第20話「松岡祐一」
祐一は、マイクで叫ぶように言った。
「皆さん、押さないでください!」
はじめは、あっけにとられたように静まり返っていた客席であったが、一人の老婆がステージの方へ駈けつけたのをきっかけに、観客は文殊菩薩立像を近くで見ようと押し寄せた。
祐一は不安げに文殊菩薩立像の方を振り返って見たが、文殊菩薩立像、もとい狂気ヨシノリは完全に静止し、まったく動く様子はなかった。
ステージ上を食い入るように見る観客。
しきりに首をひねる人もいれば、手を合わせ一心に拝む人もいた。
祐一はその押しかけた人々の顔を順に見ていった。
鹿!?がいたことにも驚いたが、もっと驚いたのは、あの由実もいたことだった。他人の空似かと思ったが、あの顔を間違えるはずがない。
目が合うと、由実は軽く会釈した。祐一も会釈を返した。
祐一は気を取り直し、マイクでアナウンスした。
「えー、皆さん、後ろの方にも見ていただきたいので、見終わった人から順に左右にはけていってください」
観客は意外とすんなりと従った。
テツヤとジャコさんがステージから降り、観客を誘導した。
無事観客が一巡すると、元のように文殊菩薩立像に幕をかけた。
祐一がアナウンスする。
「今日は皆さんどうもありがとうございました。今後、また秘仏公開する機会がありましたら告知しますので、金玉寺を訪れてみてください。よろしくお願いいたします」
観客は名残惜しそうにしながらも徐々に境内から出て行った。
ようやく落ち着いたと思い、祐一がステージから降りると、
「ええもの見させていただきました。ありがたや。ありがたや」
と、老婆がやってきて、祐一の手をにぎって何度も頭を下げた。
うしろには白髪のジェントルなおじいさんも立っていた。祐一はたしかどこかで見たことある人だよなと首を傾げた…。あっそうだ!あの近鉄奈良駅で尋ねたタクシードライバーだ!
老婆と入れ代わりで、騒がしいおばちゃん連中が祐一の前にやってきた。ウォーキングツアーのおばちゃんたちだった。
「兄ちゃんかっこよかったで!仏像もよかったわ。もっと公開したらええのに」
おばちゃんらは口々に言った。横に一緒にいた野口さんも、
「松岡さん。今日は素晴らしかったです!」
と、興奮気味に言い、祐一に握手を求めた。
次にやってきたのは、PAの津田さんだった。
「感動しました!こんなライブを見たのは初めてです!いや~凄い!アメリカ大統領がやってきたのって偶然なんですか?そうですよね…。やばいやばい。あっそうだ。マルチトラックでライブ録音してたんで、あとでデータを渡しますね」
「あっ、ありがとうございます」
祐一頭を下げて礼を言った。
そして、ほとんど境内から人がいなくなるのを見計らって、最後に祐一の前にやってきのが由実だった。
「お久しぶりです」
どこか照れ臭そうな顔をして由実は挨拶した。
「お久しぶり…」
祐一も戸惑いながら会釈して応えた。
「よかったよ」
「えっ?」
「最後の曲」
「あぁ、ありがとう」
「祐一がギター弾いて歌うの久しぶりに見た。懐かしかったよ」
「まぁ、おれも久しぶりに歌ったからね」
祐一は頭を掻いて、「で、由実ちゃん。どうして今日はまたここに?」と尋ねた。
由実は少し悲しそうな目をして、少し間をおくと、
「観光で来たの。ブラブラしていたらたまたま辿りついて…」
「そうなんだ…」
たまたま金玉寺に辿りつくようなことなんてあるだろうかと思ったが、まぁ、ありえなくもないかもしれない。
「あれは?」
と、祐一はずっと由実のうしろに付いていた鹿を指さした。
角を生やした大きな雄鹿だった。
由実は「えっ」と驚き、うしろを向いた。
鹿はビクッと驚き、砂埃をまきあげどこかに走って行ってしまった。
「ずっと、付いてきてたんだ…」
由実は鹿を目で追って、つぶやいた。
そして再度祐一の方に振り向くと、
「仏像もよかったよ…。なんていうか…」
祐一は、動いたよね?って聞かれたらどうしようかと顔をひきつらせたが、
「…あの優しい文殊さんの顔を見ていたら、いろいろ悩んでいたことも吹っ切れちゃってさ」
「なんだそういうことか…」
と、祐一は胸をなでおろし、
「由実ちゃん、仏像とか好きって言ってたもんね」
「うん…」
その時だった。「祐一くん!」とテツヤがステージの方から呼んだ。
祐一が振り返ると、丁度ジャコさんがテツヤの肩を持って制止させ、頭を振っていた。
テツヤは「なんでもない」と手を振ると、ステージの片づけを始めた。
「ごめん。片づけしないと」
祐一は由実に向けて申し訳なさそうな顔をした。
「ううん、わたしこそ邪魔してごめんね」
「由実ちゃん…、このあとどうするの?」
祐一が訊くと、由実は少しためらうように、
「今日は泊まるつもりなんだけど、まだ宿を取ってなくてさ…」
「そうか…。ちょっと、待ってて!」
祐一は由実にこの場に留まるように手を広げて言うと、テツヤとジャコさんの元にかけよった。
「ごめん。あのさ。実はあの由実ちゃんが来ててさ…」
テツヤとジャコさんは作業の手をとめ、祐一の方を見ると、
「知っていたよ」
と、当たり前の表情で答えた。
「気付いてたんだ…」
祐一は頭を掻き、
「あのさ、由実ちゃん泊まるところを探しているみたいでさ。ちょっとおれも一緒に駅まで行ってくるよ。すぐ戻るからさ」
テツヤとジャコさんはただ「了解」と言った。
「じゃあ、あとで」
祐一は由実の元へ戻った。
祐一が去ったあと、テツヤとジャコさんは顔を見合わると、にやりと笑い、手をぐーにして合わせた。




