19話 逃走
俺には時間がなかった。
ビリヤンカ王妃が国王に話し、リンクが大っぴらに動き始める。そうなった場合、いつ公爵たちが強硬手段に出てもおかしくない。これは、組織レベルの話ですらなく、国単位の話だ。あの褐色の男が敵国の軍人である以上、早めに動いておく必要がある。
俺は、リナの部屋の中にいた。すでに風邪は治っているようだった。
「……あの、急に来ないでくれる? びっくりするから」
リナは髪の毛をいじりながらぼそぼそ言っている。
「リナ」
これが真剣な話だと分かるように、あえて低い声を出した。
「逃げるぞ」
「え?」
「王宮を離れる必要がある。そうでなければ、誰かが死ぬことになるかもしれない」
「ちょ、ちょっと待って。どういうこと」
俺は説明した。今まで見たこと、聞いたことをありのまま話した。褐色の男が公爵とアクチュエータで会話していた内容。ビリヤンカ王妃とリンクが動き始めていること。その前に、誰も殺されないよう解決する必要があること。
だが、一つだけ、入り口付近に通信型アクチュエータが設置されていたことは伏せた。
「解決するって……それってどうするの?」
「それは――」
正直に答えた。リナに協力してもらううえで必要だと思ったからだ。リナは最初驚いたような顔をしていたが、まもなく悲しげにうなずいた。
「そうね、仕方ないわ……」
リナの気持ちもわからないでもない。簡単に踏ん切りがつくものではないだろう。しかし、しばらく考えこみ、いくつか言葉をかわしているうちに覚悟を固めたようだった。リナの瞳に覚悟の色が宿った。
「……わたしはすでに、あなたに命を預けている。あなたを信じると決めた。迷うことはないわ」
「いいのか? あとで嫌だと言われても引き返すことはできない」
「大丈夫。こんなことになってしまった以上、もともと引き返すことなんてできないのよ」
作り笑いを浮かべていた。しかし、それは媚を売るようなものではなく、苦しみとそれに立ち向かう勇気を綯交ぜにした笑顔に見えた。
「そうだな。……信じてくれてありがとう」
「うん」
「これから、おまえをある場所へと連れて行く。そして、公爵たちを釣って罠にかける。あとは公爵たちが来るのをその場所で待つことになる」
リナの顔をまっすぐに見て、俺は言った。
「一つお願いがある」
「なに?」
「王宮から出るまでの間、俺の質問に対し、素直に答えてくれ。そして、俺の質問以外のことには答えるな。他のこともしゃべってはいけない。頼めるか?」
「……よくわからないけど、わかったわ」
「それでいい。あとのことは俺に任せてくれ」
俺はリナに右手をかざし、もう片方の手を自分の胸に当てた。
「透明化」
俺とリナの体が背景に溶けていく。やがて、自分の体もリナの体も見えなくなる。
「これが……透明化……」
おそらく、自分の手や足元が消えたのを確認したのだろう。足元に何もないにもかかわらず自分の視点が浮いているため、違和感を覚えただろう。リナの体が倒れそうになるのが手の感触でわかった。あわてて抱きとめる。
「触って悪いな」
腕を離す。しかし、いつ倒れても支えられるよう、肩に手を乗せる。
「なるべく自分の体を見ようとしないほうがいい。見ようとすると不安になるし、体のバランスがかえって保ちづらくなる。普段歩いているときも、いちいち自分の足元なんか見ないだろう? 同じような感覚で、前だけ見るんだ」
「わか、った。そうする」
少しだけ歩く練習をする。俺の言葉でコツがつかめたのか、すぐに転ばず歩けるようになっていた。
本当は、影に入ってもらったほうがやりやすいのかもしれない。だが、外灯の影を作り出していたランプにはまだ火が灯っていない時間帯だ。あるかどうかもわからない、都合のいい影を探すのはあまり得策でない。入口で俺の質問に答えてもらったあとは、急いで王宮の外に出る必要がある。
そろそろ行くぞ、と声をかけると、リナは小さくうんと答えた。
透明化している間にドアを開閉すると、ドアが勝手に動いているように見えるため、シニストラ宮から出る際、周囲に誰もいないかを確認したあと外に出た。
すぐ近くには、俺たちの声を盗聴していたアクチュエータがある。ちらっと横目で確認したあと、リナに問いかける。
「なあ、リナ。不安か?」
すぐにリナが言う。
「そうね。確かに不安だわ」
約束通り、俺の質問に素直に答え、それ以上は口にしない。
「そうだな。俺も不安だ」
偽らざる気持ちでもあった。これから、俺がやるべきことを考えると、どうしてもぬぐえない気持ちだ。それと同時に、楽しみな気持ちもあったが、それは隠すことにした。
「これから、俺はお前を空き倉庫まで連れて行く。王宮を出て右だ。30分くらいまっすぐ歩いたところに細い路地が左手に出る。小さな薬屋のある角だ。角を抜けると、小さな丘が見えてくる。丘を越えた先に倉庫がある。倉庫には、俺の抱えている私兵が控えているはずだから、誰かいたとしても気にする必要はない。俺とはぐれるかもしれないから覚えておいてくれ」
「うん……わかった」
もちろん、リナとはぐれるつもりはない。俺の手なら触っても大丈夫と聞いているので、リナとは手をつないだ状態だ。
「リナ、公爵のしたことを聞いたとき、そしてレイア教の存在を知ったときからずっと考えていた。このことは必ずや罰せられなければならない。だからこそ、俺はリナからきいた情報をもとに、レイア教のことを世間に知らせる。それと同時に、秘密を抱えているリナの存在を守らなければならない」
「う……ん」
俺にレイア教のことを話した覚えがないからか、返事が少し遅れた。
「ちなみに、お前の口からこのことを話したのは俺だけか」
「そう、ね」
「そうか、それならよかった」
リナが言いつけどおりにしているおかげでここまでうまくいっている。
「いったん王都を越えて、信頼できる人間のもとまで送る。王宮にいるよりは居場所を秘匿しやすいだろう。あとは俺に任せておけ。リナが自由に行動できるような環境を整えてやろう」
「……ありがとう」
「とにかく、まずは王都から出ることだ。急ぐぞ」
あまり時間的な猶予はない。
理由は簡単だ。ここで話した以上、レイア教にも伝わったことになる。そして、俺たちが王宮から出ようとする前に、俺たちを見つけ、捕えようとするはずだ。おそらく、影で脱出できそうな場所を待ち伏せするか、正門や裏門の前を注視することになるだろう。透明化を使っている以上、どちらも躱すことができるが、「向こうにとって絶対に脱出できない状態」で王宮から外に出ると違和感を与えることになる。まだ、相手に不自然さを感じさせてはならない。
俺とリナは、転ばないようにしながらも急ぎ足で正門まで向かう。正門には相変わらず衛兵が立っているが、まだレイア教の者らしき人影はなかった。多少足音が出ることも構わず、速足のまま正門を通り抜ける。
足音のせいで、衛兵が俺たちのいるほうに視線を向けるが、しょせんそれだけだ。光魔法のことをよく知らなければ人がいるなんて思わず、気のせいと感じるだけだろう。
リナはなんとか転ばずについてきていた。ときおり、転びそうにはなるが、俺が手で支えることで何とか大きな音を立てずに済んでいる。
正門を抜ければ、あとは急ぐ必要はない。握った手の力を少し緩める。
通信型アクチュエータの前で言っていたことの半分は本当のことだった。少なくとも、俺がリナを空き倉庫に連れて行くのも、空き倉庫までの道のりも嘘をついていない。
――ついてきてくれなければ困るのだ。
おそらく、彼らはしばらく王宮内を探ることになるだろう。そのあと、戦力を整えてから俺とリナを追いかけてくるはずだ。空き倉庫に私兵がいるという嘘を聞いたからだ。
――なるべくたくさん来てくれよ
俺はそう祈りながら、目的地に通ずる道を歩み始めた。
緊張感の中、歩き続けるのは結構疲れることだったらしい。目的地につくやいなや、リナは吹きさらしの床に倒れこんだ。
「汚れるぞ」
俺もリナも透明化は解除されている。リナは構わず、そのまま寝転がっていた。
「……いろいろ疲れたのよ。緊張していたし」
「透明化している以上、見つかる心配もあまりないけどな」
「別に、それだけじゃ……」
リナは自分の手を見てから、顔をそむける。俺はため息をついた。
空き倉庫にはもちろん誰もいない。出入り口が二つあり、俺たちがやってきたほうとは反対側にもう一つ存在する。広さは20メートル四方くらいだろう。高さは、俺を縦に5人並べても天井につかないくらいだ。
奥に小さな階段があり、倉庫の壁に沿うように設置されているギャラリーへとつながっている。
「それにしても、誰もいないじゃない。さっきは私兵がいるって言っていたのに」
「嘘だからな」
「ええ? なんでわたししかいないのにそんな嘘ついていたの?」
俺はここでようやく打ち明けた。通信型アクチュエータがあったこと、それを用いて盗聴されていること。
「……なんで初めから言ってくれなかったのよ」
「お前は不器用そうだからな。言わないほうが自然な会話になると思ったんだ」
「だからって……」
そこで、リナは気づいたようだ。
「待って。あの声を聞かれていたということは、わたしたちの居場所は……」
「当然バレている。今頃気づいたのか」
リナは頭を抱えていた。なんでそんなことするのよぉ、と悲鳴を上げている。
「ここからも早く逃げないとだめじゃない。すぐにお父様たちがやってくるわ。そのときには……あなた、殺されるかもしれない」
「まあ、殺しに来るんだろうな」
「だったら……!」
しかし、俺は首を横に振る。
「大丈夫だ。俺は負けることはない。むしろ、この状況を作るために手を尽くしてきた。俺を信じていれば大丈夫だ」
「魔力は、12……って聞いたことがあるけど」
「そうだな。12だな」
「無理よ。お父様は100以上ある。それに、ほかにも魔力の強い人たちが来るんだったら、あなたなんて一瞬で消し飛ばされてしまうわ」
わたしも戦うけど、わたしだけじゃ無理よ、とつぶやいていた。
俺たちだけじゃ勝つのは無理だと思うのも無理はない。基本的に強さは魔力の大きさと言われている。12ではあまり大きな魔法を使うことができない。
しかし――
「リナ、心配は無用だ。魔力は12だが、俺の光魔法は最強だ」
まだ、リナには光魔法の強さを見せたことがない。それに、魔力が低いからこそできる芸当というのも教えたことがない。だから、勝てるわけがないと思ってしまう。
おそらく、公爵たちも似たように考えているだろう。王子の魔力は12の火魔法。恐れるに足らない存在だと。
だがそれは間違いだ。
「信じられないのも無理はない。だが、見ればすぐにわかるはずだ」
俺は、自分の腕を大きく広げた。一陣の風が吹いた。
「俺の光魔法が確かに最強だと――」




