13話 保護
王妃は黙り込んでいた。目の前で起こっている事実に混乱しているだけでなく、リナのあまりの惨状に言葉もないようだった。
「事の発端は、スキラ公爵です」
そして、俺は、リナが暴力を奮われていること、逃げ出したことなどをかいつまんで話した。王妃の顔がますます青ざめていく。
「それで、今回の縁談もそもそもは――」
「――いったん、いいわ。そんなことより、早くこの娘をどうにかしないと……!」
王妃はテーブルの上にあるベルを大きく振って鳴らす。まもなく、王妃付きの侍女たちが3名そろってやってきた。
そして、俺とリナの姿を見て、同じように目を丸くした。
「急いで! この娘の手当てをして、ゆっくり休ませてあげて」
侍女たちは、承知しました、と各々準備を始めた。一人は部屋の準備に向かい、もう一人は、タオルや着替えなどを調達しに部屋から出て行った。残りの一人はリナのケガや体調を確認していた。
「このことは内密にしたほうがいいのよね」
小声で王妃が言う。俺は、うなずいた。こういうとき、何も言わなくてもある程度察してくれるのは、非常に有難い。
やがて、部屋から出ていた2人も戻ってきた。
「ちょっと聞いてくれるかしら、3人とも」
リナを支えて、リナのために用意した部屋に向かおうとした矢先、王妃が言った。
「事情があるの。このことはまだ誰にも言わないでちょうだい。もちろん、リナお嬢を見つけたことも、含めてね」
みんなが探しているのはわかるけど、と付け加えた。侍女たちは「仰せのままに」と頭を下げた。
リナは、ぐったりとしていた。ただでさえ体力が消耗していたのに、魔法を使いすぎて限界が来ていたのだろう。肩に担がれて、部屋から出て行った。
俺は、その様子を背後から確認する。彼女たちは、すぐ隣の部屋のドアを開け、中に入っていった。道すがら、特に誰にも見つかっていないようだった。
安心して、俺はドアを閉める。
「あなたもよ。あとで風呂に入りなさい。ひとまず、これで乾かして」
王妃がタオルで頭をわしゃわしゃする。力任せにやるものだから、俺の髪が乱れ放題になる。
わかりましたよ、と俺も部屋を後にした。
風呂に入り、着替えた後、再度王妃の部屋に入る。
王妃は俺を待っていてくれた。俺を見るなり立ち上がり、ランプを手に持ちながら、テーブルの前のソファに座った。
「あなたも座りなさい」
失礼します、と言ってから腰かける。
いつ座っても、俺のソファよりも気持ちいいなと思う。材質がいいのか知らないが、弾力がすごい。
ランプが、橙色に光っている。王妃の顔がレリーフじみて見える。
「まず、順を追って改めて教えてくれる? リナお嬢がいなくなってからのこと……」
俺はうなずく。協力を仰ぐ以上、リナから聞いたことはほとんど言うつもりだった。
そして、俺は、8割本当の説明を始めた。リナが闇魔法を使って外に出たこと。そして、俺も心配になり、あとをつけていたこと(これはもちろん嘘だが)。リナが山を越えようとしていたこと、足を滑らせて落ちる寸前に助けたこと。リナが暴力を奮われていて、父親の指示に従って縁談を持ち掛けたこと。縁談が断られてから、殴られたこと。
王妃の眉間にしわが寄っていた。
「なんて……ひどい……」
俺はかまうことなくつづけた。リナが殺されそうだと思い、逃げたのだと言っていたこと。そして、誰も自分を知らない土地で、新しい人生を歩もうと思っていたこと。そして、俺がそんなリナを説得し、王宮に連れ戻してきたこと。
王妃の体が震えていた。俺には、どんな感情でその話を聞いていたかはわからない。だけど、この震えや、涙しながらこぶしを握り締める様子を見て、怒りとか悔しさとか、そんな感情が渦巻いているのだろうと感じた。
「よく……やったわ、よく助けたわ、我が息子!」
「ああ……」
急に口をついて出た言葉は、俺への賛辞だった。
「今の話が本当であれば……公爵のことをとうてい許せるものではないわ。自分の子供を殴るなんて、無理やり従わせるなんて、親のすることじゃない。まだ12歳だというのに、今までどれだけの重荷を背負って生きてきたのかしら……。きっとこれから医者の診察を受けていけば、普通じゃできないような傷も見つかるのでしょうね。そうなったときには、スキラ公爵を破滅に追いやらなけらばならないわ」
「破滅、ですか」
公爵家は、王族の次に高い地位を持つ家だ。国王が権力をフル稼働させたとしても、破滅させるのは簡単ではない。たとえ、娘への暴力が明るみに出たとしてもだ。
なぜなら公爵家に仕える人や、後押しをする人がこの世に大勢いるからだ。もともと、スキラ公爵は評判のいい人物だった。公爵領は、スキラ公爵とその娘リナによりとても豊かになったと聞いている。さらに、あの得意の作り笑いで、うまいこと人間関係を築いてもいた。
それだけじゃない。公爵家には独自の軍隊もいるという噂がある。あくまで噂であり、実際のところはわからないが、やろうと思えば財力を使って大量の傭兵を雇うことも可能かもしれない。
「もちろん、破滅に追いやるのは簡単ではない。そんなことはわかっているわ」
「別に無理だなんて言っていませんよ。ただ、そのやり方も考えないといけないと思います」
「リナお嬢のため?」
俺はうなずく。
リナは被害者だ。悪いところは何もない。
しかしながら、この貴族社会というのは、「傷物」に対して冷たい。親に殴られた、となれば、リナにも悪いところがあったはずだ、と思われ、さらに体や心に傷を負った面倒な人間としてみなされる。
だから、本来はあまり公開すべきことではないのだ。内々で処理したほうがいい。
「けれど、私はスキラ公爵を許せませんわ。今回のことだけじゃない……」
「……どういうことですか?」
過去にもなにかやらかしていたのだろうか。
「ねえ、食事のあと、私とスキラ公爵で席を立った時があったじゃない?」
「そうですね」
スキラ公爵の本心を暴くために、王妃が公爵を連れてどこかに行っていた。あの際に、なにかあったのだろうか。
「――レイア神と、一回口に出したの」
「ぇ?」
「この縁談は、レイア神の思し召しでもあると、言っていたの」
俺の体が凍りつくのを感じていた。肌が粟立ち、心がささくれ立つ。
レイア神。その言葉は重大な意味を持つ。あまり知られた言葉ではない。知っている人間は限られているし、その人間もほとんどが最近聞いただけの言葉だろう。
視界が狭まるのを感じる。頭の奥が痛くなり、のどがカラカラに乾いていく。自分にとって、その言葉に巡り合うことは、恐れていることでもある。
「だから、スキラ公爵は、レイア教の信者の可能性が高いのよ」
「まさか……」
レイア教。
レイア神を信ずる宗教。かつて、おとぎ話にだけ存在する神だった。魔法を人に与えたとされる存在。しかし、あまり知られた話ではなく、古典を調べていくうちに初めて知ることができるような名前だ。
しかし、最近になって、そのレイア神に心酔する者が出始めた。国が魔力を重視しない主義であるため、それに不満を持つ者たちが傾倒していったのだろう。きっと、スキラ公爵もその一人だったのだ……。
「私が、縁談を断ることにした一番の理由が実はそれなの」
「そうだった、んですか」
「こんなこと言っていいかわからなかったから、今まで黙っていたのよ。でも、レイア教の信者は、国の転覆を謀っているなんてことも言われているくらいだから、とてもじゃないけど王族のあなたとつなげるわけにはいかないと思ったの」
「……それで合点が行きましたよ」
俺は、今回の縁談が公爵主導で行われたことだということを思い出す。
「もしも、それらすべてが事実なら、今回の公爵の目的がわかる……」
「ええそうね。きっと――」
単純と言えば単純だ。ずっと大昔から行われてきたこと。それが、現代でもなお行われようとしているだけだ。
「国王の父になること」
王妃がそう言い、俺はうなずいた。
公爵には、俺みたいなボンクラでも、うまいこと利用して国王に仕立て上げる算段があったのだろう。そして、ボンクラであればあるほど、国王になる人間として都合がいい。評価の高いリナに人望を集め、そのリナに対して自分は好きなように命令を下す。国王の義理の父として、高い地位も得られる。
「けれど、そこまで簡単な話ではないわ。だって、あなたの評判が評判だもの。それに、たとえ国王の父になったところで、うまく実権が握れるとも限らない。そんなに簡単にできるなら、もっとあなたに縁談が来てもおかしくないわ」
たしかにそこがきなくさいところではある。背後にレイア教がいる以上、スキラ公爵の判断だけで出された縁談ではなかったのだろう。なにか大きなことが動き始めているような気がしていた。
「国王には、スキラ公爵の信教のこと、話しておいたほうがいいかもしれません」
「もとよりそうするつもりよ。今日は時間が取れなかったけどね」
さすがお母様だ。動きが早い。
「でも、あまり動きを見せるわけにもいきません。慎重にお願いします」
「それはそうよ。今は泳がせなければならない時期だもの。あんな事件もあったわけだし」
「……そうですね」
あんな事件というのは、つい1年ほど前に起きた殺人事件だ。
王宮内で、ひとりの侍女が殺された。死因は焼死と判断された。全身が丸焦げになっていたらしく、さらに手や首が切り落されていた。すぐには誰かが判別できないほどに凄惨な状況だったと言われている。
そして、その事件の調査が進むにつれ、ある宗教団体の存在が明らかになった。
それが、レイア教だ。
侍女の持ち物の中に、トリスケオンのマークが入った刺繍が見つかった。人の体を中心として描かれる三本の足。初めは、それがなんなのか誰もわからなかった。しかし、やがてそのマークを手がかりにして、レイア教にたどり着いた。
レイア教の全貌はまだ明らかになっていない。そのため、一部のみにだけ存在が知らされ、あとは緘口令が敷かれている。具体的には王族と重要な地位にいる者だけだ。当然、公爵にも知らせていないので、王宮がレイア教のことを把握していることもわかっていないだろう。だから簡単にボロを出したわけだ。
「まだ、あの事件がレイア教の仕業と決まったわけではないわ。けれど、そんな要注意人物をあなたの義父にするわけにはいかないと判断したのよ」
「感謝します」
「ただ、あの凄惨な事件を起こしたのがレイア教で、娘に暴力を奮っていた公爵もレイア教なのであれば、黙してみているわけにはいかなくなってくるかもしれない。そのときには、あなたたちにも協力を仰ぐことになると思うわ」
「望むところです」
そういったところで、王妃がクスリと笑った。
「なんですか?」
「いや、なんでもないの。ちょっとだけうれしいのよ。あなたが昔のころに戻ったみたいなんだもの。頭がよくて、優しかったころ。こんな感じだったな、って懐かしくなってしまったのよ」
「そうでしょうか。私は、お母様みたいに頭が回りませんでしたが」
いいえ、と首を振る。
「あなた、リナお嬢がひどい目に遭っているのを知って、心穏やかじゃいられなくなったのね。どんなに放蕩していても、どんなにバカだと言われていたとしても、やっぱり何も変わっていない。泣き虫で、真面目で、誰か困っている人がいたら助けてあげられずにはいられない。死んでしまった、ルーベンも同じことを言っていたはずよ」
「よくわかりませんね。変な同情はよしてください」
「いいのよ。あなたがどう思おうと、私が満足しているから」
王妃が朗らかに笑う。さすがに国王を射止めただけのことはあるなと思った。
もう今日は休みなさいと言われたので、俺は席を立つ。王妃も疲れたのだろう。
廊下に出て、ドアを閉じるとどこまでも静かな夜の闇が戻ってくる。使用人たちはまだリナを探しているだろうか。
俺は自分の部屋に戻って、ベッドの上に寝転がった。
たしかに、今日の俺はあまり自分らしくない。人の心配をするなんて何年ぶりだろう。とにかく、目的を達するために、全力を尽くしてきた。自分のことだけを考えて生きてきた。
……気の迷いだな。
王妃の言葉に少し喜んでいる自分がいた。これは甘さだ。
しかし、今日だけは酒を飲んで寝ようとはとても思えなかった。




