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第18話「水谷健人」

 水谷健人は、今日も一人で三条通りをブラブラ歩いていた。

 健人は地元でも有名なふだつきの不良だった。

 カツアゲされた子供は数知れず、万引き、無銭飲食は朝飯前。

 道行く人は、健人の姿を見ると視線を外し、道を空けた。

 健人にとっては好都合だった。

 うざいものはおれの視界から消えてくれ。

 目にするものすべてがうざかった。

 どうしてこんなに毎日ムシャクシャするのか自分でもわからない。

 社会が悪いから?政治家のせい?

 難しいことはわからない。ふん、どうせおれはバカでクズだからな。

 しかし、本当に一番うざい存在なのは自分なのかもしれない。

 健人は本当に恐ろしいものは内にあることを本能的に感じ取っていた。

 だから、衝動は外に向けた。

 丁度、目の前に空き缶があったので、健人は足で蹴った。

 空き缶は弧を描き、コンビニの壁にぶつかった。

 コンビニ、居酒屋、ゲーセン、カラオケ…。

 最近は、このあたりも様変わりしてきた。

 昔は、映画館やライブハウスもあったとじいちゃんから聞いた。

 奈良も観光客に媚を売るようになってきたのだ。

 奈良には“大仏商売”という言葉があった。

 大仏があるおかげで、黙っていてもどんどん客が訪れるので、奈良の人は商売ヘタで怠け者になってしまったみたいな揶揄する言葉である。

 真意のほどはわからないが、たしかにうなずけるところはあった。

 奈良は良く言えば、のんきで穏やか。悪く言えば、ただのバカ。

 大和時間なんて言葉もあって、バスも遅れるし、タクシーもこない。夜の8時にもなればほとんどの店がしまってしまう。

 眠らない街なんて言葉があるが、奈良の街は確実に眠る。熟睡する。

 だからなのか、奈良の人間は早起きだという。

 早起きは三文の徳なんて言葉は、この奈良が起源だそうだ。

 その昔、春日大社の神の使いである神鹿の奈良のシカを故意に殺してしまうと、重罪に処されるという時代があった。不可抗力でも家の前にシカの死骸があれば、三文の罰金を取られてしまうので、奈良の人は朝起きると、家の前に鹿の死骸があるかどうかを確かめた。そして自分の家の前に死骸があれば隣の家に移動させたという。

 すなわち、一番起きるのが遅かった家のものが罰金を払わされるというわけだ。

 ほんとかどうかはわからない。

 そんなこんなの話も、全部じいちゃんから聞いた話だった。

 じいちゃんはもういない。

 奈良も最近は変わってきた。

 夜8時以降でも開いている店はあるし、早起きする人も減った。



 健人はじいちゃんっ子だった。

 父親は健人が生まれた時にはもういなかったという。

 母は、父親は病気で亡くなったと言っていたが、のちにただ風来坊のようにいなくなっただけなのだということを知った。要は捨てられたのだ、母と健人は。

 母は、独りで苦労したのだと思う。

 というのも、健人の母の記憶はわずかしかなかった。

 母は、交通事故で死んだ。気付けば健人は一人になって、ずっと泣いていた。じいちゃんがいなかったら、健人は今この世にいなかったかもしれない。

 じいちゃんは、いろんなことを健人に話して聞かせてくれた。

 若い頃やんちゃした話、初恋の話。

 そして、戦争のこと、また、なによりこの奈良の歴史。

 じいちゃんは、この奈良生まれであることに誇りを持っていた。

 神社やお寺にもじいちゃんと一緒に巡った。

 じいちゃんは言った。


「健人よ。この奈良には神さまや仏さまがいっぱいおるんじゃ。わしらは守られて生きておるんじゃ。奈良はこの日本で一番安全な場所なんじゃ。決して、この奈良から出ようとなんて思ってはいかんぞ」


 だけど、じいちゃんの話では、天皇陛下という尊い方も昔は奈良にいたけど、今は遠い東の町に住んでいるのだという。東京と呼ぶらしい。

 正直、子供心に矛盾しているなと思った。健人も東京に行ってみたいと憧れた。だけど、健人はじいちゃんが好きだったし、じいちゃんのいる奈良も好きだった。

 しかし、そのじいちゃんが死んだ。

 ある朝、動かなくなっていた。

 いくら呼んでも、叩いても、じいちゃんは起きなかった。

 健人は初めてこのとき、死というものと対峙し、意識し、理解した。

 あまりに理不尽で、無慈悲だった。

 じいちゃんの最後の言葉は、昨日の夜の「ちんちん痒い」が最後だった。

 健人は神社に行って、「うそつき!」と叫んだ。

 そして、境内の隅でしょんべんをしてやった。

 お寺にも行って、仏さまの前で、「うそつき!」と叫んだ。


「どこが守ってくれてんのや!じいちゃんが死んだ!おれの大事なもんは全部消えてしもた!」


 健人はうぉんうぉんと泣き、仏さまを睨んだ。

 だけど、仏さまは微動だにせず、ただ健人を見ているだけだった。


「文句あるんやったらなんか言うてみ!どうせ、お前はなにも出けへんねやろ!かかってこいよ!おれが相手になってやる!」


 それでも、仏さまはただ健人を見ているだけだった。


「どいつもこいつもおれをバカにしやがって!お前なんか嫌いや!どっかに行ってまえ!アホ!ボケ!カス!デブ!」


 健人は言いたいだけ言うと、その場を駈け出した。

 そして、二度と、もう神社や寺に足を踏み入れることはなかった。





 今となっては健人はわかる。

 なんで自分はバカでクズなのか。それはバカでクズな父親の遺伝子を受け継いでいるからである。

 バカからはバカしか生まれない。

 クズだからクズのことはよくわかる。

 なぜ母はそんなバカでクズな父親を受け入れたのか、それだけが長年の最大の謎だった。しかし最近、健人も異性のことを気にするようになり、なんとなく理由がわかるようになった。

 男と女には理屈は通用しないのだ。

 そういう運命としか言い様がない。

 だから、自分がバカでクズなのも運命なのだ。

 健人は、一度なんの気の迷いか、「東京に行こうと思ってるんや」という夢を、幼馴染の春子に語ってしまったことがあった。

 晴れた夜の、猿沢池に月が綺麗に浮かぶ夜のことだった。

 それから春子は、健人に付きまとうようになった。

 初めは偶然かと思ったが、ことあるごとに春子と鉢合わせ、これは待ち伏せされているのではないかと勘付いた。

 春子は、決してブサイクではなかったが、健人のタイプではなかった。要は田舎臭かった。

 言ったはずやないか。おれは東京に憧れているって。なのに、なぜよりにもよって田舎臭い春子と…。

 春子は間違いなく自分に惚れていた。そのくせに、健人を罵倒し、説教した。


「あんた!そんなんでほんまに東京で一人でやっていけんの!?」


 決して、わたしも一緒に連れてってとは言わない。

 健人は参った。勘弁してほしかった。

 同じ不良仲間は、「女は抱いたらしおらしくなるで」と言ったが、健人は絶対もっとめんどくさいことになると思った。

 女だから暴力で怯えさせて追い払うこともできないし、それは健人の中の男の美学として許せない。それに、ここだけの話。春子にはどこか母の面影があった。

 健人はこの世に怖いものはなかったが、唯一苦手だったのは春子の存在だった。

 だから、こうしてあたりを威嚇しながら三条通りを練り歩いても、いつどこで春子が飛び出してくるのだろうと、内心ではひやひやしていたのである。

 なんとか無事に春子に出くわすことなく、奈良公園のあたりまで来た。

 この先に行っても仕方ない。先にいるのはバカな鹿と、無駄に多い観光客、あとは腑抜けの神と仏だけ。

 健人は引き返そうと振り返った。その時だった。向こうから歩いてくる女に目が釘付けになった。あれは東京の女に違いない。明らかに奈良の女にはない、垢抜けた雰囲気が漂っていた。

 女が健人の横を通り過ぎようとしたとき、健人は鼻をくんくんさせて匂いを嗅いだ。


「!!??」


 健人は通り過ぎていく女の顔を見た。

 たしかに綺麗な顔つきをした女だったが、生気がないというか、そこだけに黒いどんよりとした雲がかかるように、異様な雰囲気を携えていた。

 健人は直感で、この女、死ぬつもりやと思った。


「おい!」


 と、健人は呼んでみたが、女は無視して歩いて行った。

 女の様子は明らかに異様だったのに、周りの人間はまるで見えていないように無関心で、誰もその女の事を見ようともしなかった。健人は一瞬、幽霊を見てしまったのかと思った。しかし、女はしっかりと足があって歩いていた。

 健人は視力だけは自信があった。そもそも、そんな幽霊なんて非科学的なことがあるわけない。健人はじいちゃんが死んで以降、無神論者になっていた。とはいえ、放ってはおけないし、幸薄い美人顔は、健人のタイプだった。

 健人は女を尾行した。




 女は東大寺に入って行った。

 健人は宗教上の理由で、中には入れないので外で待った。

 そういえば、じいちゃんが生前、「無神論者も実は神がいないと信じる宗教なのだ」と言っていたのを思い出した。

 生きとし生けるものは、生きると決められた時から、この世の呪縛からは逃げられないのだという。

 たしかにそうなのかもしれない。健人も、本当は神や仏がいないとは思っていない、嫌いなだけである。嫌いということは対象があるからである。いないと思うということは、それはいると意識しているからである。本当になにもないなら、なにも考えないはずである。

それこそ、そのへんの虫けらのように。

 いや、虫けらも生きとし生けるものだから…。

 あーっ、めんどくさい!なんでこんな急に変なことを考え出すのだ。

 きっとこんな場所に来たからだ。

 女はなかなか出てこないし、健人はそろそろ帰ろうかなと思った。すると、女が東大寺から出てきた。

 女は先ほどよりさらに憔悴し、目が泣き腫らされていた。

 やっぱり、この女はおかしい。

 健人はさらに女の後を付けた。女は春日大社に入って行った。

 ここも健人は、宗教上の理由から入れない。鳥居の外で待つことにした。

 しばらくすると女が出てきて、参道から外れ藪の中に入った。

 健人もそのあとを追って入った。

 春日山原始林。古代から続く森である。

 かつてから、この日本の大地に住むものは、自然を特に山を神と崇める民族であった。この春日の地に作られた春日大社も、ある意味では後付けである。もとは、深い森の中、御蓋山を拝する場所であった。

 まだこんな春日大社など忌々しいものもない頃、水の湧き出るこの地は、水の神の聖地と考えられ、遣唐使船など、大海原の出るものの旅路を祈願するために度々祭祀が行われていたという。

 阿倍仲麻呂の有名な「天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも」という歌の三笠とは、あの今は若草山とか呼ばれるうすらはげの山のことではなく、この御蓋山のことである。

 深夜。神社の儀式はだいたい夜に行われる。なぜなら夜は神の時間とされるからである。阿倍仲麻呂は遠い唐の地で、旅立つ前の奈良の平城京の祭祀の夜に見た月のことを思い出した。それほど標高もない御蓋山から月が出たように見えたということは、近くからみたということである。それこそ、このあたりに近い…。

 健人は頭を振った。…また嫌なことを考え始めていた。やはりこんな場所にきてしまったからである。早くこんな森は抜けてしまいたい。しかし、女はウロウロと森の中をうろつき、終いには、うえーんと言ってガキのように泣きだした。

 いよいよ、この女はおかしい。完全にメンヘラである。

 その時、女が振り返り、健人の事を見た。健人は逃げようとした。

 しかし、そのまま女はわれ関せずといった感じで、また森の中を進んだので、健人は迷ったあげく、そのまま追った。

 ここまで来たら最後まで見届けようと思った。

 自分には助けてやれることはできないであろうが、死んだら土に埋めてやるくらいはできるかもしれない。

 それに美人の死ぬ瞬間というのも見てみたかった。我ながら自分は変態だなと健人は辟易した。

 森を抜け、女はあてもなく歩いていたが、そのうち、どこからか変な音が聞こえはじめ、女はその音のする方向へ向かった。あぁ、そういえばこの先に辛気臭い寺があったっけと健人は思い出した。

 案の定、辿り着いてみるとその寺だった。金玉寺。バカみたいな名前だ。

 たしかなにもない廃墟みたいな寺だったはずである。こんなの寺ですらない。だから、健人は女に付いて境内に登った。

 境内は意外にも人で溢れており、どこのバカかしらないが、音楽を演奏している奴らがいた。さっきから辺りに騒音を鳴らしていたのはこいつらだったのか。と、健人がちぇっとつばを吐いた時、その音楽が般若心経だということに気付いた。

 健人は体に電流が走ったかのように動けなくなった。

 女も同じように動けなくなっているようだった。

 曲が終わると、徐々に金縛りがとけるようになり、観客が騒いだのでその方を見ると、金髪のおっさんが手を振り帰って行った。

 誰だあれ?

 その後、また曲が演奏されたが、今度はただのバカみたいな曲で、健人は金縛りになることもなかった。だけど、女はまだ金縛りにあったようにステージを見ていた。

 曲が終わると、そのステージの上で、バカ面の男が「秘仏の文殊菩薩立像を公開します」と言った。

 こんな寺に仏がいたことに驚いたが、健人はどうせ大したことないだろうと思った。女のことも気になったし、まぁ今日は久しぶりに仏の面を見てやってもいいかなと。なんなら、またしょんべんでもお見舞いしてやろうかなと思った。


「では公開します」


 と、アナウンスされ、ステージの上の幕が下ろされた。

 健人は、ステージに近づくように歩いた。

 次の瞬間、健人は見てしまった。

 幕がひっかかり倒れそうになった仏が、足を踏ん張り、起き上がったかと思うと、手を動かしポーズをとったのだ。

 !!!!!!!!?????????

 あのポーズは、スペシウム光線!!!!

 健人はやられたと悟った。ケンカを売ったのは自分の方である。

 まさかこんな唐突に、しかも時間差でカウンターをしかけてくるとは。

 油断をしていた自分が悪い。

 健人は目をつむり観念した。

 おれの負けだよ。


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