市場での魔物騒動
アルスと駆けつけたルーナは、目前で暴れるブラッディトロールの姿に息を呑んだ。
赤い肉体が膨張し、血のような蒸気を吐き出す。
その一歩ごとに、石畳が悲鳴を上げるようにひび割れた。
「……なんて迫力。これまでの魔物とは、まるで別格だわ!」
たじろぐルーナの頬に、アルスが軽く頭を寄せる。
『怖がらないで、ルーナ。ぼくがいるよ』
「ふふ……そうね。あなたは海の王者だもの。頼りにしてるわ!」
ルーナが指を突き出すと、アルスの瞳に闘志が灯った。
ブラッディトロールが咆哮を上げ、二人を睨み据える。
「――行くわよ、アルス! 突撃!」
『了解っ! いっくぞぉー!!』
次の瞬間、巨体同士が激突した。
――ドゴォンッ!!
大地が揺れ、周囲の建物がきしむ。
肉と骨のぶつかる重低音が、戦場の空気を震わせた。
『ぬおおおおっ!!』
「グブフフフフフッ!!」
拮抗する力。だが、先に動いたのはブラッディトロールだった。
片腕でアルスの体を掴むと、そのまま振り回して地面へ叩きつける!
『うわあっ!?』
「アルスっ! ――《アクア・ヴェール》!!」
ルーナの詠唱と同時に、水の膜がアルスを包み、衝撃を和らげた。
地面が砕け、粉塵が舞う中、アルスが姿勢を立て直す。
『助かったよ、ルーナ!』
「ええ。でも……厄介ね。あの腕力、尋常じゃないわ!」
膨れ上がった筋肉を誇示するように、ブラッディトロールが吠える。
『でもパワー勝負だけが戦いじゃない! スピードなら、ぼくが上!』
「いいわ! なら次は速攻よ!」
アルスが一瞬で距離を詰め、ブラッディトロールへ突進する。
迎え撃つ怪物の腕が、唸りを上げて振り下ろされた――。
「アルス、宙返り!」
ルーナの笛が短く鳴る。
アルスは水を蹴って宙を舞い、トロールの攻撃を紙一重で回避。
地面が粉砕され、砂煙が吹き上がる。
「今よ、アルス!」
『くらえっ!!』
アルスの鋭い頭突きが、ブラッディトロールの腹部を直撃!
巨体がよろめき、黒い血が地面に飛び散る。
「このまま決めるわ! ――《スプラッシュ・ボンバー》!!」
ルーナの頭上に巨大な水球が生まれ、それをアルスが尾びれで叩き落とした。
――轟音とともに爆発的な水柱が市場を包み、視界が真っ白に染まる。
「やった……!?」
ルーナが息をついた瞬間――。
「ルーナちゃーんっ!」
「ベル!? もう大丈夫、倒したわ――」
「危ない! 《テラ・ウォール》!!」
ベルの詠唱が響く。
直後、水蒸気爆発が起き、灼熱の爆風が襲いかかった!
『うわああっ!!』
アルスが吹き飛び、瓦礫を巻き込みながらルーナの前に転がる。
「アルス!」
『平気……でも、見て!』
そこに立つブラッディトロールは、炎を纏っていた。
赤熱した皮膚がひび割れ、血のような蒸気を上げている。
「ブボオオオオオオオッ!!」
「――《アクア・ヴェール》!!」
ルーナが防御の水膜を展開し、熱波を遮る。
だが市場の一区画は火の海に包まれ、逃げ遅れた人々の叫びがこだまする。
「こんなの、許せない……!」
ルーナの瞳に炎が宿る。怒りと正義が、恐怖を飲み込んだ。
「アルス、もう一度! 全部ぶつけて!」
『うん、ルーナ! ぼくたちの海の力で!!』
二人が息を合わせて走り出す。
ブラッディトロールが豪腕を振り下ろすが、アルスは滑るように回避。
だが、地面の衝撃でルーナが弾き飛ばされた。
「きゃあっ!?」
『ルーナ!』
その隙を突かれ、アルスの尾びれが掴まれる。
『しまっ――!』
ブラッディトロールがアルスを振り回し、地面に叩きつけた。
鈍い音が響き、アルスの身体が転がる。
「アルスくん! ルーナちゃん!」
ベルの声が震える。
立ち上がれない二人を見て、ブラッディトロールの視線がベルへと移った。
「ブフフフ……」
「い、いやぁ……!」
ベルが咄嗟に《ロック・ブラスト》を放つが、拳大の石礫は弾かれる。
トロールの巨腕が伸びる――。
『ベルをいじめるなぁああああっ!!』
絶叫と共に、アルスの体が弾丸のように突進した。
水飛沫を巻き上げ、灼熱の空気を切り裂く。
――ドゴォン!
渾身の体当たりがブラッディトロールを吹き飛ばし、瓦礫が宙を舞う。
『おまえの相手は、ぼくだ!!』
立ち上がるアルスの瞳に、蒼い光が宿る。
その背後で、ルーナが詠唱を始めた。
「あなたにはわたしがいるわ――行って、アルス!」
『うんっ!』
「『――ウェーブ・タックル!!』」
アルスの身体が水の奔流に包まれ、荒れ狂う波の化身となる。
突撃の瞬間、熱と水がぶつかり合い――凄まじい爆音と蒸気が、すべてを呑み込んだ。
……やがて風が通り抜け、白い蒸気が晴れていく。
立っていたのは――アルスだった。
「今度こそ――やったわ……!」
『ルーナ~!』
間髪を入れずに飛びついてきたアルスを、ルーナが両腕でしっかりと受け止めた。
その体温と鼓動が伝わってくる。
「よくやったわ、アルス! あなたは本当に最強よ!!」
『えっへん! ぼくはサイキョーなんだ!!』
アルスが身体を反らせて誇らしげに声を上げる姿に、ルーナも思わず頬を緩めた。
その背後で立ちすくむベルに気づいたルーナは、そっと歩み寄る。
「もう大丈夫よ、ベル――うわっ!?」
「ルーナちゃあああああん!!」
涙目のベルが勢いよく飛びつき、ルーナの顔がその豊満な胸に埋まる。
「むごっ!? ベル、ちょ、ちょっと……胸が……!」
「はわわっ、ご、ごめんっ!」
慌てて離れるベル。
ルーナはむせながらも、ふっと微笑んだ。
「ありがとね、ベル。助けに来てくれたんでしょう?」
「でも……わたし、怖くて……なにもできなかったよ……」
俯いたベルの手を、ルーナはそっと握りしめる。
「そんなことないわ。あなたが勇気を出して立ってくれたから、わたしたちはもう一度立ち上がれたの」
「……本当に?」
「ええ。だから、胸を張っていいのよ」
「……うん」
ルーナの言葉に、ベルの頬がほんのりと朱に染まった。
「みなさーん! 遅くなりました~!」
「ニッケちゃん!」
息を弾ませて現れたニッケの背後には、鎧に身を包んだ騎士団数名がいた。
「市場が……ひどい有り様ですね!」
「ええ。あのブラッディトロール、派手に暴れてくれたわ……」
ルーナが見やる先で、トロールの巨体がなおも熱を放ち、焦げた肉の匂いが漂っていた。
騎士団の面々が規律正しくその亡骸を回収していく。
市場の一区画が焦げつき、煙の匂いが残る。
「……野放しの魔物が市街に? 妙だな」
騎士団の隊長が現場を見回しながらつぶやいた。
そんな中で騎士団の一人が、トロールの腕に装着された黒い枷を見つけた。
「またこの枷か……」
枷を見つけた騎士の視線が、一瞬だけルーナとアルスへ向けられる。
その瞳には、感謝と……わずかな警戒が入り混じっていた。
「……終わったのね」
『うん! ぼくたちの、しょーり!!』
アルスが胸を張ると、ルーナは笑ってその背を撫でた。
「――お嬢様! ご無事ですか!?」
人々の避難を終えたナミが駆け寄ってくる。
焦りを隠せない表情のまま、彼女は素早く応急処置を始めた。
「ナミ、避難誘導お疲れさま。みんなは無事?」
「はい、負傷者は数名ですが、命に別状はありません。それよりお嬢様、こんなに傷だらけで……!」
ナミはメイド服の懐から器用に包帯や薬を取り出し、ルーナの腕の傷を丁寧に拭う。
薬草の香りがふわりと立ち上がった。
「……っ、ちょっと染みるわ」
「我慢してくださいませ。お嬢様の勇気が、皆を救ったのですから」
ナミの静かな声に、ルーナの胸が温かく満たされる。
アルスがそっと顔を寄せた。
『ルーナ、がんばったね!』
「ええ、みんながいてくれたから」
――この事件は「市場の暴走魔物騒ぎ」として人々の噂に上った。
だがその裏で、密かに動き出した者たちがいた――。
その夜、王都の片隅。
黒ずくめの男が、焼け焦げた痕を見つめながらつぶやいた。
「……さすがの強さだ。次こそは――あの海獣を狙う番だな」




