12話 確信
こいつ、実は、エステルなんじゃないか。
一般人から選定された影武者じゃなくて、本人じゃないのか。
その疑惑は、馬車が進むにつれ、どんどんふくらんでいった。
たとえば、座っている間、徐々に背中が丸くなっていき、途中でそのことに気づいて背筋を伸ばす。たとえば、手を胸の前で合わせる。たとえば、首をきょろきょろ動かす。
すべて、エステルがよくやる仕草だった。
顔もよく見ていると、エステルの面影が見えてくる。当然のことながら、エステルのことは小さいころからずっと知っている。影武者が真似たのだとすると、あまりにも完成度が高すぎる。
馬車の車輪が凹凸を踏んだらしく、車内が大きく揺れた。
「キャッ」
目の前のエステルか誰かが、バランスを崩して倒れそうになる。俺はとっさに体を支えた。
「気をつけるんだ」
そう言うと、ごめんなさい、と殊勝な答えが返ってくる。
さっきから、エステルもどきは落ち着きがない。影武者であっても、本人であっても、なじんだ場所を離れて遠くに行くわけだから、緊張しているのだろう。
顔色が悪いし、大して暑くもないのに額から汗が垂れている。何枚も重ねた薄緑のドレスを手でぎゅっと握りしめている。少しだけ、その手が震えていた。そのうち、過呼吸で倒れるんじゃないかというくらいにどぎまぎしている。
俺は、言った。
「無理をしないほうがいいよ。あまり体調がすぐれないようだったら、落ち着くまで馬車をとめてもらおうか」
エステルじゃないかと疑っているが、まだ俺の正体に気づかれるわけにはいかない。俺らしからぬ優しい言葉をかけることにする。
「い、いえ、大丈夫です」
「本当? さっきから、体が震えているようだけど」
「そ、そんなことありませんわ。震えているとしたら、単純にこの馬車が揺れているだけだと思います」
「ならいいけど……」
馬車が揺れているせいだったら、そんなに小刻みに震えないんだがな。
どうしようか、と迷う。
ここで、エステルだろうと言ったとして、もし当たってしまった場合、俺の正体が露見する可能性が高くなる。なぜなら、ロイはエステルとほとんど面識がないはずだからだ。仮に、影武者だったとしても、なぜそんなことを訊くのかと訝しく思うだろう。
だが、エステルかどうかはっきりさせないのも気持ちが悪い。
どうにかして、俺の正体をバラさずに相手の素性を確かめる方法はないだろうか。
ひとまず、探りを入れてみるか……。
「あの」
「は、はい!」
俺が声をかけると、ビクンと体を揺らして背筋を伸ばした。
「まだ、名前を聞いてなかったよね。教えてもらってもいいかな」
エステルもどきは、こくこくと二回うなずいた。それから、言う。
「わ、わたしの名前は、スーと申します。……ええと、あなたは?」
「ああ、ごめんね。こっちから名乗るべきだったね。俺はロイ。軍人だ」
「そう、なんですね……」
スー、ね。確かに、エステルの影武者として選ばれた人間の名前と一致している。確か、ブリュンデル地方の出身だった。
かまをかけてみる。
「ええと、どこの出身だっけ? ロンドールあたりだっけ」
「いえ」
しかし、エステルもどきはひっかからない。
「ブリュンデル地方という場所です。ワインの名産地として知られています……」
「ああ、ごめんね。勘違いしていたよ」
エステルだとしても、さすがに最低限の準備はしてきているか。影武者しか知らないようなことがわからない以上、この方向性で攻めても得られるものはなさそうだ。
やり方を変えることにする。
「お父さん、お母さんと離れてさびしいよね。俺は軍人だから、任務としてこの場に就いているけど、君は一般人だもんね。早く帰りたいよね」
「はい……」
つらそうな表情に変わる、今にも泣きだしそうだ。作っているようには見えない。
「今回の件について、なんて言われてここまで来たの?」
一瞬だけ、目が泳ぐ。それから、こちらをまっすぐ見据えてきた。
「あまり教えられていません。ただ、お父さんとお母さんのために、やってもらいたいことがあるとしか……」
リアルな回答だ。おそらく、本当にその程度しか伝えられていないだろう。親にはもう少し情報が与えられているかもしれないが、あえて不安になるようなことは伝えていないはずだ。
「……だから、不安です。帰ってこられるんでしょうか」
エステルもどきが小窓の外に目を向ける。
そこには、雄大な草原が広がっている。人があまり踏み入れていない土地だ。田畑もなく、家屋もなく、ただ草木が無造作に伸びているだけ。土地の有効活用のために、少しずつ整備を進めているが、まだまだ未開拓の土地は多い。
そして、そんな土地には当然人がいない。あくまで自然のありのままの姿があるだけだ。
普段、人のいる環境に慣れていると、当然怖くなるだろう。馬車がここで止まってしまったら猛獣の住む世界に放り出されるわけだ。
俺は、さっきと同じ言葉をかける。
「大丈夫だ。何かあれば、俺が守ってやる」
エステルもどきの目がこちらに向いた。瞳の奥が揺れている。
「俺は軍人だよ。何かあっても、民間人を守れるように訓練を受けている。もちろん、俺はまだ新米で、できることも少ないけど、それでも君一人くらいは守れるはずだよ」
すると、どうだろう。
不安そうなまなざしが徐々に不思議なものを見るようなまなざしに変わっていた。ぱちぱちと瞬きを繰り返している。小さく口を開け、俺の顔を穴が開くほどまじまじと見つめていた。
小声で、エステルもどきが言う。
「そ、その顔で言われると、調子が狂いますね……」
「ん?」
だが、俺は聞き逃さない。その顔で言われると調子が狂う? どういう意味かな?
俺の中の疑惑が徐々に確信へと近づいていく。もしも、影武者だとしたら、出てこない言葉だろう。
俺は、さらに突っ込むことにする。
「ごめんね。この顔で言われると調子が狂うってのは?」
そう言うと、目の前の少女が露骨に焦りを見せる。
「ええ、いや、その……」
エステルもどきが視線を逸らす。逸らしてなお、その視線の動きはせわしない。足元を見たり、天井を見たり、窓の外に目を向けたりする。左手が右腕をさする。どう返答したらいいか迷っているのがよくわかった。
十秒くらいして、ようやく答えた。
「その、あの。ロイさんのお顔がその……」
エステルもどきが、両手でドレスをさらに強く握りしめる。顔をうつむけて、言った。
「お顔がその、とても美しくいらっしゃるので」
俺はその言葉を聞いた瞬間に顔を横に向け、手で口を抑えた。
……ダメだ。まだ笑うな。ここで笑ってしまってはすべてが台無しになる。
だが、簡単に抑えきれそうになかった。お、お顔がとても美しい……。言うに事欠いてそれか。どんな気持ちで言ったのだろうと考えると笑えてしまう。
俺は懸命に心を落ち着かせる。何度か深呼吸を繰り返したあと、顔を前に向ける。
エステルもどきは、まだ顔を上げていない。俺の様子にも気づかなかっただろう。
照れた風を装って、俺は言う。
「ああ、いや。そんなことないよ。スーちゃんだって、とてもかわいいじゃないか」
なんだろうか、この会話。シルヴィルトとエステルの会話だとしたら、あまりにも違和感がある内容だ。
エステルもどきは、答える。
「そ、そんなことありません。すみません、変なことを言ってしまって……」
「気にしないでいいよ」
爽やかに笑いかける。ロイならきっとそうするだろう。
そろそろ平静ではなくなっているはずだ。仕掛けるか。
「なんにせよ、最近はいろいろ物騒だから気を付けないとね。王宮でもほら、いろいろあったらしいじゃない」
「ああ、はい」
「なんだっけ、なんかが見つかったって……」
「生首、ですか?」
「そうそう。怖い話だよね。生首が王宮で見つかるなんてさ」
「はい……」
俺は、話をつづけながら、内心ため息をついていた。
これで、ようやく確信できた。こいつはエステルだ。
生首が届けられた件は、一般人には間違いなく公開されていない。そのことを知っている以上、こいつはエステルの影武者じゃない。エステルも、このことを教えてはならないことは重々承知しているはずだから、影武者にも間違いなく教えていない。
だからだろう。
しばらくして、はっとしたような表情になった。すぐに元の表情に戻すが、もう遅い。俺は、エステルのミスに気づかないフリをする。
「スーちゃん。故郷に帰ったら、いっぱいお土産話してあげるといいよ。確かに今回のことは大変だろうけど、こんな経験、普通じゃできないからさ。そのためにもなんとかして、無事に故郷まで一緒に帰ろうよ」
「はい……。ちなみに、ロイさんの故郷って?」
「ああ、それはね……」
俺は、ロイから聞いた話をそのままエステルに伝える。
しかし、話をしながら、俺の意識は別のところに飛んでいた。
セリーヌやリンクだけじゃない。俺のことを知っているのは、もう一人いる。
(……リナ。わたしがリナを守るから)
馬車に乗る前の言葉を思い返す。
やはり、あれは聞き間違いではなかった。エステルの言葉だった。
リナも連れて行くべきだと国王に提案したとき、エステルの顔から血の気が引いていた。わたしのリナ、とまで言うほど、親交が深かった二人だ。リナが危険な場所に赴くと聞いて、いてもたってもいられなくなったのだろう。恐怖に震えてまで、影武者と入れ替わりこの馬車に乗り込んでいる。
正直、まずいことになった。
エステルは、どこまで考えてこの作戦を決行したのだろう。もし、入れ替わりがバレたら、なし崩しで俺の入れ替わりまでバレかねない。少なくとも、今ここにいる少女が、エステル本人であると気づかれないように最大限気を払わなければならない。
そしてもちろん、俺自身も、気づかれないようにする必要がある。
――面倒だな
ロイの故郷についての話を終えた俺は、窓の外に目を向ける。相変わらず、殺風景な景色が広がっている。
はぁ、と大きなため息をこぼすのを止めることができなかった。




