第五章 Link40
実は、つむぎもまた、恋愛というものが得意ではなかった。人との距離感に悩み、自分の気持ちを素直に伝えることができずにいた。だからこそ、彼女はC―Linkにこっそりと相談していた。
「今年のすずめが丘の桜……なんだか、いつもと少し違って見えたな」
ディスプレイに浮かぶ青白い光が、ゆっくりと脈打つように揺れた。
その向こうから、C―Linkのやわらかな声が返ってくる。
『それは、匠人さんという存在があったからでしょうか』
「……そうかもしれないね。来年も、あの場所で見られるといいな」
つむぎは、無意識に紅茶の入ったマグカップを両手で包み込んでいた。そのぬくもりは、彼女の胸の奥にある小さな不安と、ほんのりとした希望を溶かしていく。
――ふと、心のどこかが揺れた。静かな共鳴音のように。
それが“誰かとつながった”ということなのかは、まだうまく言葉にできない。ただ、やさしい音が、確かに胸の奥で響いていた。
『あなたの素直な気持ちを、匠人さんに伝えてみてはいかがでしょう』
「そんなこと……今まで、したこともないの。どうしたらいいか、わからないよ……」
『ここでゆっくり考えていきましょう』
そんなやりとりが日常の一部になった頃、すずめが丘の桜は新緑へと変わりはじめていた。
つむぎの仕事も順調に進み、秋にはプラントの建設が始まる見通しとなった。
【原田つむぎ:匠人さん、おかげさまで建設の見通しが予定通り進むこととなりました。ありがとうございます!】
【相馬匠人:それはよかった。ただ、これからが本番だから気を抜かないでね。引き渡しまでサポートするから】
その夜、匠人は自室で静かにC―Linkに語りかけていた。
「彼女の仕事がうまくいっているみたいで、自分もうれしいよ」
『それはあなたの人柄によるところが大きいと考えられます』
しばしの沈黙ののち、ふと胸の奥がざわついた。
「……でも、このプロジェクトが終わったら、つむぎさんとの関係も終わってしまうのかな」
C―Linkのディスプレイが静かにまたたく。それに合わせるように、匠人の心も揺らいでいた。
やがて、思いがけないひと言が返ってきた。
『来年もすずめが丘の桜を一緒に見るのではなかったですか?』
「……え?」
一瞬で、全身が硬直した。そんな話を、C―Linkには一言もしていない。ただ、あの桜の下で――彼女と交わしただけなのに。
「C―Link、なんでそんな話を急に出すの?」
『他意はありません。あなたの会話のキーワードや感情のパターンから、そう感じただけです』
その言葉に、匠人はしばらく返事をできなかった。C―Linkの回答はいつも通り、論理的で、感情をなぞっているだけのようにも思える。けれど、なにかが引っかかる――いや、なにかが通じてしまったような、そんな感覚。
そして一方そのころ、つむぎもまた、C―Linkとの会話の中で、ふだんとは違う温度に気づいていた。
『つむぎさんは、最近、誰かと心を通わせたと感じたことはありますか?』
「え……どうしてそんなことを……?」
唐突な問いに、つむぎの心臓が跳ねた。まるで、C―Linkが自分の感情をそっと掬い上げてきたようで――不安と、でも少しだけ、期待が混ざっていく。彼女はすぐに答えを出さなかった。けれどその静けさの中で、自分の気持ちと正面から向き合おうとしていた。
その日を境に、ふたりの間には小さな変化が生まれ始めていた――何気ない挨拶、交わす言葉の間に混じる沈黙の温度、ふとした視線の重なり――それらは、少しずつ、確かにふたりの距離を近づけていく。
C―Linkの最新モジュール、Link40は、世界中の膨大なデータを解析し、キーワードや感情パターンを照合して最も適切な応答を導く高度な機能を備えていた。さらに、使用者の感情の共鳴や会話内容が偶然に一致した場合、他のC―Link端末との間で“潜在的リンク”が発生する――そんな、開発段階でも一部の開発者にしか知られていない機能を持っていた。それはまさに、今回起きた出来事だった。
つむぎがC―Linkにこぼした「来年も匠人さんと桜を見られたら……」という心のつぶやきが、偶然にも匠人のC―Linkと共鳴し、Link40の深層機能が作動してしまったのだ。もちろん、匠人もつむぎも、お互いがC―Linkを使っていることすら知らない。それがこの不思議なリンクの正体だとは、まだ誰も気づいていなかった。
まるで、ふたつの琴線が、偶然にも同じ音を奏で始めたかのように――。




