3話 犬とリナ
俺は、自分の部屋に戻る途中、リナのいる部屋に寄ることにした。
リナの部屋は、現在も王妃の部屋の近くがあてがわれている。部屋のそばに立つ、見張り役の軍人二人を尻目にノックをし、シルヴィルトだと告げると、どうぞという返事があった。
中に入ると、リナはなぜか犬と戯れていた。リナの体と同じくらい大きい、白い犬だ。エステルが飼っていた犬と似ている気がする。リナの前にひざまずいて、くんくんと鼻を鳴らしていた。
「……なにやってんの?」
そこで、ようやくリナがこちらを向く。ふわふわの白い毛をもふもふしながら言う。
「かわいいでしょ。エステルが用事だっていうから、ちょっと貸してもらったの」
「ふぅん。随分エステルと仲がいいみたいだな」
犬までなついているようだ。機嫌よさそうにしっぽを振っている。
「年が近いし、話も合うの。最初は身分の差もあったから遠慮してたんだけど、今ではいい友達よ」
そんなこと言っている間にも、犬はリナの頬をぺろぺろ舐めていた。くすぐったそうにリナが目を細める。
「この子、わたしのことが大好きみたい。初めて見たときから、こんな感じで傍を離れようとしないの。エステルも、こんなになつくなんて、って驚いていたわ」
「そうか」
久しぶりに、リナの楽しそうな顔を見た気がする。
今のリナは、ほとんど軟禁されている。常に出入り口(窓も含め)には見張りが立っていて、影による移動も含め、変な動向がないか監視されている。トリトロンにとって、リナは絶対に逃げられてはならない存在だ。
しかし、すでに、そんな生活も一か月を越えようとしている。常に見張られる生活は、リナに負担を強いているようだ。だんだんと笑顔は少なくなっていた。
「エステルはたまにこの部屋に来ているようだな」
リナがうなずく。
「うん。もともと、エステルはわたしに興味があったみたい。同じ年だもん。一度来てからは、定期的に話相手になってくれるの」
「そうか」
なんにせよ、リナに友達ができたのはいいことだ。今の王宮には、リナの味方があまりいない。今日の会議で、リナを洗脳する話まで出たくらいだ。現在のところ、リナに対しての信用度はあまり高くない。それは単純に、スキラ公爵に対する信用が失墜しているためだ。
「ちなみに、この犬の名前はなんていうんだ?」
一度エステルから聞いた気がするが、覚えていない。
「ブランシュよ。グレート・ピレニーズっていう種類なんだって。毛が長くて、さわると気持ちいいの。あっ、こら」
しばらく、リナに抱きついていたが、急にリナから離れて別の方向へと歩き出す。しかも俺のほうに向かってきている。俺の一メートルくらい前のところでぴたりと止まった。
ブランシュは、俺をじっと見上げたあと、すぐに興味を失ったのかリナのいるほうへと戻っていった。そして、再びリナとじゃれあう。
「どうやら、シルはお眼鏡にかなわなかったようね」
「……あの一瞬で値踏みされたと思うと、むかつくな」
ただ、犬に嫌われようが大したダメージはない。
「ちなみに、今日来たのは、お前に言いたいことがあったからだ。今日、国王陛下に、エステルも俺も呼び出されたんだ」
「……そう」
あまりいい話ではないことを感じ取ったのだろう。リナの笑顔がしぼんだ。
「どうやら、おまえは怖がられているみたいだな。なにせ、国をひっくり返そうとした重罪人の娘で、なおかつ闇属性の持ち主だ。かつては社交界の大人気令嬢だったのに、今や腫物扱いだ。フルールが絡んできたこともあって、対応を慎重にならざるをえなくなっている。おそらく、この監視生活はまだまだ続くだろうな」
「……つまらない話」
「つまらなかろうが、事実だ。正直、お前の状況はあまりよくない」
他の貴族たちと一定の距離を保っていたのも悪かった。もともとは男性恐怖症を隠すためだっただろうが、リナの人となりを本当の意味で知る者が少なく、擁護意見もあまり出てきていない。
「それに、俺も大っぴらに動きにくい状況だ。今だって、声のボリュームを気にして、周囲の人間に聞こえないように話している。縁談の存在があったおかげで、リナに会いに行くこともそこまで変な目では見られていないが、そう頻繁に訪れるわけにもいかない」
「だから、最近あんまり姿を見せなかったんだ……」
俺はうなずく。
死を招く大熊事件において、俺もリナも動きすぎた。空き倉庫までの道のりは誰にも見られていないし、王宮に戻るときにもしっかり姿は隠した。血にまみれた服はすべて処分したし、俺たちがいなかったことに気づいている者もいない。とはいえ、油断は禁物だ。レイア教には俺たちの動きの一部を知られている以上、少なからずマークされているはずだ。リナの闇魔法と俺の私兵で殺したことになっているが、俺の能力に感づき始めている者もいるかもしれない。
王宮内に、レイア教の者が紛れ込んでいる可能性があるので、慎重にならざるをえない。
「なるべく千里眼でリナ周辺の動向は探っている。今のところ、大きな問題はないようだが、いつ何が起こるかわからない。用心しておく必要がある」
そこまで言ったところで、リナが、引きつり笑いを浮かべた。
「ね、ねえ。千里眼だか、サーチだか知らないけど、確か遠くから見ることができるという能力だったわよね」
「そうだが?」
今さら何を言っているんだろう。
「ふ、普段わたしがどうしているかこっそりのぞいてみてるってこと?」
「あー、もしかして、俺があげた絵を眺めてよくにやにやしていることか?」
「なんで見てるのよぉ……」
仕方がないだろう。リナの周囲を探っていると、どうしてもリナの動き自体も目に入ってしまう。
「約束を守るためだ。それとも、お前がどうなろうが気にせず見捨てたほうがいいのか」
「それとこれとは別でしょ……」
「そんなに気になるなら、常に俺に見られていると思って恥ずかしい行動をとらないことだな。ちなみに、トイレやシャワーのときまでは見ていないから安心しろ」
「もういいわよ。シルの能力のこと考えて行動していたら頭がおかしくなりそう」
落ち込んでいるリナを見て、ブランシュがリナの鼻をなめる。俺は言った。
「なんにせよ、あの絵を気に入ってもらえて何よりだ」
これに関しては偽らざる本心だ。俺にとって、絵を描くことは、魔法を鍛える手段であると同時に大事な趣味でもある。小さいころからある程度の才能があった俺は、自分が徐々に成長していくのを感じ取ることができ、とても楽しかった。
「……すごいと思うわ。まるで実物みたい。息遣いが聞こえてきそうなくらい間近に感じられるの。そして、あのときの自分の気持ちが浮かび上がって共鳴する。いつまでも見ていて飽きないの」
「そうか。それならよかった」
大事にしてくれているのは素直にうれしい。
「これからも、お前に対しては尋問が繰り返されることだろう。切羽詰まってくれば、徐々に手段を選ばなくなってくるかもしれない。おかしなことになれば、すぐに駆け付けられるよう準備している。自分一人で抱え込まず、困ったときは俺に言え」
「う、うん」
俺にとっても、リナは重要な存在だ。
闇魔法のことをすべて把握できているわけではないが、光魔法のカモフラージュ役としてこれ以上の存在はない。透明化は、隠密行動に使用するという意味で、開錠&施錠に非常に似ている。また、千里眼に関しても、隠れて盗み聞きしていたとしてごまかすことが可能になる。この二つの能力は特に使用頻度が高いため、今後、闇魔法に助けられることは多くなるだろう。
「それから、今後ひとつ注意してもらいたいことがある」
リナが目線を上げた。
「今のところ、王宮内において死を招く大熊事件が俺たちによるものだと疑っている者はいない。あの空き倉庫にいたのだということを誰も知らないからだ。しかし、もしも、今後俺たちがあそこにいたと知っているそぶりを見せるやつがいたら気をつけろ。レイア教とつながっている可能性が高い」
すると、リナは首をかしげる。
「でも、そんなボロを出すとは思えないわ。だって、この件に関しては向こうも慎重になってるでしょ? あんなに味方が殺されたんだもん」
「そうだな。普通に考えれば、そんなボロは出さないだろう」
しかし、レイア教の者かどうか見分けるもっとも有効な手段はそれだ。だからこそ、俺も自分がそうだと他の者に気づかれないように注意しなければならない。
「一応、気をつけてみる」
「ああ、頼む」
トリトロンにとっても、俺にとっても、リナは重要なピースだが、レイア教にとっても同様だ。リナには再度レイア教からのアプローチがあるかもしれない。
ずっと真面目な話をしていたせいで、ブランシュがつまらなそうに寝転がってしまった。あるいは、リナが俺と話してばかりで拗ねているのかもしれない。
「あぁ、ごめんね。よーしよし」
首をなでられているうちに機嫌が復活したようだ。舌を出しながら、リナに飛びかかる。
やたら人懐こいな。エステルがしっかり調教したのだろうか。
と、そのとき。
こんこん。
ノックの音が響いた。つづけて、「エステルよ」という声も聞こえてくる。会議が終わったから、ブランシュを回収しに来たのだろう。
押し倒されたリナは返事ができそうになかったので、俺が代わりに応える。
「勝手に入れ」
まさか俺が返事すると思っていなかったのだろう。間をおいてから、ドア越しに再び声が響く。
「お、お兄様が? なんで……」
そして、ドアが開く。
そこには、背の小さな少女が一人。エステル・リル・トリトロン。俺の腹違いの妹で、リナと同い年の12歳。銀色の長い髪を持ち、子供っぽい丸い顔をしている。
エステルは、俺を見て、犬にマウントを取られるリナを見て、言った。
「お、お兄様! わたしの可愛いリナに何しているのですか!?」
興奮し、顔を赤くしている。本当に仲がいいのだな、と思いつつ、あまりに信用がないことに悲しくなってくるのだった。




