探しているのでしょう?」

「はい」

「ならば――見つけさせてあげればいいのですよ」

「……!」


 クゥが目を細める。


「もちろん、本物ではありません」


 シグナは机に広げられた王都周辺の地図へ歩み寄った。


 その指先が、王都南部の一点で止まる。


「ここに、以前使っていた地下研究施設があります」

「そこをアジトに見せかける、と?」

「ご明察です」


 シグナの口元が吊り上がる。


「不要になった研究資料。使い古した実験器具。そして――」


 机に置かれた黒い指輪を一つ摘み上げる。


「これもいくつか残しておきましょう」

「指輪まで?」

「ええ。中途半端な証拠では、第二王子を納得させられませんから」


 シグナは指輪を机へ戻す。


「彼らが自ら調べ、自ら考え、自らそこを我々の拠点だと結論づける。それが重要なのです」

「……なるほど」

「あなた自身も、適度に姿を見せるといいでしょう」

「ボクが?」

「ええ。追いつけそうで追いつけない程度に」


 そこでシグナが釘を刺す。


「ただし、露骨に誘導してはいけません。特にエリクという男は、こちらが道を示せば真っ先に罠を疑うでしょう」

「それじゃあ、どうすれば?」

「簡単ですよ」


 シグナは笑った。


「道を示すのではなく――彼自身に見つけさせればいい」

「…………」

「偶然見つけた足跡。僅かに残された魔力。遠目に見えた黒い人影。そういったものを少しずつ与えなさい」

「分かりました」


 クゥが頭を下げる。


 だが――。


「それと、もう一つ」


 シグナの声に、クゥが顔を上げた。


「あなたの姉――ナミでしたか」

「……っ」


 その名前が出た瞬間。


 クゥの表情が、ほんのわずかに強張った。


 シグナはそれを見逃さない。


「以前接触したのでしょう?」

「……はい」

「どうでした?」

「相変わらずでしたよ。ボクの気配にも、簡単に気付いてしまいます」

「そうですか」


 シグナの瞳に好奇の光が宿る。


「やはり、あの女も面白い」

「…………」

「彼女には、まだ手を出してはいけません」

「……理由を伺っても?」

「まだ観察する価値があるからですよ」


 シグナは平然と答える。


「あの女は名誉騎士を守るためなら、自分の命すら惜しまないでしょう」

「…………」

「そしてあなたは、彼女の過去そのものだ」


 クゥの目が僅かに見開かれる。


「そういう人間が――守るべき現在と、捨てたはずの過去を同時に突きつけられた時、どちらを選ぶのか」


 クゥの拳が、わずかに握られる。


「……悪趣味ですね」

「褒め言葉として受け取っておきましょう」


 シグナは気にも留めない。


「引き続き彼女を揺さぶりなさい。ただし――殺してはいけませんよ」

「……承知しました」


 短く答えるクゥ。


 だが、その声音には先ほどまでとは僅かに違うものが混じっていた。


 そして――シグナは再び地図へ目を落とす。


「さて」


 その指先が、今度は偽の研究施設から離れ――王都の中心部へと移動する。


「名誉騎士と第二王子には、偽物を追っていただくとして」

「……まだ何か?」

「ええ」


 シグナの口元がゆっくりと歪んだ。


「オークジャイアントで、魔物の知性と力については十分なデータが取れました」


 指先が、王都の一点を叩く。


「次は――魔物ではなく、人間を試してみましょう」

「人間……?」

「第一王子アウリスです」

「アウリス殿下を?」

「以前から興味がありました」


 シグナは楽しげに目を細める。


「王族でありながら危険を顧みず、自ら戦場へ飛び込む。民を守るためなら、己の命さえ惜しまない」

「……英雄、ですか」

「ええ」


 シグナが小さく笑った。


「ならば、確かめてみたくなるではありませんか」


 地図の上を指先が滑る。


 一ヶ所。


 そして――そこから遠く離れた、もう一ヶ所。


「同じ時に、二つの場所で助けを求める声が上がったなら――」


 クゥが息を呑む。


「……まさか」

「人間一人が救える命には、限りがあります」


 シグナは淡々と言い放つ。


「どちらを救い――」


 口元に愉悦の笑みを浮かべる。


「どちらを見捨てるのでしょうね?」

「…………」

「それとも――」


 眼鏡の奥の瞳が、妖しく輝いた。


「どちらも救おうとして、自ら壊れるのでしょうか」


 地下の静寂に――


 シグナの小さな笑い声だけが響いた。

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