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『断罪予定の悪役令息ですが、冷酷第一王子にだけ求婚されています』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第23話 王宮聴取と公爵家の綻び

 王宮の聴取室は、想像していたよりもずっと静かだった。


 もっと重々しい場所を想像していた。石壁に囲まれ、蝋燭の灯りだけが揺れ、問い詰める者と問い詰められる者の呼吸まで響くような場所を。


 けれど実際に通された部屋は、整いすぎているほど整っていた。


 磨かれた机。深い緑の絨毯。壁に掛けられた王家の紋章。窓辺には薄い白のカーテンがかかり、午後の光が柔らかく差し込んでいる。


 穏やかに見える。


 けれど、その穏やかさが逆に怖かった。


 ここで交わされる言葉は、ただの会話ではない。記録され、証拠となり、誰かの立場を動かす。


 ルシアンは椅子に腰を下ろしたまま、膝の上で手を組んでいた。


 正面には王宮文官が二人。横には記録官。壁際にはレオンハルトが控えている。


 そして少し離れた位置に、アルベールが立っていた。


 同席するとは聞いていなかった。


 だが、部屋へ入った瞬間から彼は当然のようにそこにいて、ルシアンが何か言う前に短く言った。


「私は黙っている。必要があれば口を出す」


 十分、口を出す気がある言い方だった。


 文官たちも異を唱えない。第一王子がそう言うなら、そうなのだろう。少なくともこの場では。


 年長の文官が書類を整え、静かに口を開いた。


「ルシアン・エヴラール様。確認のため、式典中に行われた告発について、あなたご自身の認識を伺います」


「はい」


「セシリア・フォルナン嬢への嫌がらせ、盗難、薬物混入、脅迫文の作成、またはそれらを誰かに命じた事実はありますか」


「ありません」


 即答した。


 声は震えなかった。


 そのことに、自分で少し驚く。


 文官は一度頷き、記録官がペンを走らせる。


「では、証拠品とされた箱、薬包、書簡、ブローチの欠片について、事前に見たことは」


「ありません」


「発見場所とされた準備室、もしくはその戸棚へ、本日近づきましたか」


「いいえ。私は控え室と壇上袖、講堂の所定位置以外には移動していません」


「それを証明できる方は」


 ルシアンが答える前に、レオンハルトが淡々と言った。


「こちらで確認済みです。式典開始前から告発時点まで、ルシアン様には王宮警備隊の目がありました。単独行動はありません」


 文官がちらりとアルベールを見る。


 アルベールは何も言わない。


 ただ、それで足りるだろう、という顔をしていた。


 文官は咳払いをした。


「では、セシリア・フォルナン嬢との関係について伺います」


 来た。


 ルシアンはわずかに背筋を伸ばした。


 この問いは避けられない。ブローチ、庭園、毒、公開式典。すべてがセシリアを軸に仕組まれていた以上、自分と彼女の関係は確認されるだろう。


「以前、あなたがフォルナン嬢に対して快くない態度を取っていたという証言があります」


「事実です」


 文官の手が止まる。


 少し驚いたようだった。


 ルシアンは続けた。


「正確に言えば、フォルナン嬢だけではありません。私は多くの方に対して、近づきづらい態度を取っていました。言葉が刺々しかったこともあります」


 書きながら、記録官が一瞬だけ顔を上げる。


 ルシアンはそのまま言った。


「ですが、それは今回の告発内容とは別です。私が未熟だったことと、彼女を害したかどうかは同じではありません」


 文官は少しだけ目を細めた。


「それは、式典での弁論と同じお考えですね」


「はい」


「今も変わりませんか」


「変わりません」


 文官はゆっくり頷いた。


「分かりました」


 少し間が空く。


 その沈黙の間に、隣室からかすかに声が聞こえた。誰かが強い調子で否定している声。扉越しで言葉までは分からないが、焦りだけは伝わってくる。


 文官の一人が耳を澄ませ、すぐに表情を戻した。


「失礼しました。次の質問です。ジュリアン・ヴァレリオ様について、何か不審に思われたことはありますか」


 部屋の空気がわずかに変わった。


 レオンハルトの視線も、わずかにこちらへ向く。


 ルシアンはすぐには答えなかった。


 ここで感情的に言えば、ただの疑いになる。けれど何も言わなければ、これまで感じていた違和感が記録に残らない。


 慎重に言葉を選ぶ。


「決定的な証拠はありません」


「構いません。あなたが見聞きした範囲で」


「ヴァレリオ様は、いつも直接誰かを断罪する立場には立ちませんでした」


 文官がペンを構える。


「けれど、周囲が疑いやすい言葉を選んでいたように思います。たとえば、ブローチが私の席の近くで見つかった時も、“まだ何も決まってはいない”と仰いました」


「それ自体は中立的な言葉に聞こえますが」


「はい。だから問題なのです」


 文官が顔を上げる。


 ルシアンは続けた。


「責めてはいない。庇っているようにも聞こえる。けれど、その場にいる者へ“疑う余地はある”と残す言い方でした。庭園の時も、昼餐会の時も、式典の時も同じです」


 自分で言いながら、少しずつ整理されていく。


 今まで違和感として抱えていたものが、言葉になる。


「彼はいつも、相手が自分から都合の良い結論へ進むように場を整えます。私には、そう見えました」


 文官は無表情だった。


 だが、記録官のペンは止まらない。


 年長の文官が静かに尋ねた。


「それは、ヴァレリオ様が今回の一連の件に関与しているという告発ですか」


「いいえ」


 ルシアンは首を横に振った。


「私が今言えるのは、見たことだけです。彼が何をしたかまでは、私には分かりません」


 そこで一度息を吸う。


「ただ、私はもう、彼の言葉をただの親切や中立だとは受け取れません」


 文官はしばらくルシアンを見ていた。


 やがて、静かに頷く。


「分かりました」


 聴取はそれからもしばらく続いた。


 過去のセシリアとの接触。晩餐会での動き。公開式典の控え室での位置。壇上で教師が告発を始めた時の認識。


 同じような質問が形を変えて繰り返される。


 途中、ルシアンは少しだけ疲れを感じた。


 その瞬間だった。


「休憩を入れろ」


 アルベールが言った。


 文官がすぐに顔を上げる。


「殿下、あと数問で」


「休憩だ」


 静かな声だった。


 だが、反論は許さない声でもあった。


 文官は一礼した。


「承知しました」


 文官と記録官が部屋を出る。


 レオンハルトも一瞬だけアルベールを見た後、黙って外へ出た。扉が閉まる。


 部屋には、ルシアンとアルベールだけが残った。


 ルシアンは椅子の背に少しだけ体を預ける。


「……お気遣い、ありがとうございます」


「顔色が悪い」


「今日は何度も言われそうですね」


「事実だ」


「否定できません」


 少しだけ息が抜けた。


 アルベールは机の上の水差しからグラスへ水を注ぎ、ルシアンの前へ置く。


 ルシアンは素直に受け取った。


 冷たい水が喉を通る。


 それだけで、自分が思っていた以上に緊張していたことが分かった。


「よく答えている」


 不意にアルベールが言った。


 ルシアンはグラスを持ったまま顔を上げる。


「そうでしょうか」


「感情で断じていない。だが、見たものは隠していない」


「……それが正しいのか、まだ分かりません」


「正しい」


 即答だった。


 相変わらず迷いがない。


 その迷いのなさに、少しだけ救われる自分がいた。


「殿下は、ジュリアン様が関与していると思われますか」


 尋ねてから、少し踏み込みすぎたかと思った。


 だがアルベールは答えた。


「思っている」


 簡潔すぎた。


 ルシアンは思わず瞬いた。


「断定なさるのですね」


「証拠として出すには、まだ足りない。だが、判断としては十分だ」


「……彼は、なぜそこまで」


 アルベールは少しだけ目を伏せた。


「嫉妬、野心、家の思惑。どれか一つではないだろうな」


「私に、ですか」


「私にもだ」


 その言葉に、ルシアンは少し黙った。


 ジュリアンはいつも人の中心にいた。


 誰にでも好かれ、信頼され、場を整える力を持つ人間だった。そんな彼が、なぜ自分に絡むのか。なぜアルベールを揺さぶろうとするのか。


 分かるようで、分からない。


「お前が私の隣に立ったことが、面白くなかったのだろう」


 アルベールが言った。


 ルシアンは思わずグラスを置く。


「……それは、どういう意味ですか」


「そのままだ」


「そのままでは困ります」


「では、困っていろ」


「殿下」


 少し強めに呼ぶと、アルベールはほんのわずかに口元を緩めた。


 こんな時に笑う人ではないはずなのに。


 いや、この人は時々、こういう時に笑う。


 ルシアンが本気で困ると、少しだけ。


「ジュリアンは、人の中心にいることに慣れている」


 アルベールは言った。


「誰かの視線を集めるのも、同情を得るのも、信頼されるのも上手い。だが、今回はそれが崩れた」


「……私のせいで?」


「お前が彼の筋書き通りに動かなくなったからだ」


 それは、少しだけ不思議な言い方だった。


 まるで自分が、自分でも知らないうちに何かを壊したような。


「私は、ただ必死だっただけです」


「それで十分だ」


 アルベールは当然のように言う。


「必死に立っている者は、作られた物語を壊すことがある」


 その言葉は、妙に胸に残った。


 必死に立つ。


 自分が今日したことは、本当にただそれだけだった。


 逃げずに、崩れずに、違うと言った。続けると言った。壇上で自分の言葉を話した。


 それだけで、何かが変わり始めたのかもしれない。


 扉が軽く叩かれた。


 レオンハルトが戻ってくる。


「殿下。ヴァレリオ公爵家の従者マルク・ベランが、一部証言を変えました」


 アルベールの目が鋭くなる。


「言え」


「箱を準備室へ置いたことを認めました。ただし、命じたのはジュリアン様ではなく、別の人物だと」


「誰だ」


「カルヴァン家の執事、と」


 ルシアンは息を詰めた。


 カルヴァン家へ責任を流した。


 そう見えた。


 アルベールも同じ判断なのだろう。表情は変わらないが、声が少し冷えた。


「都合がいいな」


「はい。また、ヴァレリオ家の名を出した理由については、“準備に関わっていたため誤解された”と」


「ジュリアンは」


「現在、事情聴取中です。落ち着いています」


 落ち着いている。


 あの状況で。


 ルシアンは小さく息を吐いた。


 ジュリアンはまだ崩れ切っていない。


 微笑みは罅割れたが、その奥にあるものはまだ形を保っている。


 アルベールは短く命じた。


「マルクを隔離しろ。カルヴァン家側の者と接触させるな。ジュリアンにも、従者の証言内容はまだ知らせるな」


「承知しました」


 レオンハルトが出ていく。


 文官たちが戻るまで、少しだけ沈黙が落ちた。


 ルシアンはぽつりと言った。


「押しつけ合いが始まるのですね」


「そうだ」


「公爵家とカルヴァン家が」


「互いに責任を被りたくない。だが、どちらも完全には無関係でいられない」


 公爵家の綻び。


 カルヴァン家の綻び。


 そこへ王宮の調査が入る。


 ひとつ糸を引けば、もっと大きな布まで裂けるかもしれない。


「怖い顔をしている」


 アルベールが言った。


 ルシアンは少しだけ苦笑した。


「今日は怖いことばかりです」


「その割に逃げていない」


「昨日、逃げた分を取り戻そうとしているのかもしれません」


「なら、少しは取り戻した」


 短い言葉。


 けれど、不思議と温かかった。


 聴取が再開され、しばらくしてルシアンへの質問は終わった。


 文官は最後に書類を整え、丁寧に頭を下げる。


「本日の聴取は以上です。必要があれば、後日改めてお話を伺います」


「分かりました」


「なお、現時点でルシアン様を被疑者として扱う理由は確認されておりません」


 その言葉に、ようやく少し息ができた。


 完全な無罪宣言ではない。


 けれど、少なくともこの場ではっきりと線が引かれた。


 文官たちが退室する。


 ルシアンも立ち上がろうとしたが、思ったより足に力が入らなかった。


 一瞬、椅子の肘掛けに手をつく。


 すぐにアルベールが近づいた。


「言っただろう。顔色が悪い」


「……少し、気が抜けただけです」


「少しでそれか」


「殿下は本当に遠慮がありませんね」


「今さらだ」


 アルベールは腕を貸そうとするように手を伸ばしかけ、途中で止めた。


 ルシアンはそれを見た。


 以前なら強引に掴んできたかもしれない。


 だが今は、止めた。


 選ばせている。


 そのことに気づいたら、胸の奥が少しだけ詰まった。


 ルシアンは、自分から手を伸ばした。


 ほんの少しだけ。


 袖口を掴む程度に。


 アルベールの目がわずかに見開かれる。


「……歩くまでです」


 ルシアンは先に言った。


「それ以上の意味はありません」


「そうか」


「そこで笑わないでください」


「笑っていない」


「笑っています」


 アルベールは否定しなかった。


 静かに、ルシアンを支える。


 部屋の外へ出ると、王宮の廊下は夕方の光に染まっていた。遠くで誰かが足早に歩く音がする。別室ではまだ聴取が続いているのだろう。


 その廊下の先に、エドモン侯爵が立っていた。


 ルシアンは反射的に手を離そうとしたが、アルベールは離さなかった。むしろほんの少しだけ支えを強めた。


 父はその様子を見た。


 表情は読めない。


 けれど、叱責は飛んでこなかった。


「聴取は終わったか」


「はい、父上」


「なら帰るぞ」


 短い言葉。


 それだけだった。


 だが侯爵は、少し歩き出してから足を止めた。


 振り返らずに言う。


「今日は、よく立っていた」


 ルシアンは息を止めた。


 父はそれ以上何も言わず、先へ進んでいく。


 短い。


 あまりにも短い。


 けれど、父らしい言葉だった。


 ルシアンは小さく頷いた。


「……はい」


 アルベールの手が、ほんの少しだけ緩む。


「よかったな」


「はい」


 今度は素直に答えられた。


 王宮の廊下を歩きながら、ルシアンは思った。


 まだ終わっていない。


 ジュリアンはまだ崩れ切っていない。

 公爵家も、カルヴァン家も、これから互いに責任を押しつけ合うだろう。

 真実がすべて白日の下にさらされるまでには、まだ時間がかかる。


 それでも、今日、自分は少しだけ前へ進んだ。


 壇上で。

 聴取室で。

 そして父の前で。


 自分の足で立った。


 その事実だけは、誰にも偽造できない。

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