11話 リナ
わたしが5歳になったときのこと、今でも覚えている。
――あなたのこれからの人生を、杖が決めるの。
自分の番になり、わたしの目の前に現れたのは、白くて細長い小さな杖。みんなそれを、ステッキ型アクチュエータ、あるいは、第三の足と呼んでいた。
――神は昔、人に魔法という力を与えた。そしてそれこそ神の御導き。人は自分の二つの足で歩きながらも、神に支えられてはじめて真の意味で生きることができる。魔法とともに生きることで、神とともに生きられるのよ――。
そのように教えてくれたのは、誰だっただろう。小さいころから、フードを被った女の人が、繰り返し繰り返し、わたしに対して辛抱強く語っていた気がする。
だから、教会で魔力を測定するその瞬間、わたしはすごく怖かったんだ。
わたしのこれからが、全部決まってしまう。
低い数値だったら、神に愛されていないということだ。そして、神に愛されていないということは、わたしの身近な人にとって、愛す価値のない人だということになる。
どうかお願い、神様。わたしのことも愛してください。
そう祈って握った杖は、願いに呼応するように長く伸びた。
――天才だ
近くの大人がそう言っていた。魔力が高ければ高いほど、アクチュエータがそれを感じ取り、伸張する。杖の長さで魔力が測られる。
わたしの魔力は198。その日、測定したなかで一番の強さだった。
家に帰ったわたしは、いろんな人に褒められた。
――この子は、国の将来を左右するすごい子になる
うれしかった。遠くにいる神様は、わたしのことを見てくれていて、わたしのことを愛してくれた。だからこそ、みんなもわたしのことをいっぱい愛してくれる。
特に、一番喜んでくれたのがお父様だった。
――おまえが私の娘でほんとうによかった
そう言って、頭を撫でられるたび、胸がくすぐられるような温かい気持ちが満ちた。わたしが話しかけるたびに、優しく笑ってくれて、ほしいものがあると言えば、何でも買ってくれる。
神とか導きとか、そういう難しいことはわからなかったけど、天国に旅立ってしまったお母様とともに、わたしのことを常に見守ってくれている。そういう安心感があった。
でも、そんな日々も長くは続かなかった。
フードをかぶった女の人がいっぱいうちにくるようになって、一日中わたしに勉強を教えてくれるようになった。女の人たちはみんな優しくて、わたしがどれだけわからなくても丁寧に話してくれたけど、だんだんと、物覚えの悪さにいら立ちを隠さなくなった人がいた。
お父様だ。
最初、お父様は、女の人たちを責めた。なんでこんなに時間がかかるんだ。お前らの教え方はいったいどうなっているんだ。
何度も何度も先生を変えて、でも、何度変えても、わたしの学力がなかなか向上しないことに気づいて、お父様の怒りの矛先が私に向くようになった。
――お前は、国を背負わなければならないんだ。そういう宿命なんだ。
すべては神の御導き。神がそう決めたのだから、必ずそれを守らなければならない。
しだいに、お父様はわたしを殴るようになった。
神は、おまえを選んだんだ。選ばれた以上、それを全うしなさい。
殴る殴る殴る。
それでも、お父様は止まらない。お父様にとって、一番大事なのはその神様なんだ。神が決めたレールの上を外れないように、わたしを何度でも、その道へと引きずり戻す。
わたしは、お父様が好きだった。だって、前はあんなに優しかったもの。
だから頑張った。夜、眠くなるのを我慢して、机の上でペンを動かしつづけた。
でも、だめだった。お父様が満足できるようなレベルには到達しなかった。
ある日、お父様は言った。
「ちょっと出かけようか」
たまに、お父様は、昔のように優しくなるときがある。その日がそうだった。
わたしとお父様は、馬車に乗って、公爵家の領土が一望できる丘まで向かった。
丘から見下ろす景色は、とてもきれいだった。四角く整備された田んぼや畑が、瑞々しい色で風に揺られていた。水路があちこちに行きかっていて、ちょろちょろと流れる水の音がずっと響き続けていた。
お父様は、言った。
「いいかい、リナ。この世界では、強い者が強いんだよ」
わたしには理解できなかった。強いものは、そりゃ強いんじゃないのって思った。
お父様はつづけた。
「強い者が強くなって、世界を支配しなければならないんだ。そうしないと皆が不幸になる」
わたしたちの目線のずっと先、そこには明るく話している領民の姿があった。
――かつて、土地が渇き、農作物が例年より育たない年があった。
川も渇いていて、いつも水を引っ張ってくる水路は底が剥き出しになっていた。そんなとき、お父様が自分の水魔法で領民を助けたことがあった。
お父様の魔力は120くらいだったと思う。それだけの魔力があれば、水路に水を満たすくらいのことはわけなかった。あっという間に土地はうるおい、その年も無事に生活できるだけの作物が実った。
「リナ。強いってどういうことだと思う?」
わたしはわからなかったので首を振った。
「強い者はね、魔力が強い者のことだよ」
10歳になるころには、それがお父様だけの考えではないことを理解するようになった。お父様がいつも参加している集会に、わたしも連れて行かれたことがある。
みな、口々にお父様と同じようなことを言った。
――今、この国では、魔力よりも、頭の良さという曖昧なものが重視されてしまっている。それはおかしい。魔力こそ、人の価値を測る最良の尺度だ。いつか、魔力で人を支配できるように国を変えなければならない。
唾を飛ばし、腕を突き上げ、自分たちが国の守護者だと言わんばかりに声を張り上げていた。けれど、わたしには、賛同できなかった。そういった人たちの誰もが高魔力の人間だと知っていたからだ。
結局、自分たちの都合のいいように国を変えたいって言ってるだけじゃないの――。
そう思った。
きっと、この人たちは、自分の魔力が低く、学力が高ければ逆のことを声高に主張していたに違いない。わたしの心は冷めていく。
(自分たちより優れた人間を排除したいだけなんだわ)
もちろん、そんなことは口に出さない。ただ、心の奥底にしまっておくだけだ。
暴力は、年々激しくなっていった。
お父様は、もはや暴力なんて思っていないのかもしれない。だんだんと感覚がマヒしてしまって、殴ることが当たり前になっているのかもしれない。
――わたしは弱い者
殴られるたびにそんなことを考える。
魔力は強い。でも、強さってそれだけじゃない。
だって、わたしよりも魔力の弱いお父様に、わたしは勝てないもの。
心の強さとか、身体的な強さとか。いろんなものを合わせて考えたときに、わたしが弱いから、強い者に支配されることになる。
だから、わたしは一生このままなんだ。ずっとそう思っていた。
* * * * * * * * * * * *
差し伸ばされた手を見て、わたしが考えていたのは、過去の自分のことだった。
――おまえのことは、俺が守ってやる
そんな風に言ってくれる人がいるなんて、想像したこともなかった。
わたしは弱い者。弱い者は、支配されるしかない。
だって、強い者には勝てないんだもの。
あきらめていた。心のなかで蓋をしていた。いかに逃れるかしか考えていなかった。
――戦おうなんて、思ったことがなかったんだ。
誰かが一緒にいて、守ってくれる。そう考えるだけで、心が強くなるのを感じた。
ずっと強くなりたかった。弱い自分が嫌だった。こうやって、傷だらけになりながらあてもなくさまようなんて、本当は嫌だったんだ。
そう思ったとき、迷わず、わたしに差し伸ばされた手をつかんでいた。恐怖なんてなかった。この手をつかまなければ、一生後悔することになると思った。
「あれ?」
目の前の王子が言う。
「触ってるけど、大丈夫なのか?」
わたしはうなずく。他の男はどうかわからないけど、この人の手なら大丈夫という確信があった。
王子は立ち上がった。そして、わたしに向かって言った。
「これからもおまえは苦しい目にたくさん遭うかもしれない。俺が全力で守ろうとしても、助けきれないこともあるだろう。それでも、俺はおまえのそばにいるし、おまえも俺のそばで支えてくれ」
まるでプロポーズみたいなことを言う。もちろんそんな意味じゃないと分かっているけれど。
わたしは、迷うことなくうなずいた。
わたしたちは山を下りはじめる。
王子は自分だけ透明になってしまった。わたしのことも透明化できるらしいが、自分の体が見えない状態で山を下りるのは危険だと断られてしまった。そのくせ、自分は透明化に慣れているから問題ないらしい。
勝手な人だ、と思う。
わたしの手を握ったまま、ずんずんと前へと進んでいく。
不思議な感覚だった。わたしの手には、確かに強く握られた手の感触がある。けれど、目の前にあるのは、夜の闇だけだ。人の姿などない。何もない闇の中で、わたし一人が取り残されたような感覚にとらわれる。
けれど、わたしに不安などなかった。
闇の中でも、進むべき道が見える。差し込む一筋の光が見える。
たとえ今は暗くても、いつか必ず開ける。
そう信じることができた。
仕事の都合で、ここから更新ペースが落ちると思います。ご了承ください。




