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なんでもないよ

 ぴぴぴぴぴぴぴ……

 無機質なデジタル時計のアラーム音が部屋の静寂を貫く。私は慣れてきた動作でぽん、とアラームを止め、むくりと起き上がった。

 日にちを確認する。

「あの日だ……」

 何も変えられないまま、今日を迎えてしまった。何かできることは、といくら考えても焦りばかりが先行して思考が回らず、結局何もできなかった。

 これがタイムパラドックスとやらの修正、もしくは防止策なのだろうか。だとしたら、なんてもどかしいことだろう。

 きっと、今から月実を止めに行こうとしてもこの世界のよくわからない仕組みか何かに妨害されるのだろう。無駄なことに時間を食っているわけにはいかない。

 ただ、まだ私には何かできるような気がする。何故かそれを確信していた。そんな根拠がどこに転がっているというのだろう。

 なぞと考えながら歯を磨く。まーくん愛用の歯みがき粉は辛い。ミントの爽やかなのはイケる口だけれど辛いのは駄目だ。けれど、よく考えたら私の体ではないので、いつまーくんの意識が私を追い出すかもわからず、日用品はそのままあったものを使ったり買い足したりして生活していた。全部スーパーやドラッグストアなんかで底辺価格のものだったから、まーくんは倹約家なだけかもしれない。

 なんて、とりとめのない思考をしているうちに、玄関からインターホンが鳴った。口をゆすいで、のんびり出る。

「やあ」

「もうちょっと警戒しろよ……」

 まーくんとして過ごすうちにまーくんの気質が染み着いてしまったので、思わずそのまま開けてしまった。どうせ流だろう、と思っていたし。

 で、流は手土産を抱えてやってきていた。

「林檎と蜜柑」

「おー」

 フルーツは体にいいからね。

 と、まあ、倒れたあの日から学校のときは朝迎えに来てくれたり、休みの日は食べ物を持ってきて世話を焼いてくれるようになった。お母さんかよ、と言ったら、もう倒れられたくないとさ。何も言い返せないよね。

 倒れたのはどうしようもなかったとはいえ、体調管理の悪さもあったから。

 私だと、「トラックに轢かれるよりはまし」という感じの思考になってしまうので、心配して声をかけてくれるのは嬉しい。家に上がり込むほどのことか? とも思うけど。

「あー、こたつがあったらなー」

「あってもなくてもいいだろ。林檎の皮剥いてくる」

 さっき歯を磨いたばっかりだけど、いっか。

 蜜柑の皮を剥きながら思う。

 このまま流をここに引き留めて、月実と会わせないようにできないだろうか、と。

 でも、それだとまた何かに妨害されるかな。もうどうしたらいいかわかんないや。

 ああ、駄目だ。思考が悲観的な方向に向かっていく。これはよくない。もっと前向きに考えないと。蜜柑美味しいとかでいいから。

 と考えながら蜜柑を一口頬張ると、想像以上に酸っぱくて頭が再度覚醒させられたようだ。時期にはまだ早いようだ。揉んだら甘くなるかね。

 事前に聞いておいたところ、流は今日は特に予定はないらしい。まあ、そうだろう、と思っていた。何故なら、流と月実が会うのは月実の方から突然の呼び出しがあるからだ。

 月実──私は半年記念の予行演習感覚で、一緒に散歩しないか電話で提案するのだ。流はなんだか嫌そうだったが一応OKしてくれた。

 で、待ち合わせ場所で渾名呼びしてもいいか尋ねてキレられる、と。うっわー、改めて振り返ると泣けてくるほどに悲惨だな。

 月実は電話を寄越すだろう。私はそれを妨害するつもりはない。流は……どうするだろうか?

「林檎持ってきたぞー」

「おー」

 おお、うさぎだ。目もついてる。芸が細かい。ふむふむ、さてはこいつ、手持ち無沙汰だな?

「るーも食べよー」

「俺が持ってきたんだからな?」

「わかってるってー、感謝感謝ー」

「本当に感謝してるのか?」

 え、そんなに信用ないかな。

 いただきます、と一切れ手に取り、眺める。

「どうした? 食わないのか?」

「『るーくん』」

「んおっ!?」

 突然の裏声とるーくん呼びにびびる流。まあ、ちょっとした悪戯というか遊びだ。

 うさぎをふるふると小刻みに揺らす。

「『わ、わたしたちのこと、たべちゃうの?』」

「そりゃ、林檎だからな」

「『わたしたちはるーくんがあんまりにもたんせいこめてこまやかにつくったからいのちがやどっちゃったの』」

「お、おう」

 突然の小芝居に狼狽える流。面白。

「『だから、たべないで』」

「ええ?」

 真面目に応対してるし。おふざけの小芝居なのに。変なところで律儀だなぁ。

「『わたしたちにいのちをあたえたせきにんとってよ!!』」

「なんで唐突に修羅場になるんだ!?」

 ひとえに面白いからである。

 くつくつとこらえきれない笑いを漏らしていると、流に頬っぺたつねられた。

「いふぁい、いふぁい~」

「食べ物と俺で遊ぶな」

 遊ばれている自覚はあったのね。

 私はぱくり、と半分ほど食べた。向かいの流が唖然としている。

「あれだけ食べないでとか言わせておいてから……豪快だな」

「元気だからね」

「……本当にそうか?」

 流の目付きが鋭くなる。少しこの目は苦手だ。月実には見せなかったが……お見通し感があって。

「最近、お前は無理して笑ってるような気がする。しかも笑ってるときが一番顔色悪い。他のクラスメイトからも心配されてたし、何なら先生にも心配されてたぞ」

「え、そんなに?」

 それは自覚なかったなぁ。追い詰められてた自覚はあったけど。

「俺にも相談できないような悩みか?」

「あくまで悩み事と断定するんだね」

「それ以外にあるか?」

 ……ないかな。

 でも、言えないし、言ったところで手遅れの気もする。

「大丈夫、直に解決するよ」

「そうなのか?」

「疑り深いなぁ」

 そう、直に解決する。解決してしまう。

 月実の死によって。

 ──なんて、言えるわけがない。

 はあ、まるで人殺しみたいだ。死ぬとわかっている人を助けてあげられないなんて。どうしたらいいのか、本当にわからない。

「おい、転……」

「え?」

 眦を掬われて驚く。熱いと思っていたら、涙なんて。

 駄目だ。流にいらぬ心配をかけるのはよくない。

「大丈夫、大丈夫。なんでもないから」

「なんでもないって……涙止まってないぞ」

「気にしないで」

「無理に決まってるだろ!!」

 びりびりと流の怒鳴り声が空気を震撼させる。怒っている、流が。怒らせてしまった。

 ああ、だからか、と納得する自分がいた。渾名呼びの話題の前から、なんだか流はぴりぴりしていたのだ。原因はこれだったか。

 私のせいできつく当たられる月実を思うと申し訳なく思った。申し訳ないというか、自業自得というか。本当に何の役にも立っていない。

 一体、何のために私のこの意識は時空を越えたのか。

「俺がそんなに無神経に見えるのか? お前にすらそう見えるのか?」

「違うよ、違うからさぁ……」

 手を伸ばし、ぽんぽんと流の頭を撫でる。

「るーも泣かないでおくれよ……」

「泣いてない」

「じゃあせめて鼻かんで」

「おう」

 強がりが鼻をかみ、お互いに落ち着いてきたところで、流のケータイが鳴る。月実からだ。

 流は月実からの提案を聞いて、不承不承といった感じで頷いた。

 いよいよ、あの日が、あの瞬間がやってくる。

「ついてっていい?」

「ん、いいけど……体は大丈夫なのか?」

「うん。心配性だなぁ」

 けれど一応、月実にバレないように、こっそりついていくことにした。流も少しは一人で会えるようにならないと──

「っ……」

 そのときが近いからか、頭の中で事故の瞬間がフラッシュバックした。


「危ない!!」


 はっとした。

 まだ、私にできること、見つけた。

「おい、大丈夫か?」

 心配する流に私は笑顔で答えた。

「うん、なんでもないよ」

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