なんでもいいから
学校の帰り道。日が傾いて辺りをオレンジ色に染める頃、私は流と二人で歩いていた。これは最近では珍しいことだ。
結構、流と月実と私の三人で過ごすことは多かった。恋人同士なら二人きりで過ごした方がいいのでは、と思ってある日私は流に尋ねた。
「ねえ、月実ちゃんと二人きりの時間、増やした方がよくない?」
「その心は?」
そう来たか。
「恋人同士、水入らずの時間も必要でしょ? むしろそれをしないるーに『その心は?』って聞きたいね」
パーフェクトな返し。律儀な流は答えてくれるにちがいない。知る限りでは、流はまーくんに頭が上がらないようだし。
しん、とした音もない沈黙。よくある幼なじみ同士の二人きりなのに、話題選択がよくなかったのか、気まずさが支配した。
けれど、これは親友としても恋人としても聞いておきたかった。一ヶ月ちょっと過ごして、流と転の距離感が月実と流の距離感より近いのはわかった。たぶん、男同士だからこそ話しやすい会話というのもあるだろう。女子が女子同士でしか恋ばなをしないように。
長い長い沈黙。コンクリートの色までもが夕焼け色に塗り潰された中をコツコツと歩く私たちの足音が静寂の中を彩った。
「緊張するんだ」
沈黙を静かに破ったのは流からの意外な回答だった。
「緊張するんだ。月実と二人きりになることを考えると。嫌われたくないって思う。俺がどんなにつっけんどんに返しても、めげないで俺を好きだって、ここまで主張してきたのは月実が初めてなんだ。……そんな月実にまで愛想を尽かされたら、俺はもう一生誰かと一緒にはいられないだろう」
……うん、不器用さに自覚ありなんだね。
あんまり気にしていないのかな、と思っていたけれど、気にしていないっていうわけでもなかったんだ。それに案外、寂しがり屋なのかもしれない。
「一人は寂しい?」
「……寂しいというか……俺自身は賑やかにするのは苦手だが、周りが賑やかなのは、わりと好き……かな」
素直なのかそうじゃないのか。よくわからないけれど、これが流なりの答えだろう。
「ふふっ、流ってめっちゃ奥手だね」
「うっせ」
嫌われたくない、か。それは私にもある感情だ。だから付き合い始めは渾名呼びに関しても深く追及しなかった。流が嫌がっていたから。嫌がることをしてわざわざ嫌われたい恋人なんているだろうか。
まあ、これが数ヶ月経つと、「やっぱり渾名呼びしたい」に変わるわけだが。
それで嫌われて、結構ショックだったな。
まだ「嫌われたくない」と考えている段階だと、恋人としてまだまだだなぁ、と思う。なんというか、「気の置けない仲」にまで進化するのが最終形態だと思う。
「でもさ、あんまり腰が引けてると、線引きされてるみたいで寂しくない?」
「そうなのか?」
「あ、ぼっち生活の長いるーにはわからなかったか」
「ぼっちじゃない」
む、とする流。月実としては見たことがなかった。やはり、嫌われるのが怖いから。
今遠慮なくこんなことを言って、流の色々な表情を見ることができているのはきっと、今の私が「転」だからだろう。
さっき言った「気の置けない仲」というのがまさしくこれなわけだ。羨ましいとは思うが、それよりも「遠い」と感じた。
「ま、お互い初めてだらけだから、距離の詰め方は暗中模索な感じだろうけど」
「……まあ、それは否定しない」
そうか、流も探り探りだったのか。
まーくんの体になってから、前より流のことが色々わかった。それに、気づいたこともある。
私と流に足りなかったのは会話だ。話しかけていたつもりでいた私だけれど、実際何もわかっていなかった。それなのにいきなりずけずけと言ってしまった。たぶん、それは流も同じ。いきなりずけずけ言われたから、反射的にずけずけと言い返してしまったのだ。
落ち着いて考えると、あのときは私にも非があった。まあ、後悔先に立たずなのだけれど。
どうしたら、あんな思いをせずに流と月実を幸せにできるだろう?
「……転」
「ん?」
顔を向けると流は真っ直ぐ前を見て歩いたままだったが、口調は決然としていた。
「月実とのことは俺と月実で解決していく問題だ。お前が考え込む必要はない」
「え、なんでわかったの?」
「いつからの付き合いだと思ってるんだ。お前の考えそうなことくらいわかる」
まあ、流がそういうのなら、任せてみよう。
やがて別れ道で流を見送った。
流がきちんとカレカノとして月実と向き合おうとしているのはいいのだが……
「流くん、勉強会しよー」
「ああ。俺ん家集合な。あ、転も一緒だがいいか?」
「うん、OKー」
私を間に挟むなし!
あれなのか流は幼なじみがいないと何もできない系男子なのかあぁん? 奥手にも程があんだろうよ。
この頃になってくると月実は「まーくんは嫌いじゃないからいいんだけどなんでいつもまーくん一緒なんだろう」と思い始める。付き合い始めて三ヶ月の思考だった。
まだ二人きりが恥ずかしいのかね。ピュアボーイだなぁ。
ところでなんだが、これはいつまで続くのだろう?
これというのは、私がまーくんの体で生活しているというこの現象だ。よく考えるとそろそろタイムパラドックス的な何かが起きてもおかしくないのだが、どの場面を切り取っても、月実だった頃と変わらない展開なのが疑問だ。
それに、あとおよそ四ヶ月後、このままだと私はトラックに轢かれて死ぬんだが……そもそもこの意識って、死んだからこうなっているのだろうか?
もしかして夢なのでは? と思ったが、それにしては時間の進みが普通なんだよな。ベタな確認方法だけど、頬をつねったりしたら痛いし。
これが現実だとしたら、月実はまた死ぬことになる。しかも流とひどい喧嘩別れの状態で。
いくら今は別個体とはいえ、月実は私だ。またあんな思いはさせたくない。これがもし私が知っているのとは違う世界線だというのなら、未来を変えることはできないだろうか。
……などと小難しいことを考えていると、勉強の内容が全く頭に入ってこない。
「こら、転。ぼーっとすんな。この中で一番成績ヤバいのお前なんだからな」
流が鋭い琥珀色の瞳で睨んでくる。そこに苦笑いをしながら、まあまあ、と月実が口を挟んだ。
「程々にしようよ。ヤバいって言ったって、単位落とすほどじゃないんだからさ」
「まあ、そうだがな。上の空はどうかと思うぞ」
確かに。
この時点で月実は転のほわほわ加減に慣れてきていたが、もっと長くこのほわほわ男を見てきている流は「こいつこのままで大丈夫か?」的な心配をしているようだ。
ちゃんと話を聞かなきゃ、というのは意識にあった。あのとき、何故流が「わかり合えない」などと判断したのか。それは私が流の意見をきちんと聞いていなかったからだ、と思う。
まあ、今私は月実ではなく転なので、何ができるのか、とも思うが。
最初は月実に何か助言を、と思ったけれど、転である今の私は月実よりも流に影響をもたらせるのではないか、と思っている。流の意見を、月実では聞けなかった言葉を聞くことができるから。
「でも、今日はなんかちょっと様子変だね。なんかいつもよりぼーっとしてる感じ。悩み事?」
うん、そうなんだ、とも安易に頷けず、うーんと唸ると、気遣った月実が流に目を向ける。
「じゃあ、一休みしようよ。ほらそろそろ始めて二時間経つし、ぶっ通しっていうのもよくないじゃん。それにるーくんのコーヒー飲みたーい」
あ、と思った。
「流だ」
低く、静かだが、苛立ちの窺える声。月実は無意識だったのだが、思わず渾名で呼んでしまった。気まずい空気が立ち込める。
「ごめん、流」
「……おう。コーヒー淹れてくる」
かくして、部屋には私と月実の二人きり。あれ? 流と月実の二人きりシチュエーションゼロなのにまーくんとの二人きりシチュエーションは思ったよりあるね。
流がぱたりと扉を閉めて、足音が遠ざかっていくのを聞くと、月実ははぁーっと盛大な溜め息を吐き出し、机にでろーんと突っ伏した。
「何もあそこまで嫌がることないじゃんね……」
それは私も思う。
よくわからない流のこだわり。まーくんも何故だかわからないとは言っていた。
でも、なんとなくだが、わかる。この感じだと、流はまた妙なプライドを抱えているのだろう。
「るーにはるーの考えがあるんだよ」
「頭ではわかってるんだけどね、なんだろう、まーくんに釣られて呼びたくなっちゃう。るーくんって絶対可愛いと思うんだけどなぁ」
親しみやすくもなりそうだ。
男の子ってそういうものなのかな、と一時期考えもしたが、まーくんはまーくんと呼ばれることを容認しているため、そういうわけでもないようだ。だから納得がいかない。
「んー、考えても仕方ないか。流が変わってくれるわけでもないし、我慢我慢」
そう一人ごちる月実に思わず、
「我慢はよくないよ」
と言ってしまった。
そう、このまーくんの発言が四ヶ月後、喧嘩の原因となるのだ。
我慢をやめた私が流にぶつかりに行って、玉砕する、という。
よくない流れだな、とこめかみを押さえた。
どうしたら、この二人を仲良くさせられるのだろう。
夜、月実は親を心配させるといけないから、と帰っていった。
「……大丈夫かな、あいつ」
月実を見送った後、流がこぼして一言である。
私は呆れから溜め息を吐いた。
「そんなに心配なら、送っていけばよかったじゃん」
「まだ親御さんに挨拶もしてねーよ……」
「尚更行けよ」
「いや、まだ結婚するかどうかもわからないのに」
あーっ!! 腹立つくらい奥手だな。このイケメン意気地なしめ!!
「お付き合いさせていただいていますでいいだろ。なんでそんなに引き気味なのさ」
「どこの馬の骨とも知れないやつが受け入れてもらえると思うか?」
「誠意の使い所を間違えてる!」
「……そうなのか?」
本当に顔以外は残念だな。奥手にも程があんだろう。
「今までるーに振られてきた女子が見たら愕然とするだろうね……」
「どういうことだ?」
「自分で考える」
「……なんかお前、最近俺に手厳しくね?」
手厳しくはない。
「大体、なんで渾名呼びしたくらいであんなに怒るの? ちゃんと理由があるなら言った方がいいよ?」
「んー……」
お茶を濁す流。本当、まーくんになれてよかったと思う。これで流の本音が聞けるかもしれないから。
「転は昔から俺のこと、るーって呼ぶだろ?」
「そうだね」
「……渾名呼び、女みたいって言われたんだよな」
あー、確かに、渾名呼びで親しみを表すのは女子の特徴かもしれない。男子はそうでもないのか。
流はプライド高いから、「女みたい」と言われたのにひどく傷ついたことだろう。
だからってそれを言わずに月実に当たるのは筋違いというものだろう。
「そのこと、ちゃんと月実ちゃんに話したら?」
「……そのうちな」
「そのうちって……」
私は結局話されないまま終わったんだけど。
「それに……」
「ん?」
「なんでもない」
なんだそれ、めっちゃ気になる!!
が、そろそろ自分も家に帰った方がいい。泊まるのは迷惑だろう。
もやもやとはしていたが、帰ることにした。




