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『断罪予定の悪役令息ですが、冷酷第一王子にだけ求婚されています』  作者: 常陸之介寛浩✪書籍・本能寺から始める信長との天下統一


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第20話 逆転の証拠

 講堂の空気は、音を失っていた。


 つい先ほどまで、すべての視線はルシアンへ向けられていた。


 疑い。

 驚き。

 恐れ。

 そして、どこかで用意されていた納得。


 ――やはり、ルシアン・エヴラールだったのか。


 そう結論づけるには、あまりにも都合のいい材料が壇上に並べられていた。


 セシリアのブローチに似た欠片。

 薬包らしきもの。

 ルシアンの名が記された紙片。

 複数の使用人の証言。

 脅迫文。

 学園教師による告発。


 だが、アルベールが壇上へ上がったことで、その流れは断ち切られた。


 彼はルシアンの前に立つのではなく、隣に立っていた。


 庇うだけなら、前に立てばよかった。


 だが、隣に立った。


 それは、ルシアンをただ守られるだけの存在にしないという意思表示のようにも見えた。


「レオンハルト」


 アルベールの声が、静かに響いた。


「はい」


 壇上脇に控えていたレオンハルトが一歩前へ出る。


 彼の手には、先ほど教師から預かった黒い箱があった。箱の中の品々は、すでに一つ一つ布の上へ置かれ、近衛騎士が記録している。


 アルベールは教師へ視線を戻した。


「もう一度聞く。この品々は、どこで発見された」


 教師は顔色を失っていた。


 それでも、ここで黙るわけにはいかなかったのだろう。唇を震わせながら答える。


「ルシアン様の控え室近くにございます、準備室の戸棚から……」


「誰が見つけた」


「式典補佐の生徒が」


「名は」


「……エリック・モランです」


 その名が出た瞬間、客席の一部がざわめいた。


 下級貴族の生徒だ。目立つ家柄ではないが、式典補佐として動いていた少年の一人だとルシアンにも記憶があった。


 レオンハルトがすぐに合図を出す。


 講堂の脇から、青ざめた少年が近衛騎士に伴われて出てきた。


 彼はまだ若い。ルシアンと同じ学年だが、いつも目立たぬようにしていた生徒だった。壇上に立たされると、膝が震えているのが遠目にも分かった。


 アルベールは彼へ詰め寄らなかった。


 むしろ距離を保ったまま、静かに尋ねる。


「エリック・モラン。お前がその箱を見つけたのか」


「は、はい……」


「自分で開けたか」


「いえ……中身は、教師の先生にお渡ししてから」


「箱は最初からその場所にあったのか」


 エリックは唇を震わせた。


「……分かりません」


 講堂がざわつく。


 アルベールは表情を変えない。


「分からない?」


「ぼ、僕は……その、戸棚を確認するように言われて」


「誰に」


 エリックの視線が泳いだ。


 一瞬、客席の方へ動きかける。


 だが彼はすぐに俯いてしまった。


「……覚えて、いません」


 その返答に、講堂の空気が少し歪んだ。


 覚えていないはずがない。


 誰もがそう思った。


 けれど、少年は怯えていた。嘘をつくことに慣れていない顔だ。何かを隠しているのは明らかだったが、自ら進んで悪意を振るっているというより、恐怖に押されて口を閉ざしているように見えた。


 アルベールは少しだけ声を落とした。


「ここは王立学園の式典だ。嘘をつけば、お前自身が罪を負う」


 エリックの肩が震えた。


「ですが、今正直に話せば、誰に命じられ、何を恐れていたかまで聞く。お前だけを切り捨てる場にはしない」


 その言葉に、エリックは顔を上げた。


 涙が浮かんでいた。


 しばらく唇を震わせてから、彼は消え入りそうな声で言った。


「……手紙が」


「手紙?」


「僕の家に、借金があって……父が病で、返済が遅れていて……そのことを知っている人から、手紙が来ました。今日、準備室の戸棚を確認しろと。箱があったら先生に届けろと。それだけだと」


 講堂が大きくざわめいた。


 ルシアンは黙って少年を見ていた。


 まただ。


 また、誰かの弱みが使われている。


 ブローチを置いた侍女見習いも、金で動かされていた。給仕も、家族を理由に買収されていた。今度は借金と病の父。


 黒幕は直接手を汚さない。


 追い詰められた者の手を使う。


 アルベールの声は冷えた。


「その手紙はあるか」


「ここに……」


 エリックは懐から折りたたまれた紙を取り出した。


 レオンハルトが受け取り、すぐに確認する。


「殿下。封蝋はありません。筆跡は偽装されていると思われます」


「内容は」


 レオンハルトは一度文面へ目を落とし、それから淡々と読み上げた。


「“家の事情を世間に知られたくなければ、式典当日、第二準備室の右奥の戸棚を確認しろ。箱があれば教師へ渡せ。それだけでよい”と」


 それだけでよい。


 その言葉が、ひどく冷たく響いた。


 実際、エリックは箱を置いていない。


 ただ“見つけた”だけだ。


 だからこそ、彼は自分が重大な罠に加担しているとまでは思っていなかったのかもしれない。


 アルベールは教師へ視線を戻した。


「この生徒から箱を受け取った後、お前は中を確認したのか」


「はい」


「誰と」


「……私、一人で」


 レオンハルトが静かに首を横へ振った。


「記録と異なります」


 教師の顔がさらに白くなる。


 講堂の空気がまた動いた。


 アルベールはそちらへ目を向ける。


「言え」


 レオンハルトは手元の記録を開いた。


「箱が発見された時刻は式典開始前。準備室前の廊下には、教師の他に、学園事務官一名、式典補佐二名、そしてヴァレリオ公爵家付きの従者一名が確認されています」


 ジュリアンの名前は出ていない。


 けれど、ヴァレリオ公爵家付きの従者、という言葉で客席の視線がいくつも動いた。


 ジュリアンは席で静かに眉を寄せていた。


 彼はすぐには反応しない。

 その顔は、困惑しているようにも、心を痛めているようにも見える。


 完璧だ。


 ルシアンは、そう思ってしまった。


 アルベールが言う。


「その従者はどこにいる」


 レオンハルトが短く答えた。


「確保しております」


 講堂にどよめきが走った。


 アルベールは最初から、この展開を読んでいた。


 証拠が出ることも、発見者がいることも、その周辺に誰がいたかも。


 すべてではないにせよ、備えていたのだ。


 ルシアンは思わずアルベールを見た。


 彼は一切こちらを見ていない。


 ただ前を見ている。


 けれどその背中が、今はとても大きく見えた。


「連れて来い」


 短い命令。


 少しして、近衛騎士に伴われ、壮年の従者が講堂へ入ってきた。


 ヴァレリオ公爵家の紋が入った控えめな制服。整った身なり。だがその顔は硬い。すでに何かを覚悟しているようにも見えた。


 ジュリアンが初めて、少しだけ表情を動かした。


「待ってください、殿下」


 彼は立ち上がる。


 声は落ち着いていた。

 だが、わずかに緊張が混じっている。


「その者は我が家に仕える者です。もし何か不手際があったなら、私からも事情を――」


「座れ」


 アルベールの一言で、ジュリアンの言葉が止まった。


 柔らかな会話など許さない声だった。


「今はお前の弁明の場ではない」


 ジュリアンは数拍黙り、ゆっくりと礼をした。


「……失礼いたしました」


 座る。


 けれど、その目はまっすぐ壇上を見ていた。


 アルベールは従者へ向き直る。


「名は」


「マルク・ベランでございます」


「準備室前で何をしていた」


「主家の式典資料を届けに参りました」


「誰に」


「学園事務官へ」


「その時、箱を見たか」


「……見ておりません」


 アルベールはレオンハルトへ視線を送る。


 レオンハルトは別の紙を開いた。


「証言と一致しません。事務官は、ベランが箱を手にした状態で準備室付近にいたと証言しています」


 従者の頬が微かに動いた。


 それでも彼は言う。


「見間違いでございましょう」


「では、これも見間違いか」


 レオンハルトが手袋をした手で、小さな布袋を掲げた。


 中には赤黒い封蝋の欠片が入っている。


「準備室の戸棚内部から採取したものです。ヴァレリオ公爵家の封蝋と成分が一致します。紋章部分は崩されていましたが、使用している香料混合が一致しました」


 講堂がざわめく。


 ジュリアンの表情は、まだ崩れない。


 だが、その口元の笑みは消えていた。


 アルベールは続けた。


「箱を戸棚へ置いたのはお前か」


 従者は黙った。


「答えろ」


「……私では」


「では誰だ」


「存じません」


 従者は硬く口を閉ざした。


 そこから先は、どれほど問いかけても同じだろう。


 直接の証言は取れない。


 だが、流れは変わっていた。


 “ルシアンの控え室近くから証拠が出た”という最初の衝撃は、今や“その証拠を誰が仕込んだのか”という疑問に塗り替えられている。


 アルベールは、黒い箱の中身へ視線を移した。


「次に、証拠品についてだ」


 レオンハルトが薬包を取り上げる。


「この薬包は、晩餐会でフォルナン嬢が倒れた際に検出された成分と似た匂いを持っています。ですが、医師の確認によれば、成分は一致しません」


 会場がざわつく。


「似せて作られているが、別物です」


 レオンハルトは淡々と続ける。


「さらに、包み紙は新しい。少なくとも晩餐会当日に使われたものではありません。昨日以降に用意された可能性が高い」


 ルシアンは息を吐いた。


 証拠は、偽造されている。


 それが、少しずつ明らかになっていく。


 次に、ブローチの欠片。


「フォルナン嬢のブローチと似ていますが、これは同じ職人のものではありません」


 レオンハルトの説明に、セシリアがはっと顔を上げた。


「分かるのですか」


 彼女の声は震えていたが、しっかりしていた。


 レオンハルトは丁寧に頭を下げる。


「はい。フォルナン伯爵家より、本物のブローチを一時お預かりして確認しました。本物の裏面には、フォルナン家の古い守護紋が彫られています。こちらの欠片にはありません」


 セシリアの目に、怒りに近い色が浮かんだ。


 それは珍しい表情だった。


 彼女の形見を利用した。


 それも、偽物まで用意して。


 その事実が、彼女を傷つけている。


 ルシアンの胸にも、静かな怒りが湧いた。


 自分を陥れるためだけでなく、セシリアの大切なものまで踏みにじったのだ。


 アルベールは書簡束へ視線を向ける。


「最後に、脅迫文と命令書だ」


 レオンハルトが一枚を広げる。


「筆跡はルシアン様のものに似せられています。ですが、筆圧、文字の終端、署名の癖が一致しません」


 そこで、壇上へもう一人呼ばれた。


 学園の筆跡鑑定を担当する老教師だった。


 彼は震えることなく、淡々と説明を始める。


「エヴラール様の提出書類と比較しました。確かに似せています。しかし、この文書を書いた者は、エヴラール様の字を“形”で真似ているだけです。速度が違う。迷いがある。特にこの語尾の跳ねは、エヴラール様には見られません」


 老教師は書簡の一部を指した。


「さらに、こちらの脅迫文には、エヴラール家で使われる礼式表現に誤りがあります。侯爵家嫡男がこのような文面を書くとは考えにくい」


 会場の空気が、明らかに変わった。


 最初、ルシアンを取り囲んでいた疑いは、もう同じ形では残っていない。


 代わりに、会場全体が別のものを見始めていた。


 仕組んだ者。


 偽造した者。


 ルシアンを悪役にしようとした者。


 そこへ、セシリアが立ち上がった。


 周囲が止めようとする前に、彼女は自分の意思で壇上の前へ進み出る。


 顔色はまだ少し白い。


 けれど声は、思ったよりはっきりしていた。


「私からも、申し上げます」


 会場が静かになる。


 セシリアは両手を胸の前で重ねた。


「私は、ルシアン様から脅迫を受けたことはありません。ブローチの件も、庭園の件も、晩餐会の件も……ルシアン様が私を害したとは思っておりません」


 言葉を選びながら、彼女は続ける。


「むしろ、私が泣いていた時、ルシアン様は何も聞かずにハンカチを貸してくださいました。ブローチの時も、感情で誰かを責めるのではなく、事実を確認すべきだと言ってくださいました」


 ルシアンは彼女を見つめた。


 セシリアは、震えている。


 それでも逃げていない。


「私はずっと、周囲の方々に守られるばかりでした。でも、今日だけは自分の言葉で言います」


 セシリアは一度息を吸った。


「ルシアン様は、私の敵ではありません」


 講堂に沈黙が落ちる。


 その言葉は、どんな証拠よりも強く、これまで周囲が作ろうとしていた物語の根を揺らした。


 ヒロイン枠の令嬢が、悪役令息を否定しない。


 むしろ、敵ではないと言った。


 それは、仕組まれた断罪の構図そのものへの拒絶だった。


 ルシアンは喉の奥が熱くなるのを感じた。


 だが、ここで崩れるわけにはいかない。


 彼は小さく、けれど確かに頭を下げた。


「ありがとうございます、フォルナン嬢」


 セシリアは少しだけ笑った。


 弱い笑みだったが、以前よりずっと強い笑みだった。


 その時、ジュリアンが静かに立ち上がった。


「素晴らしい証言だと思います」


 その声に、講堂の空気がまた張り詰める。


 彼はゆっくりと壇上へ視線を向けた。


「フォルナン嬢のお気持ちは尊重されるべきです。証拠品に偽造の疑いがあるなら、それも厳正に調べるべきでしょう」


 あくまで冷静。


 あくまで公平。


 彼はまだ逃げ道を残している。


「ただ、殿下。ひとつだけ申し上げてもよろしいでしょうか」


 アルベールは答えない。


 沈黙を許可と受け取ったのか、ジュリアンは続けた。


「たとえ今回の証拠に不備があったとしても、ルシアンが過去に多くの者から恐れられていたことは事実です。彼自身も、それを否定しないでしょう」


 視線がルシアンへ集まる。


 ジュリアンの言葉は鋭かった。


 偽造された証拠は崩れつつある。


 ならば、次は“過去の評判”を持ち出す。


 そういう流れだった。


「火のないところに煙は立たない、と言うつもりはありません。ただ、彼が誤解されやすい行動を取ってきたこともまた、事実ではないでしょうか」


 ジュリアンは悲しそうに眉を寄せた。


「僕は、彼を責めたいわけではありません。けれど、皆が不安を抱いた背景まで、なかったことにはできないはずです」


 うまい。


 本当にうまい。


 証拠が崩れても、印象は残る。


 過去の悪評を持ち出せば、会場の中には頷く者も出る。


 実際、ルシアン自身も完全には否定できない。


 以前の自分は、人を遠ざけ、傷つけるような言葉を吐き、誤解を招く振る舞いをしてきた。


 そこへジュリアンが切り込んだのだ。


 ルシアンは静かに息を吸った。


 言わなければならない。


 逃げてはいけない。


 だが、彼が口を開くより先に、アルベールの声が響いた。


「だから何だ」


 低く、鋭い声。


 ジュリアンが僅かに目を細める。


 アルベールは続けた。


「嫌われていたから、恐れられていたから、罪を着せていい理由にはならない」


 講堂が静まり返る。


「過去の態度が悪ければ、偽造された証拠で断罪されても仕方ないのか。誤解されやすければ、毒や盗難の罪を負わされてもいいのか」


 誰も答えられない。


 アルベールはジュリアンを見据えたまま言った。


「それは正義ではない。ただの便乗だ」


 ジュリアンの笑みが、今度こそ少しだけ崩れた。


 ほんの一瞬。


 けれど、確かに。


 ルシアンはそれを見た。


 アルベールは壇上中央へ進む。


「ルシアン・エヴラールに未熟な振る舞いがあったことは、本人も否定しないだろう」


 ルシアンは静かに頷いた。


「はい。否定しません」


 声は不思議なほど落ち着いていた。


「私は、これまで多くの方に不快な思いをさせてきたと思います。冷たく振る舞ったことも、言葉を間違えたこともあります。それを、なかったことにはできません」


 講堂の視線がルシアンへ集まる。


 今度は逃げなかった。


「ですが、していない罪まで認めるつもりはありません」


 はっきりと言った。


「私は、フォルナン嬢を害していません。誰かに毒を使うよう命じてもいません。証拠を偽造したこともありません」


 少しだけ間を置き、ルシアンは続けた。


「過去の私に非があるなら、それは私が改めるべきことです。けれど、それを利用して別の罪を着せる者がいるなら、私はその者に従いません」


 言い終えた瞬間、講堂の空気が変わった。


 それは拍手ではない。


 歓声でもない。


 ただ、今まで“悪役令息”という輪郭だけで彼を見ていた者たちの一部が、初めてルシアン本人の言葉を聞いた。


 そんな沈黙だった。


 アルベールは、ごく僅かに目を伏せた。


 満足したようにも見えた。


 そして彼は、レオンハルトへ合図を送る。


「最後の証拠を」


 レオンハルトが別の書類束を取り出した。


「こちらは、王宮警備記録および学園内の出入り記録です。ブローチの件、晩餐会の件、今回の証拠品の件に関わった者の一部が、同じ商会関係者を通じて金銭を受け取っていた記録があります」


 会場がざわめく。


「その商会はカルヴァン家と取引があり、さらにヴァレリオ公爵家の別邸にも出入りしています」


 今度こそ、客席の視線がはっきり動いた。


 カルヴァン家。


 ヴァレリオ公爵家。


 エミール・ド・カルヴァンは顔色を失っている。


 ジュリアンは、まだ立っていた。


 だが先ほどまでの余裕は薄れている。


 アルベールは静かに告げた。


「本件は、ここで終わらせない。王家の名において正式に調査する」


 それは宣言だった。


「この式典を誰かの私的な断罪の場にしようとした者は、相応の責任を負うことになる」


 講堂は沈黙した。


 今や、断罪されるべき者の輪郭は変わっていた。


 悪役令息ではなく。


 悪役を作ろうとした者たちへ。


 ルシアンは壇上に立ったまま、ゆっくり息を吸った。


 まだ終わっていない。


 黒幕は完全には暴かれていない。


 ジュリアンも、カルヴァン家も、このまま黙って沈むとは限らない。


 けれど、最初の大きな波は越えた。


 自分は崩れなかった。


 セシリアは証言した。


 アルベールは隣に立った。


 そして、偽りの証拠は少しずつ剥がされ始めている。


 壇上の光は、もう先ほどほど冷たくはなかった。

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