《迷子になったら、それ以上その場所から動かないのよ。近くの大人に助けを求めなさい》
《迷子になったら、それ以上その場所から動かないのよ。近くの大人に助けを求めなさい》
注意力散漫な子供だった私は、母からそのように言い聞かされたものだったけれど、この状況でそれが適用できるかというと、できない気がした。
それは、私が二十四歳で子供の部類には最早入らないからではなく、ここが人に出会えそうもない、深い森の中だったから。
上は高い樹木が空を覆い、おかげで昼間らしいのに薄暗く感じる。足元はまばらに丈の短い草木か、水気に満ちて苔むしているか。
里山しか知らない私には、詳しいことはよくわからないけれど、確か地理の教科書に載っていたこんな写真の気候は、降水量が多かった気がする。飲み水には困らないかもしれない。でも、雨をしのぐ方法がわからない。
あたりを見回しながら、さっきから私の脳はフル回転していた。ただし悲しいかな、私の頭のデキはそれほどよくない。
ここで生きていくのに、圧倒的に知識が足りない。
それを痛感していた。
不安がむくむくと大きくなっていく。冷静になれ、冷静になれと自分に言い聞かせてみたが、とうとう我慢できずに、しゃがみこんだ。そんなことしている場合じゃないとわかっていても、立っていられなかった。
どうしよう。ここ、どこ。なにがどうなったの。どうやったら元に帰れるの。……もしかしたら、帰れないの。
その恐ろしい考えに、呼吸が早くなる。
やだ、やだ、やだ、やだ!!
私は頭を抱え込んだ。何も考えたくなかった。ここで目をつぶって、寝て起きたら、そうしたら。
「……どうにもなるもんかっ」
私は叫んだ。勢いをつけて、とにかく立ち上がる。
そんなことしていたら、死ぬ。このまま夜がきたら、山の中は冷える。雨でも降られたら、低体温で間違いなく弱る。
食べ物がなくても死ぬし、飲み水を確保できなくても死ぬし、でも、一番考えたくないのは、毒を持った虫類や、人を襲う猛獣に遭遇することだった。
安全な場所を探さなければならない。少なくとも、日が暮れるまでに。
どうすればいい。どっちへ行けばいい。
考えろ、考えろ、考えろ!
「わっかんないよぉっっ」
私はまたもや叫んだ。その声で何かをおびき寄せることになるかもしれないなんて、考えられもしなかった。
私の常識では、山に入るときは、大きな音をたてることになっている。そうすると、猪も熊も鉢合わせする前に違う道を選んでくれる。
少なくとも、幼い頃から連れて行かれた山菜狩りでは、そう習った。
けれど、ここでは。この、違う世界では。
背後で、それもすぐ近く、手を伸ばせば触れそうなあたりで、ザンッと音がした。重いものが落ちたような。
私は反射的に振り返った。
そのとたん、ぐ、と両肩を掴まれ、ダンッと体を地面にたたきつけられる。
背中を強く打って、息ができなくなる。痛みと恐怖で吐き気がしてくる。
私は咳き込みながら、必死に肩を掴むものに手をやり、朦朧と霞みがちな目を開いて、何が私を襲っているのか、確かめようとした。




