14話 風邪
リナが熱を出したらしい。
そんな知らせを聞いたのは、リンクのつまらない講義を聞き流しているときだった。急にムースがやってきて、俺に耳打ちをしてきた。
「熱がある……とおっしゃっています。なんのことかわかりませんが」
おそらく、王妃付きの侍女から伝言を頼まれたのだろう。主語を入れていない時点で誰のことかはわかる。
「ああ、最近入り込んできた猫がいてな。そいつのことだろう」
「左様ですか」
「案外、素直で可愛らしい奴なんだ。そのうち紹介するよ」
「ありがとうございます」
俺の適当な回答に、ムースも適当に返してきていた。しかし、本当にムースにはちゃんとリナのことを話すつもりでいた。信用できるやつだと思っている。
ムースが去った後、リンクが訝しげな目を向けてきた。
「なんかあったのか……?」
「別に。さっきも言ったように猫の話だ。大したことじゃないさ」
「ふぅん」
あんまり納得していないようだったが、特に興味もないのかすぐに授業に戻った。
しかし、熱を出したか。当たり前と言えば当たり前なので驚きはない。それよりもその熱が大きな病気とかだと困るなと考えていた。
午前中のリンクの授業が終わった。最近、俺がおとなしくなったのを見て、昼飯の間、拘束を解いたうえで、監視もなく、完全に自由にしてくれる。以前は、俺の拘束を解いても、後ろから常に監視し、飯を一緒に食べるような有様だった。
もちろん、俺はまじめに授業を聞いているのではなくて、ぼーっとしながら聞き流す技術がうまくなっただけだ。たまに質問が飛んでくるので、そのときにうまいこと対応すればいい。
俺は、昼飯を食べたあと、リナのいる部屋の前まで来ていた。左右を確認し、誰の姿も見当たらないことを確認したあと、ノックする。
「シルヴィルトだ。いるか? 入るぞ」
返事がないので、ドアノブに手をかける。
ドアの向こう側から、ドタドタと物音が聞こえるが気のせいだろうか。
俺はドアを開いた。
中は殺風景だった。もともと空き部屋だったせいだろう。かすかに、卵のにおいのようなものを感じる。日差しが窓から入り込んできていて、窓際のベッドに白い陽だまりが浮かんでいた。
――誰もいなかった。
「あれ?」
おかしいな、と思って、首を回して辺りを探る。しかし誰もいない。テーブルの下や鏡台の下ものぞき込んでみるが何もない。困り果てた俺が、ベッドの反対側をのぞきこむと、そこには頭を抱えてうずくまっているリナがいた。薄手のワンピースを着ている。
どうやらベッドから転げ落ちたらしい。
「なにやってんの、お前」
リナは涙目になっていた。よほど打ちどころが悪かったらしい。
「……出迎えようとして、落っこちただけよ」
なぜかあらぬ方向を見ながらそう答える。何かあるのかもしれないと思って視線の先を追ったが特に何もない。
「出迎えようとしていたら、こっち側じゃなくて、手前側に落ちるはずだけどな」
おそらく、隠れようとしていただろう。理由はわからないが。
相変わらずこっちを見ないままリナはベッドの中に入り込んだ。前髪が気になるらしく、何度も手でいじっている。くるくる巻いたり、前髪を引っ張って顔を隠したりしている。少しだけ、顔も赤くなっているようだった。
「おーい」
呼びかけてみるが、反応がない。髪をいじるのに夢中なようだった。
「聞こえてる? おーい!」
「ぃこえてるわよ……」
声が小さすぎてよく聞こえない。こんなぼそぼそしゃべるやつじゃなかったはずだ。
「急にきてどうしたのよ……。びっくりするじゃない」
会話に応じてくれるのはいいが、いい加減こっちを向いてくれないだろうか。
「急というか、熱出したって聞いたから、様子を見に来ただけだ」
「ふぅ~ん」
「それに、守るって、約束したしな」
「へ、へ、へぇ~」
リナはますます顔をそむけてしまう。そして、耳たぶも赤くなっていた。照れているらしい。今さら、どうしたんだ?
「いい加減、そっぽ向くのやめてもらえないか?」
「べ、別に、ただ窓の外を眺めているだけよ」
「……じゃあ、そっち側に行くとするか」
俺は立ち上がって、窓とリナの間に回り込む。
しかし、リナの顔は、ドアのほうを向いた。
「……おい」
「なにかしら?」
「窓の外を眺めていたんだよな、お前は」
「そうだったわね。でも、ドアの外も急に気になりだしたのよ」
これじゃらちが明かないな。俺はリナの頭をつかんだ。
「い、いった……!」
そして、強引に顔を俺のほうに向ける。リナは、俺の顔を見るなり、目をそらした。
しかし、それでも頭に手を乗せたまま、じぃっとリナに視線を送る。俺がいつまでも見ていると、リナの顔はどんどん赤くなった。
「にゃにするのよぉ……」
ふにゃふにゃした声だった。
「お前は俺の顔を見て話すと、ゆでだこみたいに顔が赤くなる仕様なのか」
「し、知らないもん」
そういった瞬間、リナの目と俺の目が合った。しまった、というような顔をしてすぐにそらすが、頭から湯気が出てきそうなほど顔が真っ赤に染まった。
仕方なく、俺はリナの頭から手を離す。我慢できなくなったようで、布団を頭からかぶって俺に背中を向けてしまった。
「おまえのそれは、男性恐怖症のせいとでも言うつもりか……?」
「そ、そうよ! 昨日はなぜか平気だったけど、やっぱり今日になって突然無理になっちゃったのよ」
「そうか、それなら俺はもう出て行ったほうがいいな」
「ぇ……?」
立ち上がると、急にリナが不安そうな声を出す。
「じゃあな」
「ちょ、ちょっと待ってよ」
リナが俺の服の裾をつかんだ。
「……男性恐怖症で、男に触れないんじゃなかったか?」
「服なら平気だもん。……まだ、帰らないでよ」
ったく、どっちなんだ。リナのわがままぶりにため息が出る。
俺はベッドの横の椅子に座り直した。
「しょうがないな。俺は別のほうを向いてやるから、いい加減に布団から出ろ。布団をかぶったまま会話するつもりか」
「怒ってない?」
「怒ってねえよ。さっさとしろ」
しぶしぶリナは布団から顔を出したようだ。物音や気配でなんとなくわかる。
ふと、リナのベッドの横を見ると、ナイトテーブルのうえにリンゴとナイフ、それからおかゆが置かれてあることに気づいた。しかし、あまり手が付けられておらず、おかゆは半分以上残っていた。
「飯、食ってる途中だったのか」
「うん」
「そうか、悪いことしたな」
しかし、あんまりうまそうに見えないおかゆだな。部屋に入ってきたときに感じた卵のにおいの発生源はどうやらこれのようだ。どんなものかと思い、俺はスプーンを手に取って一口だけ食べてみた。
「……まあ、まずくはないな。うまくもないが」
「あ、あ、あ……」
またリナがおかしな反応をしていた。
「か、かんせつきしゅ」
ちらっとだけリナを見ると、ぼそぼそ言いながら恥ずかしそうにうつむいていた。
間接キスくらいでおおげさだな。ガキか。……そういやガキだったな。まだ12だ。
「悪かったな。男の口がついたスプーンが嫌なら、替えをもってこよう」
「だ、いじょうぶ、よ。ちょっとびっくりしただけ」
そして、俺からスプーンを奪い、自分でおかゆをすくって口に運んだ。まだ顔が赤くなっていたが、気にしないことにした。
「ちなみに、リンゴは? 剥かれてもいないようだが、侍女はどこに行った?」
「……用事があるみたいでどこかに行っちゃった。おかゆ食べ終わったころにまた来るって言ってた」
昼時は、飯の準備やら、片付けやらで立て込んでいるのだろう。俺はナイフを手に取り、リンゴを剥きはじめた。
皮にナイフを差し込み、リンゴを回す。するすると刃が通って、細く裂かれた皮が垂れる。
なめらかに皮むきが進んでいき、あっという間に半分ほど剥き終わった。
「ずいぶんうまいのね」
リナの感心した声に俺はうなずく。
「昔からな。手先が意外と器用で、こういう細かい作業が得意なんだ」
そして、残りの半分を終わらせた。皮をまとめて、皿の上に乗せる。
りんごの頭と尻を切り落とし、りんごをナイフで割って、中の種を取り出し、最終的に一口サイズまで分割する。
「まあこんな感じかな」
時間にして、おそらく1分もかかっていないだろう。自分でも自分の手際の良さにほれぼれとする。
「すごい……」
「いいから食え。たぶん美味しいぞ」
「うん」
おかゆを置いて、リンゴを手に取ったようだ。シャキシャキと音を出しながら噛み、それから言った。
「おいしい……!」
「王宮に届くのは、だいたい名産品と呼ばれるようなものばかりだ。ここのは普通のものよりも甘くて、そのうえ後味がさっぱりしているらしい。俺は他のリンゴを食べたことがあまりないから違いがわからないけどな」
俺も一口食べてみるが、いつもの味だな、以上の感想がなかった。
「やっぱり王宮ってすごいわね。公爵家と比べても大きな違いだわ」
喜んでもらえたようでよかった。
それからしばらくは、俺は黙って近場にあった本を読んでいた。リナがおかゆとりんごを食べ終わるのをゆっくり待つことにした。
やがて、リナがすべて食べ終わったらしい。食器の中が空になっていた。
「全部食べられたか。体の調子が悪くなった時には、しっかり食べて栄養をとらないといけないからな。偉いぞ」
「……そんなことで褒められてもうれしくない」
子供扱いされるのが嫌らしい。俺は本を閉じて、元あった場所に戻すと、リナの隣に腰掛ける。すると、リナがまたよそよそしくなる。
「ねえ……」
リナが口を開いた。
「わたしの髪……おかしくないかしら?」
俺は顔を上げる。目を合わせないようにしながら、リナの黒髪を隅から隅まで眺めてみたが、特におかしなところはなかった。
「別に。いつもどおりきれいな髪だぞ」
「き、きれ……! って、そうじゃなくって、寝ぐせとか!」
「寝ぐせ? 別にないぞ」
「そ、そう。それならいいけど」
なんだ。そんなことを気にしていたのか。さっきから髪の毛を気にしていたのはそのためか。俺はため息をついた。
「……そんなことよりも、体調はどうなんだ?」
「そんなことより?」
「……いいから、体調はどうなんだ? 医者には診てもらったのか」
「午前中に、医者が来たわ」
「それで、なんて言ってた?」
「……ただの風邪でしょうって。寝てれば治るらしいわよ」
「そうか、よかったな」
安心する。変な病気だったら困っていた。せっかく協力者として得た貴重な人材だ。寝たきりとかになると意味がなくなってしまう。
「ちなみに、医者ってのはどこのどいつだ?」
「知らないけど、変な人だったわ」
変な人と聞いてすぐにピンときた。あいつしか思い浮かばない。
お母さまが選定したのだろう。確かに、信用はできるし腕も確かだが、性格に難がありすぎるんだよな。あまり鉢合わせしたくない。
「昨日、無理をしすぎたな。ゆっくり休んどけ」
「……お父様のことは大丈夫かしら」
「俺に任せておけ。お前が気にする必要はない」
俺は立ち上がった。そろそろ戻らないとリンクがキレるだろう。
「もう戻っちゃうの?」
「悪いな。用事があるんだ。ここのことは誰にも言っていないから安心してろ。王妃もお前を守ってくれている」
「うん」
布団をリナにかけなおしてやり、ドアのほうへと向かう。その道すがら、リナが、ねえと声をかけてきたので振り返る。
「また、来てね」
そう言って、小さく手を振ってきた。
俺は、「ああ」とだけ答えて部屋から外に出た。




