第16話「当日」
運命の7月12日。
朝から天候に恵まれた。幸い季節の割にそんなに暑くもない。
しかし、見事な快晴とは裏腹に祐一はナーバスになっていた。疲れ、寝不足、緊張。なんなら豪雨になって中止を余儀なくされてもよかった、なんて弱気にさえなっていた。
境内からの無駄に綺麗な景色が、余計に心を荒ませるのだ。
”お前、本当にこれでいいのか”と。
PAの津田さんがやってきて、最後の音だしをしてリハーサルをしたあと、腹ごしらえをして、さすがに普段着のままではまずいと思い、四人お揃いの作務衣を来た。
「案外、僕たち様になるね」
テツヤが自分の姿を鏡に映して満足気に言った。
たしかに本来、寺とはまったく無縁の四人のはずではあるが、それなりの格好をすればそれなりに見えた。一番似合わないと思われたモヒカンにあごひげのジャコさんは、むしろ貫禄のある高僧に見えたし、ぼさぼさ頭に髭ずらの狂気ヨシノリは、寅さんの映画に出てくる佐藤蛾次郎ぽくもあった。
そうこうしているうちに、開演の14時が近づいてきた。
ステージ中央、本堂の入口に幕を張った。
この幕を外せば文殊菩薩立像が立っているという寸法である。
一瞬だけ見せて、すぐ幕を張るつもりであった。それならバレないであろうと…。
ガヤガヤと人の声がしだして、次々に人が境内に入ってくるのが見えた。パイプ椅子の客席はあっという間に埋まり、立ち見客も出てしまった。
祐一はステージから、その光景を眺めた。客層は、まさに老若男女。
若い女子のかたまりもあれば、バンドマン風の野郎のかたまり。おじさん、おばさん。そして、袈裟を来た集団。祐一は思わず目を反らしてしまった。あれが野口さんが言っていた寺院関係者であろうか…。
すると、祐一に向かって手を振る集団が見えた。
「祐一の知り合い?」
テツヤも気付いて耳打ちした。
「知り合いじゃないけど、たしか以前この寺にきたハイキングの…」
祐一がこの寺にきて間もない頃に、ソムリエの会のハイキングで来たあのおばちゃん連中だった。野口さんがすぐ近くにいるのも確認した。
祐一が手を振ると、ぎゃわ!と湧く声が聞こえて、おばちゃんらは両手で手を振った。
そして、いよいよ開演の時間を迎えた。
ガヤガヤとする中、祐一がマイクを持って「あっ、あっ」と声を出すと、会場は静まった。
「皆さん、お暑い中、お集まりいただきありがとうございます。本日は、この金玉寺にて忍性忌をするにあたり、寺ロックフェスと名を打って告知しまして、どれほどお客さんが来るのかと思っておったのですが、これだけの方に来ていただけて、とても嬉しく恐縮に思います」
一旦間を置いて客席を見渡した。観客の目線は祐一に向けられている。
「中には不謹慎と思われる方もおられるかもしれませんが、われわれに出来ることは何だろうと考えた末です。というのも古来から音楽とは神や仏のために演奏するものであったという話を聞きまして、そのような古典音楽のようなものも、当時はニューミュージックだったわけで、現在においてロックを奉納するのも、本来の意義としては間違ってはいないと思ったわけであります。全身全霊でわれわれとしては神や仏に、いや、本日は忍性さんがメインでありますが、演奏させていただきますので、どうか僭越ながら、最後までお聴きいただければ幸いです」
どこか言い訳じみた挨拶になってしまったが、客席からは拍手が起こったので、とりあえず胸をなでおろした。
「では、さっそく1曲目ですが、今日のために作った忍性フォーエバーという曲です」
客席からくすくすと笑いがもれた。祐一も軽く客席に向けて笑みを見せて、
「忍性というお坊さんは、今の奈良県の三宅町あたりの生まれで、16歳の時に、病気がちだった母親を安心させるために近くの額安寺で出家をしたといいます。その後、忍性さんは西大寺でこの寺の宗派でもあります真言律宗の開祖である叡尊上人に弟子入りし、叡尊上人のもとで社会活動、とくに今でいう慈善活動に従事していくことになります。それには、忍性さんが文殊菩薩を熱心に信仰していたことと関係があり、彼らからすれば熱心に文殊菩薩から課された修行を行っていた感覚だったと思いますが、特に忍性さんは当時迫害を受けていたハンセン病患者を自ら背負って歩いて救済していたという話は有名です。正直、恥ずかしながら、お…僕も最近までは知らなかった話なんですが、非常に感銘を受けまして、なんと言っていいのか、そんなピュアな人たちがこの日本にいたのだなと。忍性さんや叡尊上人は決して自分たちの功績や名声を得ようとしていたわけではないんです。これは私事ですが、かつて名声と欲望に溺れていた自分には強く突き刺さりまして…。常に人の視線を気にして生きてきた僕には一つの新たな人生の形を突き付けられたほどの衝撃を受けました。…すみません、べらべらとしゃべって。つまり、日本史の大きな流れの中では語られることのない忍性さんのことを伝える意義があると、そのための本日の忍性忌というわけでもあるわけですが、僕たちとしてはもっと現代に通ずる普遍性を描けないかと、そのためにあえて現代音楽に乗せて表現してみたいと思った次第なのであります」
息を整え、再度客席を見渡した。客席は静まりかえっていた。
「では、聞いてください。忍性フォーエバー」
祐一が振り向き、テツヤに目で合図すると、テツヤがピアノのイントロを弾き始めた。
はじめ、歌い出しで病気ヨシノリがぼそぼそとしていたので、心配になったが、徐々に声を張り上げ歌い上げた。
“おれたちは、君のことを忘れない
きっと、今も続いている
おれたちは、君のことを忘れない
その純真さが世界を救う”
”君が遠くにいても
おれたちの中で生きている
その心の炎は消えない
それは永遠だ 文殊菩薩と共に”
”おれたちの中に 君は残っている
きっと、これからも続いていく
おれたちは、君を忘れることができない
なぜなら君が残した世界にいるから”
”君が見えなくても
おれたちの中で生きている
その魂の炎は消えない
それは永遠だ 文殊菩薩と共に
マイハート ウィル ゴーオン“
祐一、テツヤ、ジャコさんは顔を見合わせた。
最後の「マイハート ウィル ゴーオン」は、狂気ヨシノリのアドリブだった。
これじゃ、思いっきりタイタニックのそれじゃないか…。
客席を見たが、どうやら気付いている客はいなさそうだった。
祐一は笑いそうになるのをごまかすために、ギターの指板に目を落した。
曲が終わると、会場は拍手喝采となった。
続けさまにメロン記念日の「This is 運命」。
祐一たちも次第に体から緊張が抜けてきた。狂気ヨシノリも本領発揮をしだした。
狂気ヨシノリはステージから飛び降りると、客席を走りまわりながら歌い、客席の人と握手をしていった。
明らかにドン引きしている客と、爆笑しながらノリノリで握手をする人とで客席の反応はわかれた。
一番気になっていた袈裟を来た僧侶の集団を見た。案の定僧侶の顔面は凍りつき、睨むような視線が祐一たちに向けられていた。祐一はごまかすために、アンプの方を向いてヘッドバンキングをした。
演奏が終わると、申し訳程度の拍手が起こった。
次は般若心経だった。今更ながら、これを演奏するのはやっぱりやめた方がいいんじゃないかと、思い始めたその時だった。
客席のうしろの方でざわめきが起こり、境内の入口あたりに人の波が起こった。
「なんだろう?」
テツヤ、ジャコさんも首をかしげた。
病気ヨシノリは、息を上げてステージに倒れ込んでいる。
すると、野口さんがステージの方にかけつけてきて、祐一を呼んだ。
「松岡さん!大変です!!」
「野口さん。なにがあったんですか?」
野口さんは興奮した様子で、口をパクパクするようにして言った。
「ア、アメリカの大統領がやってきました!」
「えええーーーー!!!!!」
祐一、テツヤ、ジャコさんが叫んだ。
「なんか、お忍びでやってきたらしいです…」
野口さんはそう言うと、振り返り客席の方を見た。
祐一たちも、喧騒と化した客席を見た。
騒然とする客席は、皆うしろを振り向き携帯で写真を撮っている。
その人の群れの中に、SPと共に歩いてくるアメリカ大統領の姿を見た。
金髪で長身のアメリカ大統領は、大きな手をふりあげて、「まぁまぁ、皆さん落ち着いて」と、おそらくそんなジェスチャーをしている。
たしか昨日あたりに大阪で大きな国際サミットが行われていたのは知っていたが、まさかこんなところにやってくるとは…。
なぜ?なぜ!?と、祐一は心の中で叫んだ。
三人が唖然と立ち尽くしその光景を見ていると、狂気ヨシノリがむくっと起き上がり、
「では次の曲やりましょう」
と言った。目の焦点が合っておらず、完全にトランス状態に陥っていた。
祐一、テツヤ、ジャコさんも覚悟を決めた。
祐一が合図を出すと、テツヤがシンセの音だし、狂気ヨシノリが般若心経を唱え始めた。
演奏が始まると、客席も大統領の姿が気になりつつも、ステージに注目した。
“観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空
度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空
空即是色 受想行識亦復如是 舎利子 是諸法空相
不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中
無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明尽
乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道 無智亦無得
以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想
究竟涅槃 三世諸仏 依般若波羅蜜多故
得阿耨多羅三藐三菩提 故知般若波羅蜜多
是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪
能除一切苦 真実不虚 故説般若波羅蜜多呪
即説呪日 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦
菩提薩婆訶 般若心経“
ロックというよりはテクノ、トランス般若心経といえた。
狂気ヨシノリは息も乱さす完璧な般若心経を唱え遂げ、それこそ呪文のように、客席の興奮を抑えていった。演奏が終わると、客席は静まりかえっていた。
あまりに客席の顔がこわばっているので、祐一はとうとうこの場にいる全員が狂気に陥ってしまったのではないかと思った。
しかし、客席の脇で見ていたアメリカ大統領が大きく拍手をすると、客席もそれにつられるようにして大拍手喝采となった。
祐一は再度客席を見た。観客のどこか満たされた顔。泣いている顔も多々見られた。
この状況下で、次の曲はまさかの「WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント」であった。
メインボーカルはテツヤがとった。
祐一の不安をよそに、さすが有名な曲だったからであろうか、曲の最後では会場一体が手を振り大演壇の盛り上がりとなった。間奏で狂気ヨシノリはまたアドリブをかまし、松っちゃんの「Busaiku Hamada」のところを、「Buddha Sugoize」と歌った。
興奮さめやらぬまま、インスト曲「大地獄絵(Close to the Edge)」へと雪崩れ込んだ。
狂気ヨシノリはステージから捌けた。もちろん、“あの”準備のためである。
プログレインストの連続する変拍子に客席はどうノッていいのかわからなそうだったが、中盤の少しロックンロール調になる祐一のギターソロと、テツヤのオルガンソロの応酬では、バンドマン風の野郎たちと、若い女の子はステージ前まで来て踊り狂った。アメリカ大統領も、体をくねくねさせて踊っていた。
祐一は、昔ビデオで見たウッドストックの映像を思い出した。
曲が終わると、ステージにアメリカ大統領が近づいてきて、祐一に握手を求めた。
「Great!………」
なにか、いろいろ英語で言っていたが、祐一はなにを言っているかわからなかった。となりにいた通訳と思われる人が、
「あなたたちの演奏は素晴らしかったと言っています。それと、はじめの呪文のようなものはなんだ?と訊いておられます」
祐一は呪文…?と少し考え、思い当たると、
「あれは、仏教の般若心経というお経です」
と、答えた。すると通訳が大統領に伝えた。大統領はパン!と手を叩き、
「I see… I got you!……」
大統領がまた英語でまくしたてると、通訳が伝えた。
「なるほど仏教の曲か!理解した。その次の曲もよかったな。70年代のプログレロックを思い出したよ。ありがとう。と言われております」
祐一は「楽しんでいただけてよかったです。ありがとうございます」と、大統領の方を見て言った。
通訳が伝えると、大統領は「Good Job!」と、親指を立てた。
そして客席が再度騒然とする中、大統領はSPと共に帰って行った。
まさに嵐が通ったかのようであった。
いなくなると、今のは幻覚かなにかだったのじゃないかと思ったが、客席の表情を見ればわかる。あれは間違いなく本物のアメリカ大統領だった。
気を取り直して、祐一がマイクに向かって、
「では皆さん、最後の曲を演奏したいと思います」
と、アナウンスをすると、客席の視線が祐一に向いた。
「今日はなんて言うか、こんなはずではなかったんですが…。まさか忍性さんのことがアメリカにまで伝わるとは…」
客席から笑いが起こった。
「人生なにが起こるかわかりませんね…。かつて、僕たちはプロを目指して東京でライブ活動をしていたのですが、夢あきらめて…」
振り向くと、テツヤとジャコさんが微笑んで祐一のことを見ていた。
「間違いなく言えるのは、今日は人生で一番のライブとなりました」
客席から拍手が起こった。
「最後の曲は、僕たちのバンド時代のオリジナル曲なんですが、思い入れのある曲で、スーパーピュア、”最強の純真”というつもりで付けた曲なんですが、まぁその、純真さを失ってしまったという曲なんですが、いつまでも純真さは失いたくないものですね…」
自分でもなにを言っているのかわからなくなってきた。深呼吸をした。
「では、聴いてください。スーパーピュア」
一旦マイクから離れるとオケの再生スイッチを押した。
カウントが入ると祐一はディストーションペダルを踏み、パワーコードのリフを弾きだした。
ドラムとベースが入り、キーボードが重なると、祐一は歌った。
“一言一言 君の言葉覚えている
君だけを見ていた 考えていた君のこと
だけど 何一つわからなくて
時間だけ過ぎてしまうこともあるってわかった”
”夜空に輝く星とさほど変わらなくて
綺麗なんだけど この僕には何もわからない“
”忘れようとした 嫌いになろう君のことを
それがお互いにとっても いいと思ったから
このまま君とも 一生会うこともないって
悟った瞬間 気持ちが少し揺らいだ”
”夜空に輝く星と見間違えてしまうほど
綺麗なんだけど この僕には何もわからない“
曲が終わると、先ほどまでではなかったが、客席からは拍手が贈られた。
「ありがとうございます。ではこのあと、秘仏公開をしたいと思います」
いよいよこの時がきた。
祐一はステージのうしろを見た。おそらく今、この本堂入口の幕の向こう側に、文殊菩薩立像を被った狂気ヨシノリが、スタンバイしているはずである。
祐一はギターを肩から外し、スタンドに立てた。
テツヤとジャコさんが幕の方へ移動し、両端を持ち座った。
「大丈夫?」
二人に小さく声をかけた。
ジャコさんが幕を少しめくり中を覗くと、OKとジェスチャーをした。
祐一はうなずき、再度マイクに近づいた。
「では、皆さん金玉寺の秘仏文殊菩薩立像を公開したいと思います。こちらの仏像は、鎌倉時代の印慶仏師作と伝わるもので、市の文化財にも指定されています。普段は公開していませんが、今日は忍性忌ということで特別です」
客席が固唾を呑むのがわかった。
オケの再生スイッチを押すと、ドラムロールが鳴った。
”ドゥルルルルルルルルルルルルル、ジャン!”
祐一が目で合図をすると、テツヤとジャコさんが勢いよく幕をひっぱった。
幕はバサッとはだけた。
文殊菩薩立像が姿を現した。
…が、最後に幕の端が文殊菩薩立像の足にひっかかり、傾いた。
「ひやぁ!」と客席から悲鳴があがった。
祐一も「ひっ」と声にならない声をあげた。
文殊菩薩立像は、そのまま直立不動で正面からステージに向かって倒れていった。
祐一の体は動かなかった。ただそれを見ているしかなかった。
もう終わった。完全に終わりだ。人生の終わりだ。祐一は観念した。
その時だった。
脚を踏ん張った文殊菩薩立像は、シュッと姿勢を正すと立ち上がり、ゆっくりと手を動かし、ポーズを取った。
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
世の中に、これほどまでの静寂があるかというのだろうか。
というほどに、境内は静まり返った。
祐一は客席を見ることができなかった。
テツヤとジャコさんも、茫然と立ち上がった文殊菩薩立像を見上げている。
数秒、数十秒、いや、数分、数十分経ったような気がした。
キラリと日光を浴びて、文殊菩薩立像は輝いている。
そして、二度と文殊菩薩立像は動くことはなかった。




