闇の接触と再結成
*
その夜。
ルーナが就寝した後、ナミは単独で調査へ出ていた。
(この先はお嬢様には危険すぎる)
静かな夜風がメイド服の裾を揺らす。
(危険は、わたくしの手で排除しなければ)
主を守るという使命感を胸に、ナミは人気のない夜の王都を駆けた。
昼間の喧騒は消え失せ、石畳の道には不気味な静寂だけが広がっている。
――その時だった。
ナミの足が止まる。
背筋をなぞるような微かな気配。
ここ数日、何度も感じていたものだ。
「……いるのでしょう」
ナミはゆっくり振り返った。
「出てきなさい」
静かな声が路地裏に響く。
数秒の沈黙。
やがて建物の影から、一人の黒づくめの女が姿を現した。
「さすがだね」
低い声。
「相変わらず勘がいい」
ナミの瞳が細められる。
「その声……」
胸の奥がざわつく。
だが、認めたくない。
認めれば何かが変わってしまう気がした。
「どう思う?」
女は問い返す。
どこか試すような口調だった。
「……まさか」
ナミの喉が鳴る。
「クゥなのですか?」
沈黙。
黒づくめの女は答えない。
ただ、わずかに肩をすくめた。
「さあね」
否定もしない。
肯定もしない。
「それより――」
女の視線が細くなる。
「今の姉さんは幸せそうだ」
ナミの眉がぴくりと動く。
「何が言いたいのですか」
「別に」
女は小さく笑った。
「ちょっと気になっただけ」
次の瞬間。
黒い影が掻き消える。
そして――
気づいた時には、ナミの目前にいた。
冷たい刃が喉元へ迫る。
だが。
ナミは表情ひとつ変えなかった。
指先が刃を挟み込む。
金属音。
そこで初めて女の瞳がわずかに揺れた。
「何の真似ですか」
静かな声。
怒りではない。
失望にも似た響きだった。
「あはは……」
女は力を抜く。
「やっぱり姉さんだ」
ぽつりと漏れた本音。
「この程度じゃ、全然届かない」
そして刃から手を離した。
ふわりと後方へ飛び退く。
闇へ溶けるような身のこなし。
「待ちなさい!」
ナミが踏み込む。
だが一歩遅い。
黒づくめの姿は、すでに夜の闇へ紛れていた。
残ったのは声だけ。
「じゃあね――姉さん」
その呼び方に。
ナミの表情が初めて大きく揺らぐ。
「……クゥ」
確信にも似た呟き。
しかし返事はない。
夜の王都には、再び静寂だけが戻っていた。
*
翌朝。
ルーナは宿屋のベッドの上で目を覚ました。
「ん……ふあぁ……っ」
両腕を伸ばしながら大きなあくびを漏らす。
ふと視線を向けると、窓際にはナミが立っていた。
いつものように背筋を伸ばしている。
だが――どこか様子がおかしい。
「ナミ、どうしたの?」
「――はっ」
呼びかけられたナミの肩が、わずかに震えた。
まるで深い考え事から引き戻されたかのように。
「おはようございます、お嬢様。よくお休みになられたようですね」
すぐに微笑みを作る。
しかしルーナは見逃さなかった。
「ええ。……でもナミ、今ちょっと変だったわよ?」
「……っ」
一瞬だけ言葉に詰まるナミ。
だがすぐに首を横へ振った。
「申し訳ございません。少々気が抜けていたようです」
「ナミが?」
ルーナは目を丸くする。
「珍しいわね」
その言葉に、ナミは小さく息を吐いた。
(お嬢様に隠し事などしたくありません)
昨夜の出来事が脳裏をよぎる。
(ですが……まだ確証がない)
そして何より――
(お嬢様を巻き込むわけにはいきません)
ナミは静かに感情を押し込めた。
「それではお嬢様。お着替えをいたしましょう」
「ええ、お願いするわ」
着替えを終えたルーナは、ナミと共に一階の食堂へ向かった。
すると――
「あっ、ルーナさん!」
聞き覚えのある声。
振り向けば、そこにはニッケとベルの姿があった。
「あら、ニッケじゃない! ベルも!」
「おはよう、ルーナちゃんっ」
ベルが大きく手を振る。
「私たちもこの宿に泊まってたんだ~!」
「そうだったのね!」
促されるまま、ルーナは同じテーブルへ腰を下ろした。
「まさかルーナさんまでここに泊まってるとは思いませんでした」
「国王陛下に呼ばれたって聞いたから、もっと立派な場所に泊まってるのかと思ってたよ~」
ベルの言葉にルーナはくすりと笑う。
「どうやら国王陛下も、わたしにはある程度自由を認めてくださっているみたいね」
そして懐かしそうに周囲を見回した。
「それに……この宿は落ち着くの。三年前を思い出すわ」
「分かります!」
「ここ居心地いいもんね~」
そんな会話をしているうちに朝食が運ばれてくる。
ルーナは鱒のムニエルへナイフを入れ、一口頬張った。
「やっぱり美味しいわ」
「ですよね!」
「サンフラワーのご飯は最高だよ~!」
自然と笑顔になる一同。
しかしその時だった。
ベルが少し声を潜める。
「そういえばさ」
「ん?」
「最近、この辺で怪しい人の目撃情報が増えてるらしいんだ」
「え?」
ルーナが目を丸くする。
「夜になると黒い服を着た人影が出るとか何とか。ただの噂かもしれないけどね~」
ベルは肩をすくめた。
「でもルーナちゃん、気をつけてね」
「ええ。教えてくれてありがとう」
その瞬間。
ナミの肩がぴくりと震えた。
だが誰も気づかない。
気づいたとしても、それが何を意味するのか分からないだろう。
「だって仲間だもん!」
ベルが豊かな胸を張る。
「このくらいお安い御用だよ!」
ルーナは自然と笑みを浮かべた。
「頼もしいわね」
「それで、ルーナさんは今日どうする予定なんですか?」
ニッケの問いに、ルーナは少し考える。
「そうね。討伐依頼を受けながら調査を進めようかしら」
「それなら!」
ニッケが勢いよく拳を握った。
「ウチらも同行します!」
「えっ、本当に!?」
「もちろんです! 三年ぶりの共同依頼ですよ!」
ベルも勢いよく手を挙げる。
「それ絶対面白そう! ルーナちゃんはどう?」
「いいと思う!」
ルーナの顔がぱっと明るくなった。
「決まりですね! ぜひ一緒に行きましょう!」
「やったー!」
賑やかな笑い声が食堂に響く。
こうしてルーナたちは、久しぶりにパーティを組み、魔物討伐と調査へ向かうことになったのである。




