第7話 できないを減らすのは案外簡単
全部できる奴は多分存在しない
公開日の翌日。
学院全体が休みになる、なんてことはなかった。
三十万人も学生がいる以上、公開日に関係していない授業や研究室も普通にあるし、昨日休みだった区画もある。全員の予定を合わせようとしたら、それだけで大変なことになるらしい。
俺たちの授業も普通にあった。
ただ、朝の教室はいつもより少し静かだった。
「眠い」
机に突っ伏しているカイルが言った。
「昨日そんな疲れたのか?」
「実演三回だぞ」
「三回もやったの?」
「お前が見に来なかったやつ含めてな」
「まだ言うのか」
「一回くらい見ろよ」
「時間被ってたんだから仕方ないだろ」
「ミラのは見たんだろ?」
「見た」
「差別だ」
「先に始まったからだよ」
隣で荷物を出していたミラが、こっちを見る。
「私の方が見たかったんでしょ」
「話を面倒にするな」
「否定しないんだ」
「時間の話をしてる」
「はいはい」
朝から疲れる。
俺も昨日はかなり動いた。
といっても、説明役と訓練が少しだけだ。
身体より頭の方が疲れている。
家へ帰ったあと、五号の設計を始めたのも悪かった。
別に夜更かしするつもりはなかった。
少し書くだけ。
そう思って始めた。
気づいたら日付が変わっていた。
よくある。
「レン」
「何?」
「昨日何時に寝た?」
ミラが聞いてきた。
「普通」
「何時?」
「……一時くらい」
「普通じゃない」
「一時は普通だろ」
「朝早いんだから寝て」
「七時間くらい寝てる」
「六時間でしょ」
「細かいな」
「昨日、夜更かししないって言ったよね」
「努力するって言った」
「一番信用できない言い方だった」
確かにそう言った。
「でも設計進んだぞ」
「やっぱりやってたんだ」
「かなり変えた」
「見せて」
「今?」
「授業始まるまで時間あるでしょ」
鞄から折った紙を出す。
昨日書いた五号の簡単な設計図だった。
まだ正式な図面ではない。
思いついたものをとりあえず書いただけ。
腕へ付ける部分は四号よりかなり簡単になった。
端子は十二個から八個。
ただし、それぞれから直接筋肉へ魔力を流すためではない。
魔力を目的の場所の近くまで誘導して、そこで維持するためのものだ。
「これ全部外に繋がってるの?」
「試験機だから」
「大きそう」
「大きいと思う」
「腕輪じゃないね」
「最初はそれでいいって先生が」
机の上に置く制御装置。
そこから何本か線を伸ばして、腕や脚に付けた端子へ繋ぐ。
移動しながらは使えない。
戦闘なんてもってのほか。
でも今はそれでいい。
「温度、電流、魔力量……」
ミラが書いてある文字を読む。
「安全装置増えたね」
「増やした」
「四号より安全?」
「理屈では」
「その言い方怖い」
「まだ作ってないから分からないよ」
安全装置というのは、作っただけで安全になるわけではない。
ちゃんと動くか試して初めて意味がある。
そこは前回でかなり分かった。
「でも八個なんだ」
「十二個いらない気がして」
「減らしたんだ」
「ああ」
昨日の訓練を思い出す。
バルガスさんがやっていたのは、必要な場所へあらかじめ魔力を準備しておいて、最後だけ自分で流す方法だった。
それなら細かく十二か所へ分ける必要はない。
少なくとも最初からは。
「脚なら太腿、膝周り、足首くらいでいいかなって。そこから先は自分で調整する」
「レンが?」
「そこは俺の方が早い」
「自信あるんだ」
「魔術ならな」
魔法では言えない。
でも魔術なら言える。
そこまで自信をなくす必要はないと思う。
「じゃあ装置はレンが苦手なことだけするの?」
「苦手というか、面倒なところ」
「バルガスさんと同じだ」
「そう」
魔力を運ぶ。
待機させる。
必要な瞬間、自分で使う。
最初から全部を装置に任せるより、こっちの方が俺には合っている。
「それなら腕壊れない?」
「そこは分からない」
「レン」
「だから安全装置付けるんだって」
「先生いる時しか試さない?」
「試さない」
「本当に?」
「本当に」
少し疑われた。
でも今回はちゃんと守るつもりだ。
右腕を見れば、その気になる。
痛みはほとんどなくなった。
それでもまだ身体強化は禁止されている。
あと何週間か。
長い。
でも、壊してさらに長くなる方が嫌だ。
「それと」
ミラが設計図の端を指した。
「これ何?」
「ああ」
そこには小さく別の図を書いていた。
薄い板。
その上に簡単な魔法陣。
「戦闘用の魔法陣」
「五号じゃないじゃん」
「別件」
「いつ考えたの?」
「昨日寝る前」
「だから一時になったんでしょ」
「これはすぐ終わった」
「寝ればよかったのに」
そうかもしれない。
でも気になった。
「前に言ってただろ。魔法陣持ち歩けばって」
「言ったね」
「試そうと思って」
「レンが?」
「何でそんな驚くんだよ」
「魔術ばっかりだったから」
「魔法も好きなんだよ」
「知ってるけど」
魔法陣を使えば、俺でも魔法は安定する。
だったら戦闘で使わない理由はない。
今までは少し避けていた。
魔法陣で出せたところで、自分で魔法を使えたわけではない。
何となくそう思っていたから。
でもバルガスさんに言われた。
使えるものは使え。
ミラにも前から似たようなことを言われている。
そこまで言われて使わないのも変だ。
「何の魔法陣?」
「《圧弾》」
「また?」
「当たらないからこそだよ」
自分で撃つとどこへ行くか分からない。
魔法陣なら陣そのものが方向を決めてくれる。
なら、ちゃんと前に飛ぶはずだ。
「札にするの?」
「そのつもり」
「紙?」
「最初は」
「戦闘中破れない?」
「だから最初は、だよ」
紙なら安い。
失敗しても困らない。
最終的には薄い金属板か、丈夫な布でもいい。
「レン、本当に考えること増えたね」
「悪い?」
「別に」
ミラが紙を返す。
「前より楽しそう」
「そう?」
「うん」
自分ではあまり分からない。
ただ。
やることは増えた。
五号。
魔術の速度。
携帯魔法陣。
事故の原因。
右腕が治ったら試したいこともかなりある。
魔法が下手だという事実は何も変わっていない。
でも、それだけを考えている時間は前より減った気がする。
授業開始の鐘が鳴った。
「しまえ」
前から声。
いつの間にかセレナ先生が立っていた。
「はい」
急いで紙を鞄へ入れた。
「エルド」
「何です?」
「授業中に設計を始めたら没収する」
「まだ始まってないですよ」
「予告だ」
「信用ないな」
「自分で作った信用だ」
それも最近よく言われる。
◇
午前中の魔法陣学は、ちょうど持ち運び用魔法陣についてだった。
偶然というには出来すぎている。
俺としては助かる。
「携帯用魔法陣で重要なのは、出力ではない」
セレナ先生が教壇の上へいくつかの道具を置いた。
紙。
布。
薄い木の板。
金属板。
どれにも小さな魔法陣が書かれている。
「まず、壊れないこと。次に、必要な時に正しく発動すること。この二つだ」
教壇の上から、一枚の紙を持ち上げる。
「紙は安い。加工もしやすい。だが水、火、衝撃に弱い」
次は布。
「布は折り畳める。装備にも縫い付けられる。ただし陣が歪みやすい」
木。
金属。
それぞれ説明が続く。
「どれが一番優れている、という話ではない。使う場所で決めろ」
これも最近よく聞く。
目的に合わせる。
全部を最高にする必要はない。
「戦闘用なら金属ですか?」
前の方の生徒が聞く。
「場合による」
セレナ先生はすぐ答えた。
「一度しか使わないなら紙でもいい。壊れる前に使えば問題ない」
「使い捨て?」
「そうだ」
それを聞いて少し考える。
使い捨て。
その考えはなかった。
丈夫なものを作ることばかり考えていた。
「先生」
「何だ、エルド」
「《圧弾》くらいなら紙で大丈夫ですか?」
「使用する魔力量によるが、普通の魔獣血インクでも問題ない」
「一回だけなら?」
「十分だ」
「投げて使えます?」
先生が少し止まった。
「何をするつもりだ」
「戦闘中に使いたいんです」
「手に持って発動すればいいだろう」
「手が塞がるので」
「武器を使うのか」
「多分」
片手剣や短剣。
右腕が治れば、また使う。
その時に紙を持ち続けるのは面倒だ。
「投げてから発動したい?」
「できれば」
「できる」
思ったより簡単に返ってきた。
「本当ですか?」
「魔法陣に遅延処理を一つ追加すればいい。あるいは、一定距離で発動する条件を加えてもいい」
「距離まで?」
「複雑になるがな」
黒板に小さな追加陣が書かれる。
「ただし、自分から離れた魔法陣へ魔力を送る必要がある。距離が伸びるほど効率は落ちる」
「ああ」
そこが問題か。
俺は魔法を外へ出したあとの制御が下手だ。
魔法陣を投げても、そこへ魔力を送れなければ意味がない。
「直接魔力を入れてから投げるのは?」
「できる」
「それなら?」
「蓄積用の副陣が必要だ」
また黒板に追加。
少し複雑になる。
でもできる。
「事前に魔力を入れておいて、投げて、条件で発動」
「そういうことだ」
「それなら俺でもできる」
思わず声に出た。
教室の何人かがこちらを見る。
セレナ先生も見ている。
「……何だ」
「いや」
「お前、自分の魔法の方向制御が苦手だったな」
「かなり」
「だから魔法陣で補うのか」
「はい」
先生は少し考えた。
「悪くない」
「本当ですか?」
「ただし最初から複雑なものを作るな」
また同じことを言われる。
「最初は手に持って発動。次に事前充填。最後に投擲。段階を分けろ」
「分かりました」
「それと」
「何です?」
「紙を投げるのは思っているより難しいぞ」
「……」
そこは考えていなかった。
軽い紙を狙った場所へ投げる。
確かに難しそうだ。
ミラが横で笑っている。
「何?」
「そこからなんだなって」
「じゃあ木板にする」
「重そう」
「薄くすればいい」
「先生が段階分けろって言ったばっかりだよ」
「分かってるって」
まず紙。
投げるのはあと。
ちゃんと覚えている。
今は。
◇
午後は魔術実技だった。
俺はまだ右腕を強化できないので、一部だけ参加する。
今日の内容は魔力の待機。
昨日バルガスさんに教えられたものとかなり近い。
「身体強化の開始を速くする方法はいくつかある」
教官が訓練場を歩きながら説明する。
「その一つが、あらかじめ魔力を使用部位付近へ移動させておく方法だ」
昨日やった。
タイミングがいい。
「ただし、常に大量の魔力を末端へ置けばいいわけではない。維持にも集中力を使う。必要な場所を予測しろ」
生徒たちが間隔を空けて並ぶ。
俺は右腕を使わないよう、教官から少し別の内容を指定された。
脚のみ。
魔力を流す。
太腿の近く。
膝。
足首。
筋肉にはまだ入れない。
「そこから動くな」
教官が言う。
「一分維持」
楽だと思った。
最初の十秒くらいは。
三十秒を過ぎた辺りで、足首に置いていた魔力が少しずつ流れ始める。
止める。
今度は膝がずれる。
戻す。
太腿。
戻す。
動かさないというのが意外と難しい。
俺は魔力を動かすのは得意だ。
でも止め続けるのは、あまりやってこなかった。
「エルド」
「はい」
「足首が流れている」
「分かってます」
「分かっていて止められていない」
「今やってます」
戻す。
また少し流れる。
面倒だ。
一分。
「停止」
魔力を元へ戻す。
思ったより疲れた。
「どうだった?」
教官が聞く。
「動かすより難しいです」
「お前は特にな」
「何でです?」
「普段から動かしすぎる」
「悪いですか?」
「悪いとは言っていない。ただ癖だ」
なるほど。
「次は十五秒だけ維持。そのあと合図で強化して一歩前へ出ろ」
これは分かりやすい。
魔力を準備。
待機。
「開始」
十五秒。
「前!」
流す。
脚を強化。
踏み込む。
昨日と同じ。
いつもより速い。
準備した分だけ開始が早い。
「もう一度」
繰り返す。
待機。
合図。
踏み込む。
三回目くらいから感覚が分かってきた。
ただ、問題もある。
使ったあと、次の場所へ魔力を準備し直すまで少し時間がかかる。
昨日はそこまで意識していなかった。
「先生」
「何だ」
「一回使ったあと、戻してからまた準備するの遅くないですか?」
「遅い」
「普通?」
「慣れれば速くなる」
「もっと速い方法あります?」
「ある」
「どうやるんです?」
「自分で考えろ」
「何で?」
教官が少し笑った。
「今教えたら、お前はその方法しか使わなくなる」
「そうですか?」
「お前は自分で細かい操作を考えるのが得意なんだろう」
どこから聞いたんだ。
いや、実技成績を見れば分かるか。
「一つだけ言う。元へ戻す必要があるとは限らない」
それだけ。
「元へ戻さない」
考える。
右脚で使う。
終わる。
普段なら魔力を中心へ戻す。
そこから左脚へ。
でも、右脚から直接左へ移したら?
距離は長い。
なら途中の腰へ。
そこを中継。
「……あ」
やってみる。
右脚。
使用。
力を抜く。
魔力を全部戻さず、腰の辺りまで引く。
次に左脚。
流す。
「それなら少し速い」
もう一度。
右。
腰。
左。
腰。
右。
できる。
ただ。
「面倒だな」
「何が?」
近くにいたカイルが聞いてきた。
「経路考えるの」
「考えなきゃいいだろ」
「どうやって?」
「決めとけばいい」
「決める?」
「右脚使ったら腰。左脚使ったら腰。そこから次」
「ああ」
固定する。
毎回その場で考える必要はない。
これも似た話だ。
「お前、意外と頭いいな」
「喧嘩売ってる?」
「褒めてる」
「全然聞こえない」
カイルが自分の訓練へ戻る。
俺も続ける。
右。
腰。
左。
腰。
繰り返す。
だんだん速くなる。
でも五回目くらいで、腰に魔力が少し溜まりすぎた。
「止めろ」
教官に言われる。
「はい」
全部戻す。
「中継地点へ残す量が多い」
「分かりました」
「便利だからといって溜めるな。そこも使う場所だ」
そうだった。
腰や体幹も戦闘では強化する。
待機用の魔力で埋めたら邪魔になる。
なら別の場所。
腹。
背中。
いや、そこも使う。
「置く場所ないな」
身体中使う。
当たり前だけど。
だから魔術師は難しい。
少し考える。
皮膚のすぐ下。
筋肉より浅いところ。
普段あまり使わないところ。
「……できるかな」
「何を?」
教官が聞く。
「待機用の経路を別に作ろうかと」
「どこに」
「筋肉の外側」
「できるならやってみろ。ただし少量だ」
「はい」
魔力を流す。
今度は身体強化に使う深い場所ではなく、もう少し表面。
細い線を作る。
腰を通る。
右脚。
左脚。
身体強化用の流れとは別。
「気持ち悪いな」
自分で言う。
「何が?」
「感覚が」
皮膚の下を何かが動いているみたいで変だ。
痛くはない。
ただ気持ち悪い。
「エルド」
「はい」
「それでいい」
「いいんですか?」
「魔術はキモければキモいほど強いんだろう」
「先生まで知ってるんですか」
「有名な言葉だ」
オルフェン先生の師匠だけの言葉ではなかったらしい。
いや、あの人が広めた可能性もある。
「維持してみろ」
「はい」
表面の細い経路。
そこへ少量の魔力を置く。
必要な時だけ深い方へ落とす。
右脚。
流す。
強化。
終わったら表面へ戻す。
左へ移動。
また落とす。
さっきより速い。
「……これいいかも」
「顔に出てるぞ」
「先生まで顔言うんです?」
「分かりやすいからな」
もう諦めた方がいいかもしれない。
◇
授業が終わったあと。
俺は訓練場の端でノートを開いていた。
忘れる前に書く。
魔力待機。
表層経路。
中継。
使用場所と待機場所を分ける。
文字を書きながら、五号の設計を思い出す。
「……これ」
装置いらないかもしれない。
そこまで考えて止まる。
「何が?」
ミラが横から覗き込んできた。
「五号」
「また?」
「待機だけなら、自分でできそう」
「じゃあ作らない?」
「いや」
そこまでは言えない。
「今は集中してるからできる。でも戦闘中にずっとこれ維持しながら相手見るのは多分きつい」
「じゃあ維持だけ装置?」
「そう」
必要な位置へ魔力を置く。
そこから流れないように弱い電気で支える。
俺は使う瞬間だけ操作する。
それなら意味がある。
「前より役割減ったね」
「かなり」
「いいの?」
「何が?」
「最初は十二か所全部制御する装置だったのに」
「いいよ」
言ってから、自分でも少し意外だった。
四号を作った時。
十二系統全部を制御できたことが嬉しかった。
だから次はもっと増やしたいと思っていた。
今は減らしている。
「目的が変わったから」
「どう変わったの?」
「前は、とにかく俺の魔術を効率よくしたかった」
「今は?」
「戦ってる時に使いやすくしたい」
言葉にすると単純だ。
でも結構違う。
「その方が普通じゃない?」
「そうなんだよな」
「今まで何してたの?」
「研究」
「戦闘用なのに?」
「……」
そこを言われると弱い。
「でも面白かったんだよ」
「知ってる」
「ならいいだろ」
「別に悪いとは言ってないよ」
ミラが笑う。
「レンが使うなら、レンが使いやすい方がいいんじゃない」
「そうする」
ノートを閉じる。
「それと魔法陣」
「もう作る?」
「授業で練習用の紙もらった」
鞄から数枚出す。
普通の紙より少し厚い。
魔獣血インクで書きやすい加工がされている。
「今日やるの?」
「工房で」
「右腕は?」
「魔法陣書くだけだぞ」
「魔力使うでしょ」
「少しだけ」
「先生に聞いた?」
「……」
聞いていない。
「レン」
「オルフェン先生のところ寄る」
「よし」
「何でお前が満足そうなんだよ」
「成長してるから」
「俺は犬か何か?」
「犬はもう少し言うこと聞くんじゃない?」
「酷いな」
◇
オルフェン先生からは、右腕を使わずに魔法陣へ少量の魔力を入れるだけなら許可が出た。
「ただし今日の魔術実技で疲れているならやめろ」
という条件付きだった。
右腕は痛くない。
脚は少し疲れている。
でも魔法陣を書く程度なら問題ない。
第四工房へ移動する。
久しぶりだ。
事故以来、何度か資料を取りに来ただけで、作業台へ座ることはなかった。
自分の机を見る。
少しだけ変な感じがする。
四号の事故を思い出す。
でも怖くて入れないほどではない。
「大丈夫?」
ミラが聞く。
「何が?」
「ここ」
「ああ」
「嫌じゃない?」
「少し思い出すけど、大丈夫」
正直に言う。
「今日は腕輪触らないし」
「ならいい」
紙を一枚置く。
インク。
細い筆。
《圧弾》の魔法陣を描く。
これは難しくない。
授業でも何度もやった。
「レン、右手使わないでね」
「分かってる」
左手で描く。
そこが問題だった。
「……酷いな」
「前よりは上手い」
「本当?」
「多分」
「多分か」
円が少し歪んでいる。
線も真っ直ぐではない。
でも発動できないほどではない。
完成。
「これで?」
「まず手に持って発動」
紙を左手に持つ。
魔力を流す。
魔法陣が反応する。
陣の中央に小さな圧縮された空気の塊ができる。
方向。
正面。
「《圧弾》」
工房内の試験用標的へ。
放つ。
真っ直ぐ飛んだ。
中央から少し外れたところへ当たる。
「……」
「当たったね」
「当たった」
普通に。
真っ直ぐ。
自分で撃つと九点なのに。
「もう一回」
紙はまだ使える。
魔力を入れる。
発動。
今度も当たる。
「簡単だな」
「魔法陣だからね」
「分かってるけど」
少し複雑な気分になる。
嬉しい。
普通に嬉しい。
戦闘で使える方法が増えた。
でも、自分で撃ったわけではない。
それでも。
「まあ、いいか」
「何が?」
「これでも」
今までは、魔法陣を使って当てても意味がないと思っていた。
今は違う。
当たる。
それなら使える。
使えるなら使えばいい。
「次、魔力入れてから手離してみる」
「今日そこまでやっていいの?」
「魔法陣に魔力入れるだけだぞ」
「先生は?」
「……聞いてない」
「レン」
「明日にする」
すぐやめた。
自分でも驚くくらい素直だった。
「本当に成長したね」
「言うな」
「一週間前ならやってた」
「分かってるから」
紙を机へ置く。
今日はここまで。
少し物足りない。
でも、そのくらいでいいのかもしれない。
明日やればいい。
右腕が治ってからでもいい。
やりたいことが多いなら、急ぐ理由はむしろない。
一個ずつやればいい。
「帰る?」
ミラが聞く。
「あと片付けてから」
「五号触らない?」
「触らない」
「本当に?」
「今日は」
「今日は?」
「今日は触らない」
「明日は?」
「先生に聞く」
「よし」
「本当に何なんだよ」
ミラが笑う。
俺も少し笑った。
◇
帰り道。
今日は昨日ほど人がいない。
公開日の案内板も少しずつ片付けられている。
学院はもう普段の状態へ戻り始めていた。
「レン」
「何?」
「魔法陣、どうだった?」
「便利」
「それだけ?」
「ちょっと悔しい」
「何で?」
「自分で撃つより普通に当たるから」
「それは前からでしょ」
「そうだけど」
分かっている。
でも実際に戦闘用として使おうとすると、余計に感じる。
「でも使う?」
「ああ」
そこは迷わなかった。
「自分で撃つ練習も続ける」
「両方?」
「両方」
「大変じゃない?」
「好きだからいい」
魔術も。
魔法も。
装置を作るのも。
全部好きだからやっている。
昔みたいに、魔法使いになることだけを見ているわけではない。
でも魔法を諦めたわけでもない。
「できないこと多いな」
思わず言う。
「急にどうしたの?」
「魔法は当たらない。五号はまだ作れない。魔術も遅いところあるし」
「そうだね」
「否定しないんだ」
「事実でしょ」
「オルフェン先生みたいになってきたな」
「嫌?」
「いや」
前なら少し嫌だったかもしれない。
今はそうでもない。
できない。
なら、できるようにする。
無理なら別のやり方を探す。
誰かのやり方が良ければ使う。
それでも駄目なら、また考える。
多分、それでいい。
「でも」
ミラが続ける。
「前よりできること増えてるよ」
「そう?」
「魔術三位になったし。魔法陣使おうとしてるし。人の話も聞くようになった」
「最後のそれ、能力?」
「かなり重要」
「そんな酷かった?」
「結構」
「……」
最近否定できないことが多い。
正門へ向かって歩く。
右腕はまだ完全には治っていない。
だから今日できたことも少ない。
でも、少ないなりに進んだ。
それで十分だと思う。
少なくとも今は。
「明日、魔法陣の続きやる」
「先生に聞いてからね」
「分かってる」
「五号は?」
「設計だけ」
「魔術の練習は?」
「授業でやる」
「本は?」
「帰って読む」
「多くない?」
「普通だろ」
「どこが」
ミラが笑う。
俺も何か言い返そうとして、やめた。
確かに少し多いかもしれない。
でも、一つしかなかった頃よりはいい。
昔の俺は、魔法が駄目だったら何も残らないと思っていた。
今は違う。
まだできないことは多い。
それでも、何もないわけではない。
なら、とりあえず一個ずつ減らしていけばいい。
事故前のエルド君は研究者としても人としても大分駄目でした特に好奇心で動き過ぎるため




