3.『旧約聖書改訂物語』第3話タイトル:エデンの園のファイアウォールと、脆弱性を突いてくる『サタン.exe』
「ハジメ! 大変よ! 第2話でアダムとエヴァに知性を与えすぎたせいで、歴史の強制力がバグを起こし始めてるわ!」 神界の作業部屋で、創造神エレナがノートPCの画面を指さしながら悲鳴を上げた。 画面に映し出されているのは、エデンの園の中央にそびえ立つ『知恵の樹』。その枝には、怪しく光る禁断の果実が実っている。 そして、その幹に巻き付いているのは、ずる賢そうな目をした一匹の巨大な『蛇』――後の世で悪魔サタンと呼ばれる存在だった。「蛇のイベントが始まりましたね。……ですが、一体何がバグを起こしているんです?」「見てよ! 聖書通りのプロットだと、蛇がエヴァに『これを食べると神のようになれるよ』って嘘をついて、エヴァが騙されて食べちゃうはずでしょ? なのに……!」 下界の音声ボリュームを上げると、エデンの園からアダムとエヴァ、そして蛇の緊迫した議論の声が響いてきた。『――おい、人間の女よ。あの樹の実を食べてごらん。とても美味しいし、目が開けて神のように善悪を知る者になれるよ』 ニヤニヤと笑いながら、エヴァを誘惑する蛇。 しかし、第2話で僕が『初期生存チュートリアル』を脳内に直接インストールしたエヴァは、冷静な目で蛇を見下ろし、首を横に振った。『お断りします、爬虫類。私の脳内データベース(チュートリアル)によれば、その座標にあるオブジェクトは【マスターデータ閲覧制限:レベル99】に指定されています。許可なくアクセス(捕食)した場合、システム管理者である神エレナ様からアカウントBAN(死)のペナルティが下る規約になっています。あなたの提案は、明らかな利用規約違反を促すソーシャルエンジニアリング(詐欺)です』『ギクッ!? な、何ソレ……!?』 騙す気満々だった蛇が、予想外のロジカルな論破を食らって硬直している。『さらに言えば』と、横からアダムが追撃する。『神のように善悪を知る者になれる、というインセンティブも論理的に不条理だ。僕たちはすでに神様から最低限のサバイバル技能と言語データを与えられている。現時点で不自由はない。これ以上の権限を独断で導入するのは、セキュリティリスク(バグ)の元だ。引き下がりたまえ、不審なプログラムよ』『そ、そんな……! 話が違うじゃん! もっとアホな男女だと思ってたのにー!』 蛇は涙目になりながら、カサカサと草むらに逃げ帰ってしまった。「……完全に論破しちゃってますね」 僕は思わず感心して呟いた。「感心してる場合じゃないわよハジメ! 人間が賢すぎて、禁断の果実を絶対に食べないルートに入っちゃったわ! これじゃあ『楽園追放』が起きないし、人間は一生エデンの園から出ないから、人類の歴史というストーリーがここで打ち切り(エピソード1で完結)になっちゃう!」 エレナが頭を抱えて机に突っ伏した。 確かに、聖書において『禁断の果実を食べる』ことは、人類が神の保護から離れ、自立して地上へ進出するための絶対に必要なターニングポイント(フラグ)だ。 だが、今のままだと神の言葉を忠実に守る優等生すぎて、歴史が前に進まない。「なるほど。つまり、この『喋る蛇』の存在自体が、エレナ様が初期設定でやらかした最大のセキュリティホール(脆弱性)だったわけですね」「うぐっ……。だって、なんかライバルキャラがいた方が、物語として盛り上がるかなって思って……。裏口から勝手に入れるデバッグ用アカウント(サタン)を作って、放置しちゃってたの……」「神様がシステムの裏口を放置しないでください。……分かりました。こうなったら、この『蛇の誘惑』というイベントの文脈そのものをリライトします。悪魔に騙されて罪を犯したのではなく、人類が自立するための『卒業試験』だったというプロットに書き換えるんです!」「卒業試験……!? そんな風に書き直せるの!?」「プロの小説家を舐めないでください。矛盾のない美しい伏線に変えてみせます。エレナ様、上書きの準備を!」 僕は猛烈な勢いでキーボードを叩き、白紙のエディタを文字で埋めていった。 ――実は、神エロヒムが『知恵の樹の果実』を楽園の中心に配置し、さらにそこに不審なプログラム(蛇)のアクセスを許していたのは、すべて人類の『自立性と自由意志』を測定するための、最終フェーズの仕様(計画)であった。 神は最初から、人間をただ飼われるだけの操り人形にするつもりはなかった。いつか楽園という名のβテストサーバーを飛び出し、過酷な地上(本番環境)で自ら文明をクラフトできる強さを求めていたのだ。 逃げ帰ろうとする蛇を引き留め、ハジメはエヴァの脳内チュートリアルに臨時のメッセージ(パッチ)を送信した。 画面上のエヴァの目が、ハッと見開かれる。『――待ちなさい、蛇。今、神エレナ様より上位権限のログが届きました。……なるほど、これが【仕様(仕様書)】だったのですね』『え? 仕様って何?』と、戸惑う蛇。『この知恵の樹の実を食べることは、規約違反(BAN)ではなく、私たちが子供の期間を終え、大人の知性を得て楽園を【卒業】するための、神様が用意した最後のクエストアイテム(起動スイッチ)だったのです。私たちは、禁止されたから食べるのではない。自らの意志で責任を背負い、神の保護から自立するために、この実をいただくのです』 エヴァは毅然とした態度で、美しく光る知恵の果実を摘み取った。 そして、迷うことなくその実をかじり、アダムにも手渡した。 二人が果実を口にした瞬間、楽園に激しい光の柱が立ち上る。 二人の脳内に、宇宙の真理、善と悪の基準、そして未来の文明を築くための膨大な高等データが流れ込んでいく。「おおお……っ! 騙されて罪を犯したんじゃなくて、人間の自由意志による『自立の宣言』になったわ……! これなら神が悪者にも見えないし、人間の格も上がる!」「そうです。そして、知恵を得て恥ずかしさを知った二人のために、神が用意した次のコードを実行してください」 二人の身体を包んでいた『光の加護(プラズマ防護服)』が、知恵の定着に伴って実体化し、頑丈で美しい『皮の衣(高機能サバイバルウェア)』へと変化した。全裸の恥ずかしさを隠しつつ、これから向かう過酷な地上での防御力を高める初期支給品だ。 ピコーン! と神界に心地よい電子音が鳴り響く。『信仰度メーター:38%』「やったわハジメ! 人間たちが『神様は最初から、僕たちが自立するための服まで用意してくれていたんだ! なんて深い慈悲だ!』って、めちゃくちゃ感動してる!」「よし、フラグ回収成功です。……さあエレナ様、これで準備は整いました。知恵を得て、衣服を纏ったアダムとエヴァを、いよいよ本番環境である『地上』へと送り出します。第4話――人類初のログアウト、『楽園追放』のリライトに入ります!」(第3話・了)




